絢の評価

「さて、ケーキでお腹も膨れたところで、今日のオーディションの審査員からの評価を伝えようかな」


 買ってきたケーキを全て平らげて、絢さんの気持ちも落ち着いたところで俺は話を切り出した。


「うっ、ちょっとドキドキするけど……。でも、うん、受け止めるよ」


 絢さんは少しだけ顔を引き攣らせたけれど、すぐに気持ちを切り替えて聞く姿勢に入る。


「よし、じゃあ話すよ。まずは審査員の評価だけれど、絢さんが思っているほど悪くはなかったよ。なんなら絢さんも合格にしようって話も実は出てたんだ」

「えっ!? そうなの!?」


 合格者が少ないオーディションなので、合格ラインに乗っている人物をどうするかだけの会議だった。

 なので、大半の参加者は名前もあがらずに落選が決まる。

 その中で名前が挙がった絢さんは十分に誇っていいと思っている。


「なぜ技術面で他の参加者に劣る絢さんが合格ラインに乗ったのかだけど、まずはビジュアルだね。顔立ちもよくてスタイルもいいからモデルのほうで売り出そうという意見もあったんだ」

「モデルかぁ……。褒めてもらえるのは嬉しいけど……」


 嬉しいやら少しばかり不本意やら、複雑な表情で唸る絢さん。

 彼女がただ単純に芸能界に入りたいってだけなら俺もその意見を推したけれど、彼女は役者になりたいために芸能界を目指している。

 だから俺は特別に推すことはしなかった。


「だよね。だからそれはいったん保留として、次は役者としてどうかって議題に移ったんだ」

「っ!!」


 そして本題である役者としてという話に移ると、絢さんは背筋を伸ばして居住まいを正した。


「やっぱり技量は水野さんと比較されてまだ未熟だって結論だった」

「まあ、そうだよね」

「でも、演技経験が皆無で稽古を始めてまだ数か月。それであそこまでの芝居ができたってことは凄く評価されてたよ」

「本当!? すっごく嬉しい……」


 そう伝えると絢さんは口元に両手を当てて目を輝かせる。


「だから素質は認められたんだよ。でもこれから伸びるのかどうなのかっていう話になって、とりあえず次のオーディションまで様子を見てみようという結論に至ったんだ」

「次の?」

「そう。芝居を始めて数か月。光る物があるとわかった上での伸びしろを次のオーディションでみようってこと。もちろん、絢さんに次のうちの事務所のオーディションを受ける意欲があればだけれど、もし受けてくれれば、他の人よりアドバンテージはあると思ってもらっていい」

「でも、想定していた伸びしろを示せなかったら一気に見放されるってことでもあるよね」

「そうだね。デメリットもきちんとわかってるなら俺から口うるさく言うことはないね」


 彼女が言った通り、初心者ゆえのアドバンテージは次のオーディション次第ではデメリットに変わってしまう。

 伸びしろがない、思った以上の素質じゃなかったと判断されれば、その後は書類で落とされるか、役者とは別の道を用意されるかの二択になってしまう。

 それはうちの事務所を受けるのならという言葉が付くけれど。

 だから、準備するしかない。

 自分の可能性を見せるために。


「とりあえず、次のオーディションがいつかは未定だし、それまでに俺が教えられることはできる限り伝えるから、もっと磨いていこう。あとはエキストラの仕事とか募集していればやってみるのもいいかもね。プロの現場を直で見れるのは大きいし、勉強にもなるから」

「エキストラ? あれって一般人でもできるものなの?」

「できるよ。探したら一般の人でも募集してるし、事務所や劇団に所属してれば話を貰えるし、あとは制作や業界の人と知り合いなら呼んでもらえるし」


 実はバイトの情報サイトでも時々載っていたり、映画の撮影とかならそこの地元の人たちから募集したりもする。

 だから意外と探せばあるものだ。


「でも、それって結構難しくない? 情報サイトの募集だと倍率とか高そうだし」

「まあそうだね。でも、絢さんの前にいる俺はどういう人間かわかってる?」

「え……あ、そっか」

「そう。一応俺も芸能人の端くれだからね。今後の現場でエキストラ募集してるところがあればそれとなく話持ってくるよ」


 まあ、事情を知ってる咲さんに話を通してもらう形にはなると思うけれど。

 こういう縁を上手く活用しなきゃ、チャンスは掴めないからな。

 それにもしエキストラで顔を覚えてもらったり、業界の人と繋がりができればなにかと有利だし。


「じゃあその時はよろしくお願いします。何を差し置いても参加させてもらうので!」

「オッケー。とりあえず今日の総括はこんな感じかな。あとは明日からの稽古は基礎をメインにするとして、少しずつ応用も混ぜていこう。今日の芝居を見て、絢さんの演技の方向性もわかったし、俺のほうでも稽古のメニューをまた考えておくから」 

「はーい! 私ももっと自分で調べて自主練しときます!」

「うん、よろしくね。っと、もうこんな時間か。そろそろ明日に備えて帰った方がいいね。途中まで送っていくよ」


 集まった時間も遅く、さらには結構話し込んでいたせいか、もう外は真っ暗になっていた。


「いやいや、唯くんもお疲れだろうし大丈夫だよ!」

「遅い時間に一人で帰したら心配になって逆に疲れるって」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 遠慮する絢さんだったが、強引に納得させて彼女を送ることにした。

 シャツから部屋着用のパーカーに着替えて絢さんと一緒にマンションを出る。

 そこからは二人で他愛のない話をしながら夜道を歩く。

 彼女の家までそこそこ遠いはずだけれど、話題は一向に尽きることなく、あっという間に彼女のアパートの前に到着した。


「唯くん、今日は本当にありがとう。ふつつかな弟子ですけれど、これからもよろしくお願いします」


 別れ際に絢さんはそう言って頭を深く下げてきた。


「こちらこそ。未熟な師匠だけれど、全力を尽くすから」


 俺もそんな絢さんに向けて、決意を新たに頭を下げる

 お互いにゆっくりと頭を上げて、顔を見合わせる。

 数秒見つめあって、どちらからともなく噴き出してしまった。

 畏まっていたことがなんだかおかしくておかしくて。

 一頻り笑って、今度こそ本当に彼女に別れを告げて家路につく。

 夏の終わり、夢に届かなかった一人の女の子と届かせることができなかった男は、後悔と己の無力を噛みしめて新たな道へと進む。

 しかし、今度は二人足並みを揃えて、もっと心を寄り添って。


 さて、新しい稽古の内容を考えなくちゃな。


 アパートからマンションまで、ああでもないこうでもないと思考を巡らせながら夜道を歩く。

 こうして、二人の長い一日は終わりを告げたのだった。

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