波寄せて行く君の影
保志零二
第1話
青ざめた空の下、防波堤を一匹の猫が歩いていた。夕陽が沈みかけているが弱まるはずの海風は一向に弱まらず海はいつになく荒れていた。そんな海を見ながら猟師はため息をついた。84日間も何の獲物も狩れていない。彼は山に嫌気がさして海を見にきたのだ。猟師だから魚を釣ることはできないが、荒ぶる海になにか心を惹かれていた。
猫がニャーオといって彼に近寄ってきた。彼が猟師であるとも知らずに。猫一匹を捕まえたところで何にもならないと猟師は猫を撫でた。懐かしい猫の毛並み。彼はその毛並みを子供の頃いつも撫でていた。愛していた記憶というのは、最後まで残っているらしい。
猟師は今一人だ。
雷鳴がなった。海に閃光が響いて、彼の心は壊れた。海はただのゴミ捨て場に見え、彼は諦めたように山へ戻った。山にももう生き物はほとんどいないだろう。あるのは散乱したプラスチックのゴミだけだ。
昔はこうではなかった、はずだ。たしかまだ動いている生き物がいた。川は力強く流れていたし、秋になればあたりは赤く染まった。猟師は回想にふけらずにはいられなかった。彼の記憶はもうこの山にある川のように枯れ果てているというのに。
断片的な記憶の中で猟師は昔というものを考えていた。この山で猟師として生きると決めた時から捨て去っていたものを、必死に取り戻すかのように彼は思いを馳せた。
あのころは、家に帰れば、そうだ、家があったんだ、誰かが迎えてくれた。一緒に獲物や山菜を焼いて食べた、その味はもう思い出せない。誰か、の顔も思い出せない。
あの家があった場所は今はどうなっているのだろうか。もう家は潰れて、苔でも生えているだろう。家への行き方も忘れてしまったようだ。
あの日、全てが変わった。とめどない雷鳴が鳴り響き、全ては消えていった光のように跡形もなく無に帰した。そうだ、全てがあの日からだ....
猟師はある一日のことを考えた。彼が全てを失った日。全てが変わり今のようになった日を。あの日と同じように猟師の上では雷鳴がとめどなく響いていた。
荒ぶる波、その間に雷が落ちた。波は雷の熱で蒸発するかのように、小さな凹みができ、その周りを波が回っていった。小さな波はやがてより集まって大きな渦となっていった。
さらに大きな雷鳴が落ちた。さっき漁師と猫がいた堤防だ。堤防は音を立てて崩れ、辺りには火花が散った。山の中腹からそれを見た猟師はただ立ち尽くした。火花は枯れた草木に移り、山を覆う炎となって猟師以外生き物のいない山を包み込んだ。猟師は錯乱の中で気を失った。
炎はより一層うねりをあげた。そこにに海から巨大な波の渦がきて、山を飲み込んだ。
波寄せて行く君の影 保志零二 @hosi_1001
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