元陰陽師の伯爵令嬢は、呪いは祓えても求婚の手は振り払えないらしい

卯崎瑛珠@初書籍発売中

元陰陽師の伯爵令嬢は、呪いは祓えても求婚の手は振り払えないらしい



「相変わらず人の恨みを買いすぎですわよ、閣下」


 わたくし、ルシア・バルビゼ伯爵令嬢は、王宮の宰相執務室に居た。

 豪華な作りの暖炉や本棚が据え付けられた部屋の真ん中、執務机に座ったままの初老の男性は、眉尻を下げて苦笑している。

 

「面目ない」

「まあ、恨みを買わずにこなせるお仕事ではないですわよね」

「その通りだよルシア嬢」


 手のひらサイズの絵皿の上に、海水から抽出した特製のを乗せ部屋の四隅に置く。

 宰相閣下はもちろん、部屋にいる補佐官たちがごくりと唾を呑み込みながら、それを見守っている。

 わたくしは、心を穏やかにしながらそれぞれの盛り塩の前で、人差し指と中指を立て下唇に添えながら小さく『闇を祓う真言』を唱える。


 ふ、と部屋の空気の色が明るくなった。


「……いやあ毎度思うが、不思議だなあ。あっという間に肩が軽くなったよ」

「それはそれは。ですがこれは、一時しのぎにしかすぎませんわ。あの四隅のものがなくなったら、またお呼びくださいませ。では、ごきげんよう」

「うん。ありがとう」


 丁寧なカーテシーをし、部屋を退室すると、宰相付き近衛騎士が馬車まで送ってくれる。

 変人令嬢をエスコートしている、なんて態度には出さず、紳士然としてくれていることをいつもありがたいと思う。


「はあ。疲れた……」


 王宮を歩くのは、毎度のことながら緊張する。

 あらゆる場所から見られている気がするからだ。――そしてそれは大体気のせいではない。


 怪しげな魔法を使う伯爵令嬢。変人。何しに来たのか。近づくな危険。胡散臭い。


 

(直接聞けばいいのに)

 

「……大変だな」


 気づけば、脇を歩いていた近衛騎士にそう声を掛けられていた。

 シルバーブロンドの長髪を後ろで束ねた、紅色の瞳の男性で、名前は知らない。近衛なので鎧ではなく、濃い赤色で金ボタンが二列並んだ金の肩章付きジャケットに同色マントを身に着けている。白いブリーチズに黒いニーハイブーツ、帯剣しているサーベルの柄は金色。まさに近衛だ。

 

「ええ、ほんとに」

「はは」


 会話を交わしたのはこれが初めてだったけれど、以降見送る度に話しかけてくれるようになった。

 


 

 ◇

 

 

 

 この世界には珍しく黒髪黒目のわたくしには、生前の記憶があった。

 陰陽師として、呪いをはらったり未来を占ったりして生計を立てていたのを、女は陰陽師にふさわしくないと言う旧態依然とした一派から、強い呪いをかけられ――残念ながら抵抗虚しく命を落とした。そのことに心を痛めた五大明王様がそれぞれの加護をくれ、生まれ変わった先がなんと、伯爵家。


 幼いころは床に正座をしては気味悪がられ、朝日に向かって真言を唱えては医者を呼ばれ、中庭の隅に巣食う妙な生き物に対して九字切り(臨兵闘者皆陣烈在前りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜんと唱えながら、人差し指と中指を立てて、右手を刀、左手を鞘に見立てて横縦横縦……と空中を切る)をした時は、さすがに母が気絶した。


 それでも、ルシアらしくいればいいと見守ってくれた両親には、感謝しかない。


 

 変人ルシア。不思議の国の令嬢。夢の住人。

 

 

 いろいろなことを言われて心苦しかったはずが、風向きが変わったのは、精神を病みかけていた王子殿下をお救い申し上げてから。

 

 

「夜な夜な、悪夢を見るんだ……眠れない……」

 

 

