絢の出番
私の番号が呼ばれ、席を立ち、ステージへと向かう。
普段より少し早い心臓の鼓動。
ふわふわとした足の感覚。
歩きながらゆっくりと呼吸をして気持ちを静めるように努める。
しかし、ステージに立つとさらに鼓動が早くなり呼吸も浅くなっていく。
目の前が真っ白になりそうな時、んんっと咳払いが聞こえた。
その声の方を向くと、唯くんがすみませんと頭を下げている姿があった。
彼は他の審査員に謝った後、私のほうを向いて軽く微笑みを見せる。
「あっ……」
その顔を見て、小さく声が漏れる。
私が芝居をして、その様子を目の前で見ている唯くん。
これはいつもの稽古と一緒だ。
それに気づくと、心臓の鼓動も呼吸もゆっくりと落ち着いて、視界がクリアになっていった。
ふわふわしていた足も、今ではしっかりとその場に立てている。
よし、大丈夫。やれる!
私は一度大きく深呼吸をして、準備完了と手を上げて開始の合図をした。
審査員がストップウォッチを押したのを確認して、私はステージを走る。
「はあはあ。やっと見つけた」
息を切らす芝居をしながらセリフを喋る。
目の前に思い浮かべるのは稽古に付き合ってくれた唯くんの姿。
「なんでって、君のことが心配だったからに決まってるじゃん!」
このシーンは、傷心の彼を探してようやく見つけたところから始まる。
「関係なくないよ! 友達でしょ私たち!」
学校の屋上で座り込む彼に近づくが、拒絶の言葉を投げられる。
昔の仲間から心無い言葉を浴びせられ、誰も信用できないと閉じこもってしまった彼の心に届くように、私は言葉を紡ぎ続ける。
「お願い。一人でいいなんて言わないで。私は君と一緒にいたいの。またいつもみたいに君の傍で、君の笑顔がみたいの!」
感情が昂ってぽろぽろと涙が零れてくる。
稽古の時は一度も涙なんて流れなかったのに。
「君が辛いなら逃げてもいい。休んでもいい。でも、孤独にはならないで。君のことが大好きな人はここにいるから」
私があの時言われたかった言葉を、今の私が紡ぐ。
ドラマでこのシーンが流れた時、どうしようもないくらい涙がぼろぼろと流れたのを思い出す。
私の時は両親以外、私に寄り添ってくれる人はいなかったから、主人公からこんな言葉を掛けて寄り添ってもらえている彼が羨ましかった。
でも、主人公が言った『辛いなら逃げてもいい。休んでもいい。でも、孤独にはならないで』というセリフに私は救われたんだ。
私にとっては何かを辞めることは逃げだと思っていた。
学校に行きたくない、バスケを辞めたい、そうやって逃げてる自分が情けなくて、この先どうしたらいいかわからない暗闇のなかにいた。
でも、逃げてもいいんだよとそんな私を肯定してくれて、背中を押してくれたこの言葉がなかったら、私はバスケを辞めて役者を志そうとすることも、地元を飛び出そうとも思わなかっただろう。
だからこのシーンは私にとってのターニングポイントであり、私自身を掬ってくれた大切な作品なんだ。
私は跪いて、彼の手を両手で握る芝居をする。
「大好きだよ。誰よりも。私はずっと君の味方だから」
優しく心に寄り添うように語り掛ける。
稽古の時は言い方だったり、間だったり、視線だったり、色んなことを考えながらやっていたけれど、今はその一切を忘れて目の前にいる彼に私の感情全てを曝け出した。
最後のセリフを言い終わって、私は目を閉じて立ち上がり、ふぅっと息を吐きだす。
「以上です。ありがとうございました」
まだ半分役に入ってしまっているためか、気持ちがふわふわしている。
やっぱりまだ唯くんや桜ちゃんみたいにはなれないや。
自分の未熟を思い知りながらも、きちんと自分の芝居をやりきれたという達成感と充実感に溢れている。
しかし、その余韻もすぐに質疑応答の時間がきてかき消されてしまった。
今までの質疑応答を見てきて、その間に自分ならどう答えるかと考えていたので淀みなく答えることができた。
経験の少なさなど、少し痛い部分を突かれたこともあったけれど、それも自分なりの答えを言えたと思う。
唯くんはというと、腕を組みながら私の質疑応答を聞いていた。
何個かの質問に答えて、最後と思われる質問もしっかりと回答し、審査員が終わりを告げようと口を開いた。
