祈りを捧げて
世界平和を本気で願った。悪人のいない世界。罪人なんて言葉すら存在しない世界。誰もが誰かに愛される世界。誰もが誰かを愛する世界。
”家”にくる子たちは、みんな何かしら事情を抱えていた。身体が悪い子、親に捨てられた子、上手く眠れない子、学校を追い出された子、居場所を取り上げられた子。私は元々、この”家”の子だったから、逆に何も抱えてなかった。何も持っていなかった。持っていないけど、それでも守りたかった、みんなの”家”を。その為なら、なんだってできた。
「やばいやばい!」
「なんか暴れてる」
「たぶん女子高生かな、傘振り回してギャーって……、マジすごかったわ〜」
「エアガンに決まってるじゃん。実弾とかありえないでしょ。」
隣の車両から流れてきた人々の会話には不安を装った不愉快な高揚が混じっていた。
耳をそばだてなくても騒ぎの中心にいるのが誰かわかる。紙袋を抱える手に思わず力が入った。
小百合だ。
さっきの小百合の通信。
『私が未来へ連れて行く!黙ってついてこい!』
小百合が本部の指示を無視してなにかを始めた。普段はうたた寝してばかりでろくに話も聞いてないような子だけど、それでも信頼していたのに……。
『穂香、聞こえるか。俺は小百合の側につく。お前もこちら側につくなら次の駅で袋に穴を開けて下車し、小百合のいる先頭車両へ走れ。』
玲司がインカムで身勝手な通信を入れてきたので脳の血管がはち切れそうになる。
『玲司まで勝手をしないで!イレギュラーが発生したのなら本部の指示を仰ぎなさいよ!私達、何の為に今まで……。』
正しいことの為に正しくないことをたくさんしてきた。悪い奴らを倒して、みんなを、”家”を守るために。
『何の為に?”先生”がお前に本当の目的を教えたことなんて一度もねえよ。』
人々の流れに逆らって歩く一人の男が目の前を通り過ぎた。深くフードを被りガスマスクをつけ、黒い手袋をはめた右手に麻色の紙袋を持っていた。ガスマスクのレンズ越しに一瞬目があった。玲司だ。
この作戦は子どもたちのため。この作戦で私が死ぬのは悪い社会を変えるため。大局を見れば正しいことをしている。でも、難しいことを私は知らない。言われた通りに殺せればそれで正しかったから。
――――――次は、渋谷。渋谷。
アナウンスに決断を急かされる。先ほどの玲司の姿を思い出す。あの瞳は私に何を訴えていたのか。電車は駅に向かって減速していく。
私は床に向かって紙袋を叩きつけ、両手で傘を持ち、目一杯の力で袋に突き刺した。プシュッという音と共に白煙があがり、一瞬の静寂が訪れる。
電車のドアの開くのと同時に、悲鳴を上げた人々が堰を切ってホームになだれ込む。
『玲司、小百合!私もすぐそっちに向かうわ!』
パニックになる群衆をかきわけて先頭車両へ走ったそのとき、バンッという銃声が響いた。
蠢く人々の海を抜けた先の開けたところから、一両目の二人の姿を視界に取られることができた。フードを被ってガスマスクをつけた玲司が、”先生”の顔めがけて例の液体をぶち撒けていた。それに背を向け、飛沫する薬品から身を守る用にフードを深く被り電車を降りようとホームに足を伸ばしているのが小百合だ。先生は地べたに這いつくばって叫んでいる。撃つな、絶対に撃つな、と。先生の横には銃を構えたスーツの男がいるが、撃つなという命令に狼狽えている。
私は急いで小百合に駆け寄り、勢いそのままに手を引いて階段を下った。ガスマスクと手袋を投げ捨てながら玲司も駆け寄ってきた。
「近くに車を停めてある。とりあえずそこに向かおう。」
玲司の言葉に私はただ従った。
駅から少し離れたところのコインパーキングに駐車していた車に乗り込みすぐに発車した。運転席には玲司、後部座席に小百合と私を乗せて。
「どこに向かってるの?」
「さあ、どこだろうな。」
玲司は適当な返事をする。
「長時間安心して眠れる場所ならどこでもいい。本部から距離を取って、適当なビジネスホテルにでも行ければいいんだけど。」
小百合の提案に私は首を振る。
「それはだめ。本部も私達を追ってるはずだけど、同時に警察も私達を追ってるはず。すぐに足がつく。」
そうだよね、といって小百合は額に手を押しあてた。困ったときの彼女の癖だ。
「そもそも、未来に連れて行くってどういう意味だ?」
玲司がミラー越しに小百合に目を向けた。
「それに、眠れる場所っていうけど、休みは交代でとって、とにかく遠くへ逃げるのを優先したほうがいいと思う」
私も重ねて言う。
なぜ二人が本部の命令に背いたのかは分からない。先生にあんなことをした理由も、あんなところで銃を向けられていた理由も。でも、わからないのは今までだって同じだ。二人が危険な目に合うのなら、私は何をしても二人を守る。私は決意を込めて二人の顔を見た。
玲司は前を向いて運転をしている。一方小百合は、私を真剣な眼差しで見つめ返した。
「違うんだ穂香、眠らなきゃいけない。私達が時間と、世界を飛び越えるために」
簡潔にまとめると、そう言って小百合は彼女の能力と組織のことを話し始めた。
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