 不眠に困った王子を心配して、国中からあらゆる医者や薬師が呼ばれたが、良くならない。

 寝不足は肉体のみならず、精神をも病ませていく。


 バルビゼ伯爵である父が、「ダメで元々、我が娘と話をしてみては」と義弟である宰相閣下(父の妹の嫁ぎ先)へもちかけたのがきっかけだ。

 

 宰相閣下は、年頃の娘と話をして気分転換になれば、ぐらいの軽い気持ちだったそうだけれど、いざわたくしが殿下の私室に入ると。



 そこには、どろどろと怨嗟が渦巻いていた。

 真っ黒な霧で視界を塞がれるほどの強い恨みで、部屋に入ることすら躊躇われるほど。

 はっきり言って、ドン引き。その恨みは、が由来だとすぐに分かったから――それもそのはず、初恋を貫こうと謙虚に邁進まいしんされていた、婚約者である公爵令嬢のエディット様を、殿下は裏切ったのだ。とあるお茶会で気落ちする彼女が、それでも殿下の為ならばと清いお心でいることに感銘を受けたわたくしは「ささやかな復讐のため、このお守りを差し上げますわ」とほんの少しだけ助力をして差し上げた。



「殿下。なにやら恨みがてんこ盛りでございますことよ」

「え」

「覚えはございませんか? 特に女性絡み」

「……」

 

 みるみる顔面蒼白になった殿下を問い詰めると、婚約者の他に親しくなったご令嬢がいらっしゃった。そして、あろうことか正式な手順を踏まずして、先月の夜会において一方的な婚約破棄宣言をしてしまったらしい。高貴なお血筋であらせられるエディット公爵令嬢様は、それはそれは嘆かれて、お家に引きこもってしまわれた。

 その後すぐに具合が悪くなられた殿下は、歩くこともままならないぐらいに消耗し、ついにはベッドから起き上がれないほどに。

 殿下が病にせったと知るや、親しくなったご令嬢からは「巻き込まれたくない」とおフラれあそばされて……この体たらく。まったく、下手を打つとはこのこと。


「女性を弄ぶのならお上手になさいませ。それもまた、王族の義務ではございませんこと?」

「ルシア嬢は、未熟なくせにとか言わないの?」


 どうやら、他のご令嬢とのお茶会を悪し様に罵られて(いやそれ、当然でしょうに)嫌になり、んじゃ別れよう! 宣言だったらしい。短慮にもほどがある。甘やかされ王子、ここに極まれりだ。

 

「……子種をできるだけ残すことも、王族たるお役目のひとつであることは重々承知されていることとはいえ。結婚前に見て気持ちの良いものではございません。不審どころか百年の恋も冷めましょう。ちなみにわたくしも御免ですわ」


 ベッドの上から濡れた青い瞳ですがるように見つめられても、これっぽっちも心は動きませんよ。先んじて牽制するのは、呪術の鉄則です。

 

「もしもわたくしが同じことをされたら……不眠なぞ目ではないことをいたします。不誠実とは、それほどの罪でしてよ。殿下は、エディット様の深い愛情に感謝すべきですわ」

「っ」

 

 背後で、近衛騎士たちが笑いを堪えていた。彼らもまた、女性関係に奔放な王子の振る舞いに手を焼いていたそうだから、少しは溜飲が下がったかなと思う。

 

「女の恨みは、この世で最も怖いものなのですよ。お気をつけあそばせ」

「はああ。肝に銘じるよ」

「ならば、清めて差し上げましょう。オン シュリシュリ マカシュリ シュシュリソワカ」


 殿下がこれに懲りて、お妃となられるお方のみを大事にとお心変わりされたのならば――わたくし良いことをしたのではと思うのです。


 

 

