僕らは一歩、踏み外す

彼理

義務と挑戦と復讐と

今日も図書室の片隅で

人は誰しもが、自分自身のすべき事を自覚するべきではないと僕は思っている。近所の、部活動が盛んなそれなりの進学校に通う、高校二年生でしかない僕ではあるが、この持論は全てではなくとも、ある程度は正しいのではないかと考えている。人は生を送っていく中で、無意識に道を通っている。無意識に歩いているからこそ、人はそこを踏み外さないでいられる。そして最終的に道を歩き終え、死に至る。歩いている途中で誰かの道に交わり、落ちてしまう事もありうるけれどね。

だけれど、そこに道があること、道筋を自覚してしまえば自覚する前のように歩くことは出来なくなる。完全に踏み外し、終わるとまでは言わないけれど、自分自身が抱いてきた価値観というか、未来というか、それが変わり果ててしまう。

僕は高校に入り、先輩が入っていた部活に入った。そこで妙な活動を始めて、少しづつ踏み外していった。結局、一歩踏み外すことになってしまったけれど。

でもそれは、決して悪いことだけではなかった。だから僕は自分の持論を全肯定なんかしてないし、何なら少し疑ってすらいる。

先輩と出会い、彼と出会い、彼女と出会った。静かな友も出来た。あの二人を育てた。幼い頃に知り合っただけの奴とも再会した。信頼している教師と、尊敬している警官と、もう一度だけあってみたい小説家と、嫌なコンビニ店員とも話し、彼らの生き方を知った。中学の頃に仲良くなった二人の考え方も知れた。

その結果がこれなんだとしたら、今の僕もこれからの僕も、決して後悔はしないと思うよ。


市立羽場はば高校の図書委員以外は僕ら以外客がいない図書室で、僕は机を挟んで向かい合っている後輩にそう言った。左を見る。姿見とその奥にあるカウンターが見える。カウンターには僕の知り合いの図書委員がいる。どこを見渡しても、見える人の姿は後輩と、図書委員のものだけだ。

静かな図書室。普段から生徒は少ないが、今日はなおさら無理もないとは思う。今日は月曜日で、先週の金曜日が一学期の始業式だ。新入生は来るはずもなく、二年三年も新たなクラスメイトや新たな体制に対応しようとしている頃だろう。図書室に足を運ぶ余裕もなく、あったとしても一学期の初めから図書室に向かうような奇特な生徒など、僕と今いる図書委員ぐらいしかいない。

が、僕のこの説明は一部矛盾している。今現在、僕は来るはずもない後輩と会話している。初めて出会ったはずの先輩相手に、無邪気に話しかけ、図書室に誘ってきた。今も無防備に相好を崩している。そんな彼女は、不遜にも僕にこう言った。


「なんか、話してもらおうとした内容と違いません?」


「出だしだよ。小説で言えば書き出し、かな。僕の人生観というか、考え方を少しは知ってもらっていたほうが、話もスムーズに入ってくると僕は思うけどね」


尖らせていた口を元に戻す。少なくとも、表面上は納得してくれたみたいだ。そして、後輩は勢いよく言葉を発した。


「先輩、名前濁してますけど私大体その人たちの名前分かりますよ?私が、というかみんなですけど。例えば、その育てた二人とか…………」


「別にいいでしょ。どうせ今から話していけば、全部誰の事を指しているのか分かるよ」


「それもそうですね」


僕は一度沈黙する。そして、図書室を見渡す。お勧めの本コーナーには今、『舞姫』だとか、『坊ちゃん』だとかがある。『走れメロス』もあったが、逆さまに置かれている。後で直しておいた方がいいだろう。カウンターで春休みに搬入された本を整理している図書委員と目があった。どちらからともなく目を逸らす。逸らしながら、そういえば、もう彼女は図書委員ではないのかとも思った。そして流れるように、彼女はまた図書委員に立候補するだろうとも思った。委員会活動など面倒くさいから僕はやろうとは思わないけれど。

