第二話「風邪とお見舞い」

「はぁ――――――」

 清々しい朝だというのに私の口からは大きなため息しか出てこなかった。

「朝からどうしたのよ。九音」

 友人である胡桃が横からひょっこりと顔を覗かせてそう尋ねてくる。

「ユウマくんが風邪でお休みなんだって…………」

 まるでこの世の終わりの如く形相で友人に事情を説明する。

「そんな大袈裟な単なる風邪でしょ。二、三日したら元気になるってば」

 そう胡桃が励ましの言葉をかけてくれるが、今の私にあまり効果はない。

 ユウマと一緒に登校できないだけでこんなにも胸が痛みなんて―――――

 心の中で思っていると。それを感じ取った胡桃が―――――

「あんた、どんだけあいつのこと好きなのよ」

 呆れたような苦笑交じりの声で呟くと、そうだと何かを思いついたようにポンと手を打つ。

「どうしたの?」

 訝しげな表情を胡桃に向けると、「私、いいこと思いついちゃった」

 まるで悪戯を考えついた子供のような笑みを浮かべている胡桃。

 その顔に何だがすごく嫌な予感がした。だいたいこの顔をする胡桃は何か良からぬこと考えているときのだからだ。

 数秒後、私の不安は外れ、予想外のことを言われる。

「ねぇ――――九音、今日の放課後にみんなでユウマのお見舞いに行かない?」

「ふぇ…………?」

 と、思わず素っ頓狂な声で出てしまった。

「どうしてそんなに驚いているの。あんたの大好きなユウマの家にお見舞いにいくだけだよ?」

「てっきり、あなたのことだから弱っているユウマくんにちょっかいだすものだと思っていたから」

「なっ!失礼しちゃうわ。あんたはわたしのことを何だと思っているのよ」

 すると私の言葉を訊いた胡桃がぷっくりフグのように頬を膨らませて不満を口にする。

「ごめんってば…………」

「まあ、いいわ」

「…………」

「どうしたのよ。急に黙って…………もしかして、ユウマの家に行くから緊張しているの」

 ニヤニヤと口元を綻ばせながら胡桃がからかってくる。

「べ、別にそんなことないから」

「ホントに~!?」

「だから、そうだって言っているでしょ」

「そんなに必死になっちゃって可愛いんだから」

「もう―――胡桃ってば!」

「ごめんってば、つい、照れている九音が可愛くって」

 と満足した様子でそう言ってくる胡桃に少しだけムッとする。

「ほーら、そんな顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」

 なぜか、元凶であるはずの友人に励まされると言う謎の構図に戸惑ってしまう。

「それより胡桃、とりあえずどこに集合すればいいの?」

「放課後、校門前で透哉と待っているから」

 こうして私はユウマくんの家にお見舞いに行くことになった。

 そして何とか憂鬱な気分の中、一日を乗り越える。

 ホームルームを終えて放課後となり約束した場所に向かう。

 そこには人目もはばからずにイチャイチャしているバカップルがいた。

「ちょっと、透哉ったら」

「良いだろ、別に―――――」

「二人とも…………何やってるの」

 その光景を目の当たりにした私は自分でも驚くくらい冷たい視線を二人に向けていた。

「あ、遅いよ。九音、待ちくたびれちゃった」

 イチャイチャを中断して胡桃が声をかけてくる。遅いと言われても困る。これでもホームルームが終わっていのいちばんに教室を飛び出してきたのだ。逆になぜ、そんなに早く来られるのかが不思議で仕方がない。