 ◇




「ルシア嬢。……具合でも悪いのか?」

「えっ! あら」


 過去に思いを馳せていたら、ぼーっとしてしまっていた。

 気が付けば馬車の前に立っていて、近衛騎士の紅色の瞳が、気遣ってくれている。


「少し働きすぎではないか?」

「ええと、大丈夫ですわ」


 宰相閣下のの効果が口伝えで広まり、今や淀みを抱える方々の貴族たちから「来てくれ!」とのお声を多々いただく。

 大体が大したことのない、ねたみややっかみの類い。小さなことではあるけれど、わたくしが行くことでゆっくり眠れるならばと、仕事として請け負うことにした。


 仕事にするからにはと、宰相閣下のご配慮で『お見舞い係』という特別な役職をたまわったのが有難い。

 依頼とお給金は宰相室へ。そこからわたくしの懐へ。それはひとりで生きていくのに十分すぎるもので、両親もホッと息を吐いている。なにせ変人令嬢であり、もうすぐ二十歳だというのに縁談ってなに? 状態。叔父様には頭が上がらない、というやつである。

 

「あの、今さらなのですが」

「なんだ」

「お名前をお聞きしてもよろしくて?」

「! これは失礼をした。ジョスラン。ジョスラン・メレスだ」

「ジョスラン様。いつもこのような変人をエスコートいただき、ありがたく存じますわ」


 紅色が、ぱちぱちと瞬いた後で、ふっと細くなった。


「変人などと思ったことはない。いつも真面目に『見舞い』の任をこなされていることに感心している」

「そのように褒められることがないので、嬉しく思います」

「こちらこそ。俺のような剣狂けんきょうがエスコートで申し訳ない」

「けんきょう?」

「知らぬのか。ならばいい」


 一瞬では分からなかったが、聞いたことがある単語だなと記憶を紐解くと、すぐに思い出した。

 

「あ! もしかして、南部に大量発生したビッグホーン(牛の魔獣)の大群をほぼひとりで倒したという?」


 ジョスラン様は眉間に皺をよせてから、はあと大きく息を吐く。

 

「……知っていたか」

「ええ! その後あまりの武勇を恐れられて、閑職に追いやられたとお聞きしましたが」

「その通り。退屈だ」

「まあ! それは……そうですわよね」


 この王国は、今のところ隣国との関係も安定していて、平和だ。

 周辺には時々魔獣が出たりするものの、王都は戦いから最も遠い。むしろ平和だからこそ、内側へ色々な懸念が生まれている。今必要なのは、武力ではなく、政治力だ。

 

「だが、ルシア嬢をエスコートするのは、退屈でないぞ」

「そうですの?」

「ああ。今もそうだが……目に見えぬものと常に戦っているだろう」


 ジョスラン様が、今まさにちょっかいを出そうとしてきた小さな風の生き物を目だけで追っている。

 

「! この世界で、見える方に初めてお会いしましたわ」

「この目の色はこの世にあらざる色。だから俺は、生まれながらにして冥界に好かれていると言われている」

「……なるほど……」

「怖くないのか?」

「いいえ。ジョスラン様に、悪いものはいておりません。お心が清らかなことが分かりますから」

「!」


 目を見開いた後、ジョスラン様はぐいっと口角を上げた。


「立ち話もなんだ、また今度ゆっくり話したい。良いだろうか」

「ええ」


 わたくしは、冥界のお話に興味があっただけだったのに……デートのお誘いだったと分かったのは、ずいぶん後のことだった。




 ◇




 お見舞い係の仕事の後は、タウンハウスにある父の執務室に顔を出すのが日課だ。

 

「おかえり、ルシア」

「お父様。宰相閣下の件、滞りなく済みましたわ。やはり定期的に通わねばなりません」

「そうか……王宮はそのような場所だからな……」


 珍しく何かを言い淀んでいる父の様子に、わたくしは思わず首を傾げた。


「なにか問題でもございまして?」

「……ああ……その……ルシアに縁談がな……」

「えんだん」

「はあ……」

「えーっと、どなたから?」

「ブリアック侯爵」

「うわあ。それは憂鬱ですわね」

 

 ブリアック侯爵には、三人の妻が。過去形なのは、全員懐妊中に病死しているからだ。

 

