稽古が始まる前に③

「さて、そろそろお暇しようか」


 会計を済ませて店を出ると、ほんの少しだけ空は茜色に染まりかけていた。

 思ったよりも長々と話し込んでいたのは少し反省だ。

 ついつい熱が入ってしまった。


「いきなり延々と喋ってて悪かったね」

「いやいや、むしろありがたかったよ! めっちゃ勉強になった!」


 お互いに目的地は駅の方だったので、二人肩を並べながら歩く。

 風祭さんは自宅からここまで距離があるのか自転車で来たようで、自転車を押しながらだけれども。

 駅までの道すがら、いきなり一気に詰め込みすぎたことを謝罪すると、風祭さんはむしろ嬉しそうな反応を返してくれた。


「でもなんであそこまでしっかり教えようと思ってくれたの? まともに絡んだのは今日が初めてだったし、正直ちょっとしたコツを教えてくれるくらいかなと思ってたんだけど」


 そして風祭さんはそう疑問を投げかけてくる。


 まあ、確かにそう思うよな。


 正直俺も最初はここまでしっかりと教えようとは思わなかった。


 これから朝稽古を見るとはいえ、今日はせいぜい俺が使ってたノート等を渡して軽く解説するくらいで終わらせるつもりだったんだがなぁ。

 でも、彼女がとても真剣で、そして凄く楽しそうにしている姿についつい俺も釣られちゃったんだろうな。

 言わないけどね。恥ずかしいし。


「んー、まあどうせこれから教えることになるなら、基礎力がついてたほうがアドバイスしやすいしね。何日も同じところで躓いて先に進まないみたいなことになると時間の無駄だし」

「あ、そういう……。でも、うん、納得」


 少し面白くなさそうな表情をする風祭さん。


 なにか期待していた反応と違ったってことなのかな?


「もしかして、私に一目惚れして……みたいなこと思ってた?」

「え!? いやいや、流石にそこまで自惚れてないよ!!」

「あはは。冗談冗談」

「うー、なんか早速主導権握られてる気がする……」

「そりゃあ俺が教えるんだから、主導権は握っておかないとね?」

「それは教えてもらう時だけでいいよ!」


 面白くなさそうな顔をしたり、慌てたり、照れたり、不満そうな顔をしたり、本当に面白いくらいにこの子は色んな表情を見せてくれる。

 とても素直で純粋なんだろう。

 俺はこれまでのやりとりでそう確信した。

 そしてそれはこの子の一番の長所だと思った。

 アドバイスをしても素直に聞き入れることができなかったり、捻くれた受け取り方をしてしまえば、天才じゃない限り吸収して成長なんてできない。

 それにここまで素直なのは、人に好かれやすいタイプだと思う。

 特に先輩や歳上に可愛がられる質だ。

 この子が目指している世界は人と人との繋がりが特に重要な世界だ。

 嫌われればすぐに生きていけなくなる。

 でも逆に好かれれば仕事も増えて、その分経験も技術も磨くことができる。

 現に彼女の性格や態度に俺も凄く好感を持つことができた。

 だからこそ、ここまで色んなことを教えたのだと思う。


「話は変わるんだけどさ、白鳥くんはこれから仕事なんだっけ? なんかの収録?」

「収録っていうかレッスンかな。具体的な内容は秘密」

「守秘義務ってやつ?」

「まあ、そんなもんかな」


 この業界は結構秘密にしないといけないことが多い。

 情報漏洩してしまった場合、自分だけが責任を取るだけに収まらず、事務所や共演者、制作の方々にも多大な迷惑を掛けることになるから。

 賠償金に信用の失墜による出演NG、これくらいなら……で失うものが大きすぎる。

 今日、目の前の女の子に自分の秘密を隠し通せなかった俺が言っても説得力がないと思うけれど、このこともきちんと言い聞かせておかないと。


「ふーん、やっぱり大変な業界なんだね」

「些細なことでも情報の管理は徹底してないとやっていけないからね。今のうちからちゃんと意識しておきなよ。本気で俺たちの世界で生きていきたいならね」

「じゃあまずは白鳥くんの秘密を守らなきゃね」

「そこは本当に頼む。まじで。冗談抜きに」

「そこまで私信用ないの?」

「まともに絡んだのが今日が初めてだからね。信用できるかどうか判断するのはもう少し交流してからかな」


 好感の持てる人物だとは思えても、全幅の信頼も信用も置くことができるわけじゃない。

 そこまで純粋でも単純でもないからな。

 お互いがお互いの秘密を握っているから交換条件を飲んだしこの関係を築くことにしたけれど、もしこれが一方的に秘密を握られたのだったら即転校する道を選んだだろう。


「そう言われればそうだけど……。でも、それならそっちこそ私のこと言わないでよ?」

「そこは俺も気をつけるよ。ていうか、なんでそっちは秘密にしてるの? 芸能界を目指してる子や配信者になりたいって子ってはうちの学校でもそこそこいると思うけど」

「それはそうなんだけど……でもまだちょっと……」


 何かに怯えるような、悲しそうな顔をする彼女。 

 

今朝の様子といい、何か抱えてそうだな。

 それか意外と恥ずかしがり屋なのか……。

 まあ、それは今後の稽古で判断していくか。


「そっか。でも、いつか胸を張って言えるようになれたらいいね」

「……うん。だから自信を付けたい。人に自分の夢を堂々と言っても、笑われたり馬鹿にされたり否定されたりしないくらいに上手くなりたい。だから……これから頑張るから、めっちゃ頑張るから、どうかお願いします」


 自転車を止めて、真剣な表情で頭を下げてくる風祭さん。

 時間が止まったように感じてしまう。

 夏の風だけがそれが錯覚だと教えてくれた。 


「俺もできる限りのことはする。教えられることはちゃんと教える。でもその自信をつけられるようになるかは風祭さん次第だ」

「うん」

「だから頑張ろう。君の夢を叶えられるように」

「うん!」


 固かった風祭さんの表情がほころんで、ひまわりのような笑顔を見せてくれる。

 やっぱり彼女はこういう表情のほうがいい。

 俺は彼女を見てそんなことを思いながら、今日なんとなく考えていたことをさらっと告げた。


「とりあえず、夏にあるうちの事務所のオーディションを目標に明日から稽古していこうね」

「うん! ……へっ? ええええええええ!?」


 俺の発言に風祭さんは一瞬だけ固まり、そして今日一番の声を上げるのだった。


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