誰もが愛する物語

@rojiya

誰もが愛する物語

「愛に満ち溢れた作品を書こうと思うんだ」

 出し抜けに放たれた男の言葉に、対面席でアイスコーヒーのストローを加えていた男の友人は目をまんまるにした。

「唐突だね。君の今までの作品とは随分傾向が違うんじゃない?」

 男は友人の言葉にふふんと鼻を鳴らす。そう言ってくれるのを待ちわびていたような態度だ。

 男はしがない小説家だった。

 小説を書くだけで生活出来る人間はほんの一握り。兼業で小説を売る者がほとんどだということは男も友人も理解していたが、この男の場合は生活の一助にもならない、職業と言うにはあまりに小説での稼ぎが少なかった。

 その上、男は筆が遅く、女性誌の末端で細々と続けている連載の原稿すらいつも締切ギリギリでの入