「お見舞い係として名が売れてきたわたくしを、害及ばぬ内に手に入れようとお考えなのかもしれませんわ」

「おいルシア。その言いようはまるで」

「あら。口が滑りました。お忘れくださいませ」


 一度夜会で侯爵本人を見たことがある。

 長めの金髪を前髪ごと後ろに撫でつけた、ギラギラの青い目。壮年の侯爵は貴族というよりまるで獲物を探す猟師のようで、その背後には無念を六つ背負っていた。愛する人を思っての守護ではない。隙あらば引きずり込もうとする――


「ルシア。侯爵から伯爵令嬢に来た縁談を断るには、相当の」


 思考を遮断した父の苦し気な言葉に、わたくしはきっぱりと返す。

 

「お断りする必要はございません」

「!?」

「ただ、正式な婚約前にお顔合わせをとお願いしてくださいませ」

「……わかった。向こうもこちらの背後に宰相閣下がいることは承知しているはずだ。それぐらいのこと、断らないだろう」


 あれは、祓わねばいずれ大変なことになる。良い機会が、向こうからやって来た。

 

「ありがたく存じますわ」




 その数日後、王宮へ出仕しゅっしするや否や、渋い顔のジョスラン様に「噂で聞いたんだが」と詰め寄られた。

 


「お耳が早いですわね」

「……本気で『母子ははこ殺し』の元へ嫁に行くのか」

「お口をお控えくださいませ」

「俺はと言っただろう」

「あ」


 冥界に愛された剣狂けんきょうならば、無念が見えるのも道理にかなっている。

 

「宰相閣下に直談判した」

「え?」

「顔合わせの護衛」

「は!?」


 はしたないことに、王宮の廊下で声がひっくり返ってしまった。

 ジョスランの紅色の目がまん丸くなった後で、細くなる。


「……くく」

「おほん。近衛騎士様が伯爵令嬢の護衛の任に着くだなんて、聞いたことございませんわよ」

「殿下の後押しもあるぞ。あの後、婚約者殿と誠心誠意向き合って仲直りしたそうだ。王族として後継を残さねばと気負っていた、まずは婚約者殿との関係をしっかり築いてから動くべきだった、と反省されたご様子」

「まあ!」

「婚約者殿も、王妃教育をしっかり受けている聡明なお方だ。プライドさえ傷つけなければ大丈夫だろう」

「良かったですわ」


 公爵令嬢として幼いころから育ってきただけはある。むしろやらかした殿下を許容した、と株が上がっているだろうから、わたくしも微力ながら後押しをしていこうと思う。もっと強力な『お守り』をお渡しせねば。


「……」

「なにか?」

「いや。ルシア嬢の助力あってのこととは思うが、情念があれほどの力を発するとは。恐ろしいものだな」

「あれも見えていらっしゃったのですか……あ。殿下への傷害などで拘束など」

「そんなことはしない。証拠もないし、自身で後片付けするつもりだったのだろう?」

「それはそうですが」


 王子殿下を取り巻いていた恨みが見えていたのなら、それをはらったわたくしに興味を持って当然か。

 そして悪名高いブリアック侯爵にどう対峙するのか、見たいということだろう。


「……なるほど。今回の件もご興味がおありなのですね。護衛の任、ご足労をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます」

「そうではないのだが……まあいい。任された」

「え?」

「なんでもない」



 

 ◇


 

 

 顔合わせの場所は、ブリアック侯爵が王都郊外に持っているタウンハウスに決まった。

 馬車に同乗するジョスラン様は、いつもの近衛騎士服ではなく、チェーンメイルの上にサーコート姿で、腰の革ベルトにサーベルを帯剣している。しかも、頭には鉄兜が乗っていた。今は面頬めんぼうと呼ばれる顔を守るためのガードを頭頂部に上げて顔を出しているが、屋敷に着いたら被るというので驚く。