そして、視線を正面に移す。後輩。彼女の背後にある窓を見ると、羽場市の風景が広がっている。それなりに開発が進んでいる町であることは確かだ。学校の近くにあるデパートも見える。

さて、そろそろ始めるとしよう。やるべき事はあと一つだけ。それを済ませれば、後は話すだけでいいだろう。


「何で、僕の話を聞きたいって思ったんだい?」


「先輩って有名人じゃないですか。そんな人の話を聞きたくなるのは当然じゃないですか?」


「建前はいいから」


僕がそう言うと、彼女は少し考えるようなそぶりを見せた。そして、すぐに答えた。


「まだ秘密です」


「そ」


「なら、推理してみてくださいよ。先輩、探偵なんですよね?」


「探偵…………まあ、みんなそう呼んでは来るけれど、僕はその肩書を認めたわけじゃないよ。僕はあくまで無職の学生。探偵なんて大層な職業は背負っていないんだよ」


この否定の言葉も、何度言った事か分からない。もはや定型文と化している言葉を口にしながら、こんな新入生にもその話は伝わっているのかと諦めのような感情もどこかから湧きあがってくる。それにしても、推理か。この後輩が、何故僕に、僕の過去を話すように頼むのか。

推理するにはピースが足りていない。肝心なピースだけではなく、そのほかのピースですら。今の僕は、それについて考えるべきではない。一応、思い当たる節がないではないけれど、確証は持てない。

さて、僕がしておきたかったことは、既に済ませた。もうずいぶん待たせてしまっただろう。


「…………じゃあ、話し始めようか」


「はい、お願いします」


ふっ、と息を吐く。思えば、僕は自分の過去を人に垂れ流すことなんて、あまりしない。だが僕は彼女に自分の過去を話すべきなんだと、そう思った。それが、思い当たる節、だ。

無意味になるかもしれない。でも彼女の言い方は。まあそれが、偶然である可能性の方が高くはあるのだけれど、何なら、偶然と考える方が自然ではあるのだけれど…………まあ、直感を否定することは自分自身にだってかなわない。

どんな出だしにしようかと考える。そして結局、こんなチープな始め方になった。


「四月十一日月曜日、僕は退屈な説明を聞き終えて、部活動見学に向かっていた」












四月十一日月曜日、僕は退屈な説明を聞き終えて、部活動見学に向かっていた。金曜日に入学式を行い、今日適当な行事などを済ませる。ここしばらくは、授業ではなくそう言った日々が続くのだろう。


今、僕は部活動見学に向かっている。この学校は部活動が盛んなようで、様々な部活がひしめいている。無駄にある資金を費やして創られた部活棟というものがあるほどだ。まあこの説明からは文化系部活が盛んなのだと思われるかもしれないが、運動系部活も負けてはいない。野球、サッカー、バスケなどの球技を始め、剣道、柔道などの武道も熱心に行われている。僕は今、渡り廊下を通って、部活棟から芸術棟に移る。芸術棟にも、文化部は部室を置いている。吹奏楽部、軽音部、美術部の三つだ。どれが強い、というのは不謹慎かもしれないが、吹奏楽部の勢力の大きさを無視することはできないだろう。美術部は一階の美術室、軽音部は第二音楽室が部室なのに対し、吹奏楽部はそれ以外の箇所を自由に使っているのだ。


これこそが、実績の違いというやつなのだろうか。それとも、部活に対する気力の違いなのだろうか。事実、軽音部と美術部は同好会のようなもので、大会で演奏したり、大会に形だけ作品を提出したりしているものの、全力を注いではいないらしい。その点、吹奏楽部は俗にいえばガチ勢の集まりのようなもので、数多くの大会で良い成績を残しており、世間的にも有名だ。


芸術棟のどこを歩いていても、部活動の時間は吹奏楽部の演奏の音がするとは聞いていた。話に聞いていたよりも音が大きく、驚いている。美術部と軽音部は同好会だとしても、まともな活動が出来るのだろうかと心配になる。が、心配するだけだ。行動に移そうとはしない。一階をまっすぐ進み、途中右に曲がる。しばらくすると、棟と棟を繋げる渡り廊下が見えてきた。僕はそこを歩いて、教育棟に入る。しばらく歩くと、吹奏楽部の演奏の音は、さっきと比較して小さくなったように感じる。歩きながら、部活棟の事を思い出した。


