知らんままにしたかった
おくとりょう
『素敵な結婚指輪ですね』
ふと目に入ったひとつの言葉。
ただのおべっかだろうと穿った気持ちになりつつも、何だか少し気になった。
『私事ながら、私たち結婚しました』
指輪の写真とともにSNSにあげられる芸能人の結婚報告。それに一部のファンが盛り上がる。お祝いではなく、呪いの言葉で。
「ファンやめます」とか、「グッズ捨てた」とか。そんなことしてもメリットはないとしても、ファンだからこそ怒るらしい。愛憎は裏表ということか。……わかるような、わからないような。
でも、やっぱり捨てるよりも――
「フリマアプリで売ればいいのにな」
思わずパッと顔をあげると、隣には伏し目がちにつぶやく彼。
「あんないっぱいあるんやったら、結構なお金になるやろ、絶対」
何故か妙に嬉しくて、頬が緩むのが自分でわかった。だけど、何故か悟られたくなくて、「せやな」とそっけない言葉を返し、目を伏せる。精一杯にそっけなく。
――それは遠い昔の思い出で。だけど、ついこの前の春のことで。未来なんて、結婚なんて、ずっと先のことだと思ってた。
「よっ、久しぶり!……ひひひ!ハチはあんまり変わらんな」
タバコの香る近所の居酒屋。ジャケットを着こなす彼はずいぶん大人びていて、僕はヘタったシャツを脱ぎたくなった。
「ハハハ。何頼む?とりあえず
メニューを広げて身を縮める。さっきあおったビールで頬が熱い。
「ホンマに久々やな。大学卒業してからやから、……3年くらい?」
あっという間だった。と思う。過ぎた時間はいつもそう。仕事の愚痴だとか、思い出話に花を咲かせた。彼がジョッキを持ち上げた何度目だったか。薬指で鈍く光る金属の輪に、僕は触れるかどうか逡巡していた。
『素敵な指輪やな』
掠れた声が喉から漏れた。
「え?」
キョトンとした顔でこちらを見る彼に、「前から指輪してたっけ?」と言葉を変えた。彼はほんの一瞬はにかんで、予想通りの言葉を返す。
「――――――」
僕は上の空になりながら、奥さんとのなりそめを聴く。最近のふたりの休日の過ごし方を聴き、ふたりの家の場所を知る。それは意外と僕の家と近くて、「今度遊びに来なよ」と笑う彼に「ありがとう」と笑みを返した。お酒に弱い僕のジョッキもいつの間にか空になっていた。
以前なら一緒にカラオケ・オールをしていた彼。「妻が待ってるから」と終電前に店を出る。つられて僕も一緒に出る。夜風はまだまだ冷たくて、ネオンの光が目に染みる。財布をしまう彼の指には鈍く輝く結婚指輪。
「指輪、いいなあ」
別れ際、人混みの中でついこぼれた声。背中越しに首をかしげる彼に僕は慌てて言い訳をする。
「いや、やっぱり指輪いいなぁ、欲しいなぁって思って!」
手を振って叫ぶと、彼は軽く笑って振り返す。
「買えばええやん。自分で」
終電前の改札口。雑踏の中、彼の声は聞こえなかった。だけど、それはあまりに彼の言葉で嬉しくなって僕も笑った。
知らんままにしたかった おくとりょう @n8osoeuta
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