「物々しいですわね?」

「バルビゼ伯が私的に雇った護衛、だからな」

「ジョスラン様とお呼びするのは良くないですかしら」

「そうだな。ジョーでいい」

「ジョー様」

「護衛に様は変だろう」

「……呼ぶことはないと思いますが」

「はは」


 馬車の中のそのような会話で、緊張がほぐれた。


「王都郊外と聞いていたが、想定外に遠い。話によっては泊まっていけと言われるやもしれんな」

「ありえますわね」


 すでに太陽は真上の時刻だ。お茶を飲み、夕方ごろ出立しても夜道を馬車が走るのは危険、となる。

 途中に泊まれそうな宿はない。


「野宿の準備をすべきでしたわね?」

「本気で言ってるのか」

「あら。ジョーが居たら、例え魔獣が出ようが平気でしょう」


 うぐ、と言葉に詰まった後、ジョスラン様が頬を染める。

 赤くなった、と正面からまじまじと見ていたら、ガードをガチンと下げられてしまった。

 

「不意打ちはやめてくれ」


 もごもご喋るのは兜のせいだと思うが、ねているように聞こえて、思わず微笑んでしまった。

 

「ふふ」

「はあ。泊まっても断っても、ろくなことにならなそうだな」

「ですわね」

 

 何も起こらなければ良いけれど、心の備えは必要だ。


「強い恨みや妬みの念でもって害そうとすることを、『呪い』と呼びます。呪いは、弱き者を引きずる。どうかお心は強く持っていらしてくださいませ」

「肝に銘じよう」


 鋭さを増すジョスラン様の持つ気配に、安堵した。


「頼もしいですわ!」

「んん。だから不意打ちは」

「え?」

「なんでもない……」


 ひづめの音が止み、それ以上何か聞く前に扉が開いてしまった。

 

「ようこそおいでくださいました」


 温厚そうな老紳士が、出迎える。

 白髪でモノクルに白手袋を着けた、執事服姿だ。

 

「ありがとう」


 わたくしが降りるよりも先に降り、エスコートに手を差し出す物々しい姿のジョスラン様を見て、執事が眉をひそめる。

  

「あの、そちらは」

「心配性の父が雇った護衛ですの。お気になさらず」

「ですが、帯剣は少々はばかられます」

 

 ジョスラン様は、わたくしが降りたのを確認してから、無言で革ベルトから鞘ごと剣を引き抜いて執事へ手渡した。


「預からせていただきます。では、こちらへ」

 

 護衛の存在を許容してくれたことに、ホッと息を吐くと背後から「想定済だ」と囁かれた。

 目に見えない武器は持っているということか、と理解して、小さく頷いてから足を進める。

 大げさだなと思っていたが、これほど心強いとは――心の中で深々と感謝した。



 執事から入るよう招かれたのは、応接室のようなところだった。

 玄関ホールから歩いてすぐの場所で、入り口から室内へ目をやると、対面の壁に大きな花束を描いた絵画が目に入る。金で縁取られた分厚い額で掛けられているそれは、赤と青の激しいコントラストで描かれている。応接室であってさえ心の平穏を与える気のないセンスに、溜息が出そうになるのをこらえた。

 

「やあ、ルシア嬢」


 暖炉を背にした三人掛けソファから立ち上がったのは、濃いグリーンのジュストコールに茶色いベスト、白いブリーチズを身に着けたブリアック侯爵ご本人。ジャボと呼ばれる白いフリフリのタイに、大ぶりエメラルドのブローチが眩しい。右手の人差し指にも、金色の指輪が光っている。

 

「ご機嫌麗しゅう存じます、閣下」


 カーテシーをすると、エスコートのためつかつかと歩み寄り、右手を差し出される。

 断る理由がないので素直に従うものの、ぎゅっと掴まれた手袋越しにも感じる自信と傲慢さが、背中の毛を逆立たせた。

 