「西園寺さんも来たことだしそろそろ行こうか」と透哉に促されて移動する。

 徒歩で近場のスーパーに立ち寄ってお見舞いの品を調達する。

 お菓子にしようか、ゼリーにしょうか、それともヨーグルトにしようかと悩んでいると。

「透哉にしてはしっかりと選ぶんだね。ちょっと意外かも」

「おい、ひでーな。人のことを何だと思っているんだよ」

 二人のやりとりに既視感を感じながら会話に耳を傾ける。その話を訊いて少しだけ羨ましいと感じている自分がいることに気づく。

 自分も早くあんな風にユウマと話したいと強く思う。そんなことを考えていると胡桃が「九音、見てよ。これ良くない?」

 そう言って小さい子供が貰って喜びそうな物をこちらにヒラヒラと見せてくる。思わず、クスっと小さな笑いが零れる。私が笑ったのを見た胡桃が安心したように口を開く。

「今日一に暗い顔していたからさ。やっぱり九音には笑顔の方が似合うよ」

 そう言って太陽のように輝く笑顔を向けてくる。

 何だかんだで心配してくれる友人に感謝の気持ちを抱きつつお見舞いの品を選ぶ。

 数分後、私たちはそれぞれが選んだ品を携えてユウマに家の前に来ていた。

「それで?九音は一体どんな物を買ってきたの」

 興味津々でそう尋ねてくる胡桃に「経口補水液とプリンよ」

 はいと袋の中を広げて中身を見せる。

「なーんだ、つまらない」

「だって、こういう時はあまり体に負担になる食べ物はよくないって聞くから」

「わざわざ、ユウマのために調べたんだ?」

「いや~愛の力は偉大といいますが、まさかここまでとはね―――」

 胡桃が意地の悪い笑みを浮かべながらからかってくる。

「ちょっと胡桃ってば―――、私はただユウマくんのためにって思っただけだから」

「はいはい。分かったから。九音、インターホン押して?」

「どうして私が?まぁいいけれど」

 言われた通りにインターホンを押し反応を待つ。だが、待てど暮らせどまったく反応がない。

 もしかして、ユウマくんの身に何かあったのかと思うと、いても立ってももいられず気づけばインターホンをピンポーン、ピンポーンと連打していた。そしてドアをどんどんと叩き、「ユウマくん大丈夫ですか?ユウマくん!!」

 必死にユウマの名前を口にしていた。

「ちょっとなにぃよ。さっきからドンドンうるさいわね――――」

 ガチャリと隣のドアが開く。その先には黒髪ショットに薄水色の瞳を持つホットパンツ姿の女性が立っていた。

 近所の人に見られてしまい、しまった!通報されてしまうと身構えるが――――。

 私を見た女性がすぅ――と瞳を細めてこちらを見てくる。

「あらあら、もしかして彼女さんかしら。そんなに必死にちゃって――――そんなに彼氏くんのことが心配なの、可愛いわね――――」

 二十代くらいの女性がニンマリとした笑みを浮かべながら見てくる。

「え、ええ――――?」

 突然の出来事でアタフタしている私に対して隣にいる胡桃がとんでもないことを言い出す。

「その通りです。彼女なんです!彼氏のことが心配で心配で仕方がないから一緒にお見舞いにいってほしいって言われて…………」

「あ~!そうだったの!もう、こんな可愛い彼女がいるのにアイツなんも言わないんだから。ささ、入って入って―――――」

「私たちも入りたいのは山々なのですが鍵がかかっていて入れないんです」

 しゅんと肩を落として九音が言うと。

「だったら、はい。これを使っていいわよ。」

 女性が手のひらにポンと小さい銀色の物体を置く。ん?と思って視線を落とすと私の手のひらには鍵があった。これは誰のものですかと訊くまでもなかった。

「どうしてあなたがユウマくんの部屋の鍵を持っているのですか。一体、あなたとユウマくんはどういう関係なのですか」

 九音が矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「ちょっと落ち着いて。私とアイツはただのお隣同士なだけよ」

 それを訊いた九音はへぇ~!?という間抜けな声を出して呆然とする。だが、それもつかの間、ぎろりと睨むような視線を目の前の女性に向ける。

 まるで恋敵でも見るような感じだ。そんな九音を横目に私は女性の見た目からある可能性を閃く。

「間違っていたらごめんなんだけれどもしかしてユウマのお姉さんだったりする?」

 遠慮気味にそう尋ねる。確証があったわけではないからだ。

「あら?どうしてそう思うのかしら」

「あの陰キャなユウマが見ず知らずの女性に自分の部屋の鍵を渡すはずがないし、そもそも常識で考えてそんなことする人は多分いないと思ったから。それとあいつのことを知っている口ぶちだったのが気になってもしかしたらって思って」

「ふーんなるほどね。でもこんな言葉もあるのを知っているかしら。自分の常識は他人の非常識ってね」

 含み笑いをしながらそんなことを口にする。

「それってどういう意味――――――」

 胡桃が訊き返そうと言葉をくちにしかけるのと同時に…………。

「近所迷惑になるから少し静かにしてくれよ、姉さん」

 声のする方を見るとパジャマが乱れて腹部がチラ見状態のユウマが玄関から出てきた。

「ゆ、ゆ、ゆ、ユウマくん…………!?」

 予期せぬタイミングでのユウマの登場によりテンパってしまう。それを見たユウマが、「っ!どうして西園寺がここに?それに胡桃たちまで」

 訳が分からないと言った感じで私たちを交互に見渡すユウマを‘’姉さん‘’と呼ばれていた女性が「彼女さんたちはね。あんたのことを心配してわざわざお見舞いに来てくれたのよ」