「すみません。俺からもいいですか?」
しかし、それは唯くんによって遮られる。
彼は周りの他の審査員の人たちに断りをいれてマイクを持つ。
「お疲れ様でした。さきほどのフリーパフォーマンス、僕が以前出ていた作品のワンシーンだったので、当時のことを思い出しながら見させてもらいました。しかし、ドラマ基準の芝居なら、あそこで涙を流す演出はなかったはずですが、それはあなたが涙を流しながら相手に伝えるシーンだと解釈したと思ってもよろしいですか?」
いつもの稽古で指導してくれる時とは違い、私に淡々と静かに尋ねる唯くん。
それが私にはとても冷たく感じた。
「……いえ、元々は泣く予定ではありませんでした。そもそも、自分の意志で泣ける技術はありませんし、稽古の時でも私に指導してくれた人からはそういう指示はありませんでした」
しかし、それに気圧されてはいけない。
そう思って、唯くんの質問に毅然として答える。
「それでは何故? あのシーンで主人公が泣いてしまえば、涙で相手を繋ぎとめてしまう印象を見ている人に与えてしまいます。気持ちを相手に伝える時に感情が昂って涙が零れそうになったとしても、それを我慢して相手に寄り添える強さがこの作品の主人公の魅力でもありますし、だからこそ、この後のシーンで初めて彼女が流す涙に価値が生まれてくるんです。おそらく稽古の時もそういう指導をされたと思うのですが、何故本番になってプランを変えたのでしょうか?」
稽古の時から唯くんに言われてたことを、この場で再度告げられる。
唯くんからの指導を無視したことに怒っているのかな?
ううん、彼はこういう時には怒ったりしない。
ただ、純粋に何故私がプランを無視して芝居をしたのかを疑問に思って尋ねているのだろう。
なら私もそれにきちんと答えなくちゃ。
「私も中学時代に雪宮さんが演じた役と同じような辛い経験をしました。だから今の芝居は主人公の気持ちだけじゃなく、相手の心情も考えたんです。辛くて苦しくて、逃げ出した自分がなさけなくて。泣きたいのに泣けない自分の代わりに泣いてくれる相手がいる。一緒に傷ついて寄り添ってくれる人がいる。もし自分の時にこういう人がいてくれたら……そう思ったらここで込み上げてきた涙を我慢しなくてもいいと思って泣きました。もちろん、この後のシーンが続くのなら、後々の演出や芝居を考えて泣かない選択をしたと思います。でも、今回はこのシーンだけを表現した世界です。それなら泣かない主人公が大切で大好きな彼を想って泣いたとしても問題ないと判断しました」
本当は芝居の時はこんなことを考えられてはいなかった。
多分考えてたら、あんなに感情移入できなかっただろうし、涙なんてでなかっただろうから。
だから終わってから、質疑応答の間に質問に答えながら頭の片隅でなんであんな芝居をしたのか考えていた。
そして、唯くんに何故あんな芝居をしたのか尋ねられて、ようやく考えが纏まった。
あの時の自分もこのドラマを見るまで泣けなかったから。
辛い場所から逃げ出して、殻に閉じこもってしまって、その上で泣いてしまったら、完全に負けてしまうような気がした。
どうしようなく悲しくて泣きそうになりながらも歯を食いしばって耐えて、耐えて耐えて耐えて。
そしてこのシーンで、主人公が掛けてくれた言葉でようやく初めて泣くことができた。
逃げたことを肯定してもらって、前を向くキッカケを貰えて、新しい自分に変わるための産声みたいに声が枯れるほど泣いた。
もし主人公が私の傍にいてくれたら、泣くもんかって思ってた私の代わりに泣いてくれたら、どれだけ救われたんだろうなんて羨ましく思いながら。
だからこれが作品的には間違った芝居だったとしても、これで失格の烙印を押されても悔いはない。
「……なるほど。わかりました。ありがとうございます。きちんと答えてくれて。俺からは以上です」
唯くんは私の答えを聞いて、何かを考えるように間を置いたあと、そう返事をして質疑応答は終了し、同時に全ての審査が終わりを告げたのだった。
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