「楽にしてくれ」

「ありがたく存じますわ」


 対面に腰かけると、すかさず先ほどの執事がお茶の用意を始めた。メイドが見当たらないことが不思議だが、タウンハウスには最小限の配置しかしていないのかもしれない。

 背後に立つジョスランは、殺気を収めてくれている。


「そう警戒しないで欲しい。今日は特別なお茶を用意したよ。気に入ってくれたら良いが」


 ちろりとブリアック侯爵はジョスランに視線を投げてから、再びわたくしに戻す。


「ハーブのような香りがいたしますわね?」

「少し珍しいものだ。体の芯が温まる」

「春とはいえ、肌寒い気候ですものね」

「その通り。もう少し暖かければ、自慢の中庭を見せられたのだが」


 熱い視線を投げかけられて、戸惑うしかない。

 緊張からか喉がカラカラに渇くので、ありがたくお茶を一口飲んでから、口を開いた。

 

「わたくし、閣下とはお話したことございませんでしたけれど。そこまでお求めになられる理由が分かりませんわ」

「以前からその美しい黒い瞳をひとりじめしたいと思っていた」


 ――いきなり、砂糖吐き出したぞ。


「近くで見ると余計に神秘的だな。髪色もまるで夜の闇のようで、無意識でも魅入られてしまう」

 

 ――ちょっと何を言われているか分からない。


「婚約前の顔合わせと聞いているが。この私の情熱を直接感じれば、帰ろうなどとは思わないはずだよ」


 ――じょうねつ……体の芯が、あつくなる……


「なあ、ルシア嬢」

「……そこまで想っていただけるだなんて。光栄ですわ」

「ここではなんだ、仲を深めたい」

「は……い」

「そのお茶を飲んだら次は、私の部屋へ案内しよう」

「ええ……」

 

 素直にティーカップの中身を飲み干すわたくしを、ブリアック侯爵がにやにやと見つめている。

 わたくしがかちゃりとソーサーをテーブルへ置いたのを見計らい、彼は鷹揚にソファの背もたれへ背を預けながら言った。


「そこの物騒な護衛、帰って良い。ルシア嬢は私のものになった」

「!?」

 

 赤と青。

 握った手。

 ハーブの香り。

 甘い言葉。


「なるほど。よくできた『呪い』ですわね」

 

 意に反して毅然と立ち上がるわたくしを、侯爵は不思議そうな顔で見上げた。信じられないものを見ているような顔をしているのが、少しおかしい。


「残念ですが、仲を深める気はございません。きっぱりとお断りしに参りました」

「な、んだと」

「わたくしに、は効きません。こちらのお茶は、意識をもうろうとさせる、神経毒の一種ですわね。純潔を奪い、無理やり婚姻し、腹に子が宿れば母体ごと殺す。そんなことをしても……死者は蘇りませんよ」

「なん……なにを……」

「ルシア嬢!?」

「誰に言われたのです? まさに悪魔の囁きですわね」


 ブリアック侯爵は、妻をめとる前に母親を亡くしている。子煩悩で有名で、どんな夜会も年頃の女性ではなく、母親を連れていた。

 そんな親孝行な侯爵が、と周囲が嘆いていたのをお見舞い係として働いている間に、小耳に挟んだのだ。


「お母様は、冥界へたれたのです。見送って差し上げなければ」

「っるさい! うるさい! 貴様に、なにが! わかる!」

 

 激高する侯爵に気を取られて、執事が剣を構えたのに気付くのが遅くなった。

 老紳士とは仮の姿だったらしい。みるみる若返り、剣を構える姿は素人ではない。


「処女の体でも、良いぞ!」


 

 ――あ、斬られる。


 

らせるかよっ!」


 ガキン、と左腕の小盾でもって刃を止めたジョスラン様が、兜を脱ぎ去ってその顔を表に晒すと、執事は目を見開いた。


「な、剣狂けんきょう……!」

「ははあ。後ろの奴ら、てっきり侯爵を恨んで周りをウロウロしてるのかと思ったが……お前を殺したがっていたのか」


 それを聞いたブリアック侯爵が目を見開くのに、剣狂はさらに追い打ちをかける。


「不思議だった。恨みの割に、本人が病んでないからな。それも見越していたのか、ルシア嬢」

「ええ。普通なら取り殺されていてもおかしくはない。ならば何か訴えているのではないかと……オン マリシエイ ソワカ」


 いまや土気色の顔をした侯爵に、今までのような活力はない。わたくしが真言で彼らをしたからだ。強い思いは、必ず応える。術とはそういうものである。

 