部活棟にある部活はまさに同好会といった感じだ。事実、ある程度の実績さえ継続してしまえば、部活として認められる。クイズ部、けん玉部、カードゲーム部、ボードゲーム部のようにわかりやすいものもあれば、検定部という名前だけ見ても、何をするのかぱっとは分からないような部活も中にはある。ちなみに、検定部は世の中にある検定を取りまくる部活らしい。が、そんな魔境ではあるが、部活動に対する熱量は運動部や吹奏楽部の追随を許さない。

通り過ぎたけん玉部には驚かされた。けん玉をやっているだけのはずなのに、ハァッ!とか、セイッ!とかいう掛け声が聞こえてくた。まあ、元気なのはいいことだとは思うけれど、部活の時間は何時間もある。そんなテンションで持つのだろうかとも心配になった。

クイズ部の部室も横切った。どの部室も締め切っているので様子は分からなかったけれど、ピコーンという音が聞こえた。続けて、『グレシャムの法則』と誰かが答える声がした。ピンポーンという音が続けてなっていた。どうやら、正解だったらしい。その法則は何だったか。経済に関わる法則だったような気がする。悪質な通貨ほど出回り、良質な通貨ほど貯蓄されていくと言ったものだった気がする。僕は知識量には少し自信はあるけれど、クイズとなるとどうかは分からない。あれは単に知識量を競うものではないような気もするから。まあ、僕が入るのはクイズ部ではない。考える必要はないだろう。


階段に辿り着いた。僕は二階に上がる。僕の用は三階にある。二階の観光はせずに、そのまま三階に上がる。実に大きな建物のようで、四階もあるらしいが、今行く必要はないだろう。僕が今向かっている部は、何をやっているのかよく分からない部活ではあるのだ。正直行きたくはないが、行かなければならない理由がある。まっすぐ歩いていき、三階の最果てのちょっと手前に辿り着く。

図書室。教室の名前を示す板にはそう書かれていた。そして、そのちょっと下。そこには無風部と書かれている。僕はしっかりと、目的地に来ることが出来たらしい。

ノックしててみるが、返事は帰ってこない。僕はそのまま、図書室の扉を開く。



この学校の図書室は随分広いようだった。見取り図を見てから来たが、それでも驚愕だ。上から見れば、巨大な長方形の形になっている。今僕が入ったところからみて、奥の方にカウンターがある。そこには誰もいなかった。それはそうだろうと思った。近くにはお勧めの本コーナーというのがあった。人気の本や、前年度図書委員がお勧めしたい本が多く置かれているんだろう。『源氏物語』に『貧窮問答歌』。歴史好きでもいたのだろうか。よく見てみれば、伝承シリーズや二十四節気シリーズ、病症シリーズの一巻が置かれている。あの人の本は、どこでも人気なのか。

そして、ここには沢山の机と椅子があった。机一つあたり、六つの椅子が配置されている。そして、一番奥の机。六つの席のいくつかが埋まっていた。僕はそこに近づいていく。そして、その机の隣に着いた。右手側に羽場市の風景が広がっている形になる。

…………?机のすぐそばに姿見があるな。何に使うのだろうか。分からないが…………近づいてきた僕を見て、知り合いが反応を示す。


「おお、ようやく来たのか!」


知り合いであってほしくない男子生徒が、大きな声を出す。他には誰もいなさそうだが、マナーは守れ。そして、全員の顔がこちらに向かれる。

机に配置されている席は三つずつ向かい合うように置かれている。窓際の三つは知り合いであってほしくない男と、知り合いの女子生徒と僕を呼んだ先輩が座っている。そしてその向かい側の方の席を見る。

