君に夢を掴んでほしくて、その手を離した

湧谷 敦滋

本編

  青空をゆったりと移動する赤き天体に熱せられて半袖のカットソーは湿っている。

 地元のとある大通りの歩道を俺は歩いていた。

 俺は数日前に地元に戻り新しい部屋を借りていた。

 地元を離れていた間は殆ど帰省しておらず、そのためこの辺りを歩くのは久々だった。

 周囲には商業施設やオフィスビルが多く建っており、大規模な複業商業移設もいくつもある。  

 歩道の隣側にある車道には一般車両からトラックなど無数の車両が走行していた。


 昼頃だが歩道にはそれなりの人がいる。

 駅から近いこの辺りは外出先として人気のため、平日であっても歩行者の量が多かった。

 歩道を進んでいると何組ものカップルとすれ違う。

 その表情は皆笑顔で羨ましかった。

 昔は当時の彼女とよくこの辺りでデートを繰り返していたものだ。

 けれど生憎今は共に出かけてくれる彼女はいなかった。


 とある高層ビルの前で足を止めると中に入る。

 そこは昔よく訪れていた複合商業施設だった。

 エレベーターを上がり、メンズファッションが固まっているフロアに足を踏み入れる。

 昔は金に困っていても服を買い漁った。

 アパレルショップに並べられた服を見ているとモデルをしていた頃を思い出した。



 高校時代からモデル業に憧れていた俺は地元に残りながら高校卒業後モデル事務所に入った。

 当時はアパートを借りており、モデル活動とアルバイトをしていたが収入は貧しかった。

 アパート暮らしでも一人暮らしではなく高校時代から彼女である山越雫と同居していた。雫は高校時代からダンサーとして活動していた。

 恋人と生活は楽しかった。そのためオーディションに落ちても最初の一年は前向きに日々を過ごせた。


 けれど互いに夢を追う身だった俺たちの人生は挫折だらけで徐々に部屋の雰囲気は変わりつつあった。

 最初は夢のことで上手くいかなくても励まし合っていた。 だけど段々と励ますことは減っていた。

 互いに夢が成就するのか不安になり励ます気力が薄れていたのだろう。

 そして数年前のあの夏の日を境に二人の生活は歪になった。



 数少ないモデルの仕事を終えアパートに戻った俺はリビングで寝転がっていた。

 手に握られたスマホで事務所からのメールを確認する。


 借りているアパートには二部屋あり、玄関とリビングは直結している。

 リビングは狭く台所が設置されており座卓やタンスがあった。

 リビンクから通れる寝室にはベッドが二つ並べられている。 


 メールの内容はオーディションに落選したことを告げるものだった。

 スマホを持った手を床に広げスマホを手から離すと木目の天井に向かって嘆息を吐く。


 高校を卒業して三年以上経過していた。

 事務所に入っても大きな仕事は未だに受けれていない。

 ファッション誌に載っても目立つことはなく俺の名である大町天真の知名度はほぼ皆無だ。

 最近ではモデルの才能はないのではと思い始めていた。

 あまり自暴自棄になってはいけないことは理解している。

 けれどいつまでも小さな仕事をこなすだけの生活は精神的に苦しかった。


 部屋の鍵が開く音が聞こえたので俺は上体を起こし扉の方を見る。

 扉は開けられもう一人の住人である雫が玄関に上がると

、立ったまま靴を脱ぎリビングに足を踏み入れる。

 俺のすぐ側まで寄ってくると床に座り込み顔を顰めて言った。


「また落ちたよ。オーディション」


「そっちもか俺もさっき事務所から連絡があって落ちたのを知った」


「二人とも駄目だったか。ちょっとぐらいは目立つような仕事がしたいな」


「どうすればいんだろうな。事務所の同期は売れてるのに。色々と自己分析しても最近は改善点も見つけられなくなってきてるし」


「わたしもそんな感じだよ。なんというか空回りばかりしている気がして嫌になる」


 雫は辛そうに片手で頭を掻いているが、普段から接している俺は努力していることをよく知っている。


 アルバイトの間にレッスンに出掛け、オーディションを受

ける。

 それを雫は高校時代から繰り返してる。

 それでもダンサーとしては未だに成功の欠片すら見つけられていなかった。


 雫は頭から手を離すと項垂れてしまう。

 雫のことが心配で声を掛けようと考えるがその言葉が見つからない。

 自分の無力さに苛立ち右手を握り締めると雫が口を動かした。


「もうオーディション受けるの嫌だよ」


「俺も似たような気分だよ。成功しているモデルを見る度にこの仕事から逃げたくなる」


 以前ならばここで「もう少し頑張ろう」とすぐに励ませたはずだ。 

