二学期が始まって

 二学期が始まり、学業に仕事に稽古にと慌ただしい日々を送っていた。


「よし、今日の稽古はここまでにしよう」

「はーい! ふわぁ……疲れたー」


 絢さんとの朝稽古も新しい段階へと突入し、俺が指定したお題でのエチュードをやるようになった。

 エチュードは元々やるつもりだったけれど、それはまだまだ先の予定だった。

 しかし、この前のオーディションで絢さんの強みは感情演技、そしてメソッド演技だとわかった。

 だからエチュードで絢さん自身の想像力を伸ばそうと考えたのだ。

 ちなみにメソッド演技のほうはまだ手をつけていない。

 というか、これを俺が指導していいものか迷う。

 メソッド演技自体は俺も知識は持ってるし、それを活用して演技することもある。

 しかし、それは今までの経験と知識があり、その技法を使う場面を決めている故できることだ。

 メソッド演技は自身が演じる役を徹底的に掘り下げて、役の経験や感情を追体験し、より自然な芝居を行うという技法である。

 その手段として、自身が元々体験したことのある経験や感情を呼び起こして役にトレースさせたりすることだってある。

 似た経験を思い起こし、その時はどんな感情だったか、どんなことをしたのか、どんな声がでたのか、どんな身体の反応をしたのか、それを役として憑依させ、より自然で説得力がある芝居をできるようになるのだけれど、それにはデメリットが伴う。

 それは役者自身にとてつもない精神的な負荷を掛けるということだ。

 役作りのために自分の内面を掘り下げるのは簡単なことじゃない。

 楽しい記憶だけならまだいいかもしれないが、辛い記憶や悲しい記憶といった自分のトラウマとも向き合わなければならないのだ。

 そのせいで世界的なトップスターや熟練の役者でも心身ともにボロボロになり、その結果アルコールや薬物に依存してしまうこともある。

 それだけじゃなく、役と自分の境目がなくなってしまい、今までの自分に戻れなくなってしまうなんてことだってあるのだ。

 だからこの技法はなるべく使わないようにしてほしいと思っている。

 この前のオーディションでも芝居が終わったあと、すぐには完全にこっちに戻ってこれないような雰囲気があったから。


「うーん、どうすべきかなぁ……」

「うん? なにが?」


 汗を拭いて、帰る準備をする絢さんを見つめながらふとそう零した。

 蝉の声はまだ聞こえるものの、早朝の静かな時間帯、故俺の言葉が絢さんに届き反応する。


「ああ、いや、これからの稽古の指導方針どうするかなぁと思って」

「えっと、エチュードの練習やり始めたばっかりなのにもう次なの?」

「それはそうなんだけど、絢さんに教える内容を今から考えておかないとと思って。一応絢さんに向いてる演技プランの検討はついてるんだけど、それを現時点で教えるのは難しいからさ」

「え、なになに!? 知りたい知りたい!」


 生きのいい魚のようにぐいっと食いついてくる絢さん。


 やっぱり気になるよなぁ。


 俺もはぐらかせばよかったんだけど、今の彼女に隠し事してもすぐにバレそうで……。

 それに絢さんが自分で芝居のことを調べてメソッド演技を知った時、自己流で試しそうだし、それなら先にメリットとデメリットを俺から伝えておいたほうがいいだろう。

 彼女は素直だし、俺がしっかりと話せばちゃんと聞いてくれるはずだ。


「うーん、そこまで知りたいなら今度の座学の時に話すよ」

「本当!? わー、楽しみ!」


 まあ、これから俺がちょっと忙しくなるから、お互いがオフの日となるともう少し先になるんだけど。

 来月には体育祭もあるし、そのためのリスケで今月はなかなかにハードだ。

 だから次の座学は早くて来月になりそうなので、その間に何を話すか、どう話すかを纏めておこう。


「はい、じゃあもう解散しようか。じゃないと学校に遅刻しちゃうよ」

「あ、そうだね! 今日もありがとう唯くん!」


 そして俺と絢さんは並んで公園を出ていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る