知らない女子生徒が座っていた。そして、少し奥の方に視線を移す。何の感想も湧かない顔だ。

今ここには、一年生三人と二年生二人がいるらしい。僕はとりあえず先輩に言う。


「遅れてすみません。無風部って、何する部活なんですか?」


「あら、来たの。遅かったわね」


「少し部活棟に用事があって」


僕の弁解を聞いた後、質問に、先輩は答えた。


「学校の波風を収める。相談所とか、探偵事務所とかそういうイメージよ」


続けて、とりあえず座ってと言われ、その机の隣の机の椅子の一つに座る。だが、活動の大まかな内容は分かったが今は何をしているのだろうか。ほとんど何もしないからとは聞いていたが、ただ座っているだけなはずはない。そこにいる男は、じっとしていると死んでしまうような男なのに。

僕は今、現在進行形で何を行っているのかを把握する。その僕の推察を確定づけるかのように、先輩は言った。


「この子は、今日の相談者よ」


僕の知らない女子生徒。彼女はリボンの色を見るに先輩のようだ。彼女は、こちらににこりと笑いかけ、話し始めた。


「じゃあ、ハルちゃん。ごめんね、新学年になって早々」


「いいわよ。元々いつでも活動を表明してるんだし」


「ありがとね」


というか、先輩はハルちゃんという可愛らしい呼び方をされているらしい。というか、この会話からして、相談者と呼ばれた女子生徒と先輩は元々親しいらしい。だからこそ、こんな一学期の初めから相談に来てるんだろうけれど。

…………可愛らしい呼び方と形容したけれど、思えば僕も委員長からハルと呼ばれているな。自分が呼ばれているときは可愛いとは思わなかったから、『ちゃん』という敬称のお陰か、それとも先輩の印象のお陰だろうか。

そんなことを考えていると、女子生徒は相談内容を口にした。


「無くなった学校の備品を、見つけて欲しいの。できれば、無くなった理由も」


「無くなった学校の備品…………?」


思わず呟いてしまう。


意外と難易度が高そうだな。流石に断るんじゃないだろうか。学校の備品、という言い方からして一つのものではないような気がする。もし一つのものを探してほしければ、その一般名詞を言うはずだ。そして、無くなった理由。それがただ無くしてしまったとかではなく、まあ確率は低いだろうが誰かが盗んだとでもなれば、この問題の解消はさらに難しいものになる。

どうやら二人も…………いや、あいつはワクワクしてそうだな。僕の知り合いの内、まともな方は僕と同じ考えを持っているらしかった。

だけれど、先輩は僕の予想を裏切った。


「分かったわ。無風部はその依頼を請け負います」


僕の、恩を返すために無風部に入るという決断は間違っていたのかもしれない。





「これが僕の無風部としての初めての活動で、道を自覚し始めたのはこの時ぐらいからだ」


今日も風は吹いていなかった。吹奏楽部が奏でる演奏が、微かに耳に入ってくる。図書委員のあの子は今日も静かに本を読んでいる。

あいつは家でまた何か変な事を考えているのだろうか。

彼女はもうとっくに下校しているのだろうか。

先輩は将来の事を考え始めているのだろうか。

委員長は今年も委員長になるのだろうか。

二人は寂しくしていないだろうか。

彼は部活棟でピアノで音を奏でているだろうか。


ああ、いつから僕はこんなにも人の事を考えられるようになったのだろうか。無風部になり、変なことにばかり巻き込まれ、人間関係を知り、推理をした。

今思えば、楽しかった。そして、そんな日々は少なくともあと一年ほどは続いてくれるだろう。


「先輩は、もし戻れるなら、一年生の頃に戻りたいですか?」


「それは記憶を保持したまま?それとも、記憶は消して?」


「記憶はあるままです」


それなら、当然。僕が後輩に答える言葉は決まっている。


「推理してみなよ。僕がこれから話す、僕の一年間を聞いて」


「…………分かりましたよ。お試し探偵です」


僕も探偵じゃない。そんな言葉は喉の奥で止めておく。そして僕は中断した話を再開する。


「反対をしても意味はないことを知っている僕は、テンポよく進んでいく会話をただ眺めていることしかできなかった」

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