 けれど最近は弱音を聞いてもそれに共感するような言葉しか吐けなくなっている。


 雫は手を後ろにつき上体を後ろに傾けた。


「当分レッスンの量減らそうかな。今はあんまりダンスしたくない気分だし」


「雫が辛いなら俺は止めないけど、それでいいのか?」  


 俺は雫に尋ねる。

 この「当分」が直感的に長期間続くと悟っていた。

 もしかしたら長期間ではなく永遠なのかもしれない。

 それでも夢に挫折しかけている俺に雫を引き止める言葉は言えなかった。


「結果出てないんだしいいよ。無理に努力しても空回りすることは分かってるんだから。それにダンスが駄目でも天真くんがいれば今は幸せだから」


「俺も夢叶わなくても好きな人が側にいれば十分な気がするな」


「そうでしょ。わたし天真くんと出会えて良かった」


 雫は側に寄ってくると肩にもたれかけてくる。

 肩に触れた頭を俺はそっと撫でる。

 心にはモデル業への熱意がまだ残っていた。

 けれど頑張っても結果が出ない現状を顧みるとモデル業への熱は急激に冷めていった。


「ねぇ明日アルバイト休みでしょ? どこかにデートしよ」


 雫にデートに誘われた俺は撫でていた手を止めると唇を動かした。


「休みだよ。明日は金のことなんて気にせず二人で行きたい場所を回ろうか」


 俺達はこのとき自らの夢から距離を置くことを選んだ。

 日々の過ごし方は一変した。

 夢への努力を疎かにし、ただアルバイトをして生活資金を稼ぎそして遊びまくった。


 一応モデル業は続けていたがやる気を損なった状態ではオーディションには殆ど当然受からない。

 雫も似たような状況だった。

 生活から互いの夢の話は消え去っていた。

 この日々が幸せかといえば恐らく違う。

 けれども夢と直視することは敬遠したかった。

 そんな生活が半年以上は続いていた。


 だがある日の朝、一人で部屋にいたときにネットの動画で偶然ダンサーとして活躍する一人の女性を見つけた。

 年齢は雫よりも僅かに上だった。

 その動画を視聴している内に高校時代の雫のダンスを思い出した。

 あのときのダンスには才能を感じきっと大成すると俺は実感していた。

 なのに一緒に暮らす雫からは希望を失い寂れた生活を送っている。

 もう一度活力に溢れたダンスを披露してほしいと思いが湧いてくる。


 その日は悩み続けていた。

 この選択が正しいのかどうかを。

 けれど二人の将来を考えれば今の状況はこの好ましくないのは明白だった。


 次の日、雫がアルバイトで家を出ると俺はリュックに荷物をまとめ家を飛び出した。

 家を出ることは伝えなかった。

 夢を叶えられない者たちが共に暮らす限り明日はなかった。

 悪いことをしたという罪悪感がある。

 けれど二人が立ち直るためには一方的な別れという強引な手段しか思いつかなかった。


 地元を離れた俺はアパートを借り一人暮らしを始めた。

 モデル業にも再び力を注ぎだした。

 仕事が上手くいかず落胆することも多かった。

 それでも夢を蔑ろにしていたあの頃よりは前を向けていた。

 だが二十七になり限界を感じ仕事を求め地元へ帰る決断をした。



 過去を思い返してかつての恋人が懐かしくなり、複合商業施設を出て映画館に向かう。

 映画館の前に着と立ち止まり顔を見上げた。

 目の前にはオシャレな建物があった。

 そこはよくデートで訪れていた。

 話題の恋愛映画があれば雫の提案で映画を見に来ていた。

 恋愛映画以外も見たが恋愛映画の影響であまり印象にない。


 雫は俺がアパートを飛び出してからダンサー業に積極的になったようで今ではテレビにも出るほどの成功者となっていた。

 その話を地元の友人からスマホを通じて知らされたときは安堵して頬が緩んでいた。 


 もっとも雫には憎まれているだろう。

 何せ高校から付き合った彼氏が無言で目の前から消えたのだから。

 別れた直後、雫から何件かの連絡があったが全て無視した。

 やがて連絡は途絶えた。

 未練は残っているが、あのときの選択に後悔はしていない。

 俺としては雫が夢の道で成功したことが一番だからだ。

 けど少しだけまた会いたい気持ちはあった。


 映画館を見上げたまま明日からの予定を考えていた。

 あらかじめ地元に戻る前に収入は低いが正社員の仕事を就けた。

 流石に仕事すら見つけられず実家の世話になるのは両親に申し訳ないので仕事が見つかって助かった。


 映画館の中へと人が入っていく。

 それを見て俺はこの場を去ろうと思っていると背中側から声が聞こえた。