 今、目の前には無念そうな女性三人と、その腹の中の小さな命が見えている。

 

「哀れなお方。お母様を愛するがあまり、妻とその子を手に掛けるだなんて……しかもそれは、この者の暗示によるもの」

「あん、じ……」

「執事の皮をかぶった悪魔の、最悪の儀式ですわね。そしてその目的は蘇生なんかじゃないですわよ。さしずめ、そやつの若返りか不老不死か」

「なん、だと!」

「フンッ」


 ぎぎぎぎ、と剣と盾で押し合っていた二人が、ドン! とお互いを膝や肘で押してから飛びのく。

 ジョスランが、隠し持っていた大ぶりのナイフを引き抜いて構え直す。わたくしはその背後へ回り、侯爵と執事から距離を取った。

 

「ゾランダー!」


 目を剥いた侯爵が、口角の泡を飛ばす勢いで叫んだ。

 

「今のは、本当かっ!?」

「長年つかえた私めをお疑いですか、閣下」

「……三回も! 失敗したではないかっ!」

「おやまあ。潮時でしたか」

「きっさま!」

「はは! 剛腕と名高い侯爵が情けない。さっさと母親と同じ場所へ逝けばよかったのですよ」


 どちらの言い分も身勝手過ぎる。

 どんなことがあろうと、命を蔑ろにして良い理由にはならない。

 そして。


「術を悪しきことに使おうだなんて。絶対に許さない」


 わたくしは、ジョスランの背後で構える。

 右手の人差し指と中指を立て、剣に見立てる。左手は、鞘だ。


臨兵闘者皆陣烈在前りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん

 

 九字を切る。切るのは、悪しきもの。禍々しい欲。身勝手な力だ。

 すると、しゅわわと音を立てながら、執事がみるみる干からびていく。


「ぎゃあああああ!」

「!?」


 目は落ちくぼみ、眼窩がんかから目玉がぼろんと出て、じゅわじゅわと肉が溶け絶命していくのを、侯爵が愕然としながら見ている。

 一方のジョスランは、舌打ちした。

 

「ちっ、いにしえの魔法使いだったか」

「ええ。魔力の残骸にすがる、哀れな者たち」

 

 人間から魔法が失われて久しいものの、ごくごく一部残った力を欲のために使おうとする者が、後を絶たない。

 ジョスランのように『見える目』を任務で使うような、善良な者だけではないのだ。

 それらを適切に滅していくのも、宰相から頼まれた、お見舞い係の仕事のひとつであったりする。


「さて。侯爵」

「……ああ、あああ」

「呪いを解いて差し上げましょう」


 今にも床に膝を突きそうな侯爵へ近づき、ぐいっと肘を持って身体ごとこちらへ向かせた。

 

「おい、ルシア!」


 骨と皮だけになった執事を警戒しながら、ジョスラン様が間に割って入ろうとするのを目線で止める。

 

「閣下。わたくしの目を見て」

「あああぁ」

「……六根清浄ろっこんしょうじょう急急如律令きゅうきゅうにょりつれい

「うぅ、ううう」

「大丈夫。皆様、正しい道へと歩み始めました。悔いなく逝かれるよう、見送ります」

「うん。うんんんん」

「さ、あなたさまも……思いが満ちるまで、待ちますから」

「ああ、ああああ」


 侯爵はがくりと膝を床に突け、全身で泣き始めた。

 