 後ろ手でボリボリと頭を掻きながら説明してくれる。

「そうなんだんだって、彼女…………?それって誰のことだ」

「とぼけるなって。こんなに可愛い彼女がいるんだろ」

 九音の方を指さす。

「えっと?お姉さん…………」

 九音が目をぱちくりとさせながら呟く。

「自己紹介が遅れてごめんね。私の名前は昼神琴音、よろしくね」

 妖艶の笑みを浮かべてそう名乗る琴音。その姿に同性ながらドキっとしてしまう。

 琴音に続いて、胡桃、透哉、私という順番でそれぞれ自己紹介をする。

「へえ、九音ちゃんか。見た目通り可愛い名前だね。それに透哉くんに胡桃ちゃんか…………二人は付き合っているんだよね?」

 興味津々と言った感じで琴音が訊いてくる。

「はいそうですよ。胡桃は世界でいちばん可愛い彼女です」

 透哉がいつもの人懐こい笑みを浮かべながらそう答える。

「あらあら、お熱いことで」

 微笑ましそうに見つめながらところで九音たちもそうなの?と地雷を踏む発言をしてくる。

「ちょっと!何言っているんだ。姉さん」

「へえっ!?」

 琴音の指摘に図らずも私たちの声が重なる。

「ふたりしてそんなに慌てちゃって可愛いわね」

「いい加減にしろ!早く家の中に入れよ」

「もう―――分かったから。そんなに怒らないでよ。またね九音ちゃんたち」

 こちらにバイバイと手を振ってくる琴音に軽く会釈をして見送る。

「みんな、姉さんが迷惑をかけて悪い」

 ユウマが軽く謝罪をするが、「そんなことを気にしてねぇから病人は大人しくしてろ」

 ぶっきらぼうに透哉がユウマに答える。

「さて、ユウマも起きてきたことだし、お邪魔するわよ」

 胡桃に続くように私たちも玄関に入っていく。

「ここがユウマくんのお家…………」

 初めて入った印象は綺麗だなというものだった。普段から掃除・家事全般はお手伝いさんがやってくれるため自分ですることはないのだが、素人の私から見ても隅々まで掃除が行き届いており清潔感が溢れている感じだった。

「そんなにキョロキョロしてどうしたんだ?西園寺」

「いいえ、何でもありません」

「ああそうか、西園寺の家に比べたら俺のマンションなんて大したことないよな」

 と自嘲気味に話すユウマを見て胸がチクリと痛む。

「っ!そんなことありません。ユウマくんは立派です、料理も洗濯もゴミ捨てだって自分でやっていてそれから――――」

 興奮した状態で捲し立ててくる九音に「分かった、分かったから。少し落ち着けって、ゴホゴホ――――」

 まだ病み上がりのせいか咳が止まらない。

「ご、ごめんなさいユウマくん。まだ完璧に治っていないのに」

 申し訳なさそうに言いながら背中をさすってくれる。

「これくらい平気だって西園寺、だからそんなに気にするなって」

 風邪を引いたおかげか、普段では考えられないくらい素直に西園寺の好意を受け取れている自分にすごく驚きつつ宥める。

「ところでユウマ、ご飯もう食べたの?」

 胡桃がさりげなく訊く。

「まだ食べてないから後でレトルトでも食べようと思っていたところだ」

「レトルト食品なんてダメです!体に良くないものばかりなんだから。そんなんじゃいつまで経っても治らないよ」

 九音が不安そうな上目遣いでそう言ってくる。

「大丈夫だって西園寺」

「ダメったらダメです」

「ホントにあんたは頑固だね。せっかく九音が心配してくれているんだからお言葉に甘えればいいじゃん」

 やれやれと呆れ顔で呟く胡桃に「そうだ、そうだ」と同調する透哉。

「ということで、何か作るから手伝って九音」

「良いわよ。私にできることなら」

「それじゃあキッチン借りるね。ユウマ」

 そう言い残して二人でダイニングキッチンに向かっていく。

 何を作ってくれるのか、楽しみにしながら待つこと数十分後、部屋中においしそうな匂いが充満し始める。

「これは、お粥か」

「ただのお粥じゃないわよ。九音の特製粥よ」

 胡桃が自慢げに語ってくる。

「西園寺が作ってくれたのか、迷惑かけて悪い」

「そんなことは気にしないで…………困っているときはお互い様なんだから」

 そう言ってにっこりと微笑む九音に図らずもドキッとしてしまう。

 それから九音の手作り粥を堪能した後、薬を飲んで寝る準備に入る。

「おやすみなさい。ユウマくんゆっくり休んでね、鍵は琴音さんに返しておくから」

「早く元気になれよ、ユウマ」

「じゃあ、お大事に~~~!」

 挨拶をして玄関を出る。ユウマくんが早く元気になりますようにという願いを込めて三人で家路につく。

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