「何でこんなところにいるかな」


 俺は後ろを振り向くとかつての彼女が視界に入り目を見開いた。


「己に限界を感じて地元に帰ってきたんだよ」


 目を窄め雫から視線を逸らしてしまう。

 何故ここに彼女がいるのか理解できなかった。

 高校時代の友人の話では地元を離れたと聞いていた。


「懐かしいねこの場所。よく映画見に来たもんね」


「俺も今日地元に戻ってきたが懐かしくてここに来ていた」


「わたしを捨てたくせにわたしとの思い出に浸かってたんだ」 

 雫はからかうように笑顔で言った。

 あの出来事は激怒されても仕方がない。 

 けれど雫が怒っているような気配を察知できず、俺は困惑していた。


「怒ってないのか? 俺は雫を見捨てたんだぞ」


 俺は目を合わせられないまま尋ねると雫は間を置くことなく口を開いた。  


「最初は恨んだよ。けれど時間が経つにつれ分かったんだ。わたしたちは別れないとあのままだと駄目なままだって。だからわたしから離れたんでしょ? どうせあの当時のわたしに別れ話しても反対するだけだし、天真くんのことだから多分絆されて同居が続いてたと思う」


 雫が俺が家出した意図を理解していたことに安心しつつも罪悪感が心を覆っていた。


「雫の言う通りだよ。けどあのやり方はなかったなと思う。せめて一言ぐらい電話するべきだった。本当にごめん」


 俺は頭を下げると目を瞑った。


「謝らなくていいから。わたしとしてはもう気にしてないからね」


 顔を上げ目を開けると微笑んだままの雫がいた。


「許してくれてありがとうな。それとダンサーとしての活躍耳にしたよ。おめでとう」


「知っていてくれたんだ。あれから物凄く頑張ったんだよ。いまじゃダンスだけで生計立てられてるしね」


 雫の顔を直接見れたことで改めて夢が叶ったことを嬉しく感じた。


「けど何でこっちにいるんだ。高校の同期の話だと地元離れているって聞いていたけど」


「天真くんのお母さんに今日地元に戻ってくるって聞いて今日は帰省したの」


 斜め上の回答に一瞬体の動きが止まってしまう。

 何で母さんは俺が見捨ててしまった雫と連絡を取っているのだろうか。


「一体どういうことだ」


 片手で頭を抱えながら質問すると雫は答えた。


「天真くん、地元離れた後しばらくはご両親にも連絡してなかったでしょ。それで音信不通で心配したお母さんから連絡来て事情を話したら物凄く謝られてね。お母さんその後天真くんを地元に呼び戻して説教するつもりだったけどわたしが『自分にも非があるから』って説得して、この件で天真くんを責めるのは止めてもらったの。それ以降何度か連絡する関係になったかな」


 説明を聞いて俺はまた頭を下げた。


「本当に申し訳ない。両親には連絡するつもりではいたんだが地元離れたこと言いづらくて」


「わたしとしては天真くんがこうやって帰ってくること知れたし気にしてないよ」


「ならいいけど、てか何で俺を探してたんだ。別れの言葉は交わしてないけど俺達関係は終わってると思ってたし」


 頭を上げると首を捻った。

 いくら帰ることがわかっても雫まで帰省する意図が分からなかった。


「だって天真くんのことまだ好きだから。だから会いたくなった」


 声が耳に入ると心臓は高鳴り、正面の瞳に見惚れていた。

 雫は俺に手を差し出すと話を続けた。


「天真くん、わたしともう一度付き合ってくれないかな? 今のわたしたちなら苦しいことがあっても耐えきれると思うの」

 その告白に手を握るか悩んだ。

 目の前の雫は既に成功者だ。

 立場があの頃とは違いすぎる。

 けどまた雫の側にいたいと思う自分もいた。


「今の雫と夢を叶えられなかった俺じゃ釣り合わない」


 俺は自分に苛立っていた。

 成功者の側にいればきっと俺は自分の惨めさに耐えきれないかもしれない。


「わたしと別れてから必死にモデルで大成するために努力してきたんでしょ。天真くんは前よりも輝いて見えてるし。それに立場とかは関係ないよ。わたしたちも成長したからもう問題が起きても逃げることはないと思うの。だからもう一度一緒に生きよう」


 雫の言う通りだ。夢は成就しなかったが一人で頑張ったあの日々は心の中から消えることはない。

 だからこの人生に自信を持ってやらないとモデル業をしていた頃の俺に失礼になる。 

 それにかつて夢に向かって共に道を進んできたときのように雫の側にいたい。


 自分の手を見詰めるとこれからの未来に期待を持ちながら最愛の人の手を掴んだ。      

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