「……甘いとお思いですか?」


 わたくしは、ジョスランから呆れの空気が漂っているのを感じて、居心地が悪かった。


「いいや。優しいと思っている。心配なだけだ」

「っ」


 ドキン! と心臓が跳ねた。


「ッハアア!」

「あ!」


 一瞬の隙をつかれ、煙状になった執事がつむじ風のようになって、窓の隙間から外へ出て行ってしまう。


「……わたくしとしたことが……先に封印すべきでした……」

「いや、俺も油断していた、すまない」


 ついに床に臥せって慟哭どうこくする侯爵を、どちらからともなく肩を寄せ合い、見守った。




 ◇




 報告のため、いつものように王宮にある宰相執務室を訪ねると、執務机の上に両肘を突いた閣下にニコニコと迎えられた。

 その平和そうな笑顔に多少なりとも苛立ったのは、許していただきたい。

 

「今回は本当に骨が折れましたよ、宰相閣下」

「うむ。ご苦労」

「たった一言で済ませられて……お気楽で良いですね~」

「ルシアのは珍しいな」

「失礼をいたしました。……でも、縁談を邪魔しないあたりでもう色々気づいてらしたのでしょう? 少しぐらい言ってくれても」

「予断は禁物、が口癖だろう?」

「ふぐ」


 やはり宰相となるからには、食えない人物でなければならない決まりがあるに違いない。


「それでだな、別の縁談が来ているんだが」

「は?」


 さすがに、あからさまにイラッとして、伯爵令嬢らしからぬ態度になってしまったのは許していただきたい。


「ルシア。そう目で殺そうとするな。本当にできそうで怖い」

「やろうと思えば」

「うひぃ。そう言わないでくれ」

「お相手は?」

「子爵位なんだが、名誉称号持ちで」

「ということは伯爵位と同等ですね」

「うん。あと強い」

「はあ?」

「信頼も厚く良い男なんだが、ちょっと目の色が変わっている」

「……」

「人に見えないものが見えるらしくてな。ルシアにぴったりではないかと」


 ニコニコしている宰相閣下を、本当に呪ってやろうかと思った。


「そう怒るな。デートに誘ったけど気づいてもらえないぐらい鈍感だから、色々すっ飛ばして婚約を申し込むことにしたらしいぞ」

「はあ!? あれ、デートの誘いだったのですか」

「……ルシア。これ以上ない相手だぞ」

「それはそうでしょうけど」

「! 今、うんって言った! よし。サインした!」

「はあ!? ちょ、叔父様っ!」

「はっはっは! これ、陛下もサインしてるからな~破ったらダメだぞ~~~~」

「なんで陛下が!?」

「だってジョスラン、王弟殿下の息子だもん」

「……初耳ですけど」

「隠してるからね」


 頭が痛い。もうほんと、勘弁して欲しい。


「今日は、もう休みます」

「明日も休んでいいぞ。ジョスラン非番だから」

「……」

 

 きっともう何を言っても墓穴を掘ることになると思い、無言でカーテシーをして退室した。

 すると、出てすぐのところにいるのが、ジョスラン様ご本人だ。


「なんだその顔。口が山の尾根みたいだぞ」

「色々言いたいことがありますけど」

「うん。明日聞こう」

「なんで明日!?」


 ――明日、ジョスランは非番。


「甘いものが好きと聞いた」

「好きですけど」

「馬で半日かかるが、とある小さな村に珍しい菓子を出す店があるらしい。しかも水が良いからか、茶もうまいらしくてな」

「なんという戦略。宰相閣下とお菓子を押さえるとは」

「ルシア嬢をめとるために、色々張り巡らせておこうと思っただけだ」

「まさか他にも……」


 にやりと紅色が細くなる。

 わたくしはどうやら、その目が好きらしい。いつも、吸い込まれるように見つめてしまう。


「楽しみにしていろ」

 

 呪いを祓うことはできるのに。

 剣狂に張り巡らせた罠を振り払うことは――どうやらできないらしかった。



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元陰陽師の伯爵令嬢は、呪いは祓えても求婚の手は振り払えないらしい 卯崎瑛珠@初書籍発売中 @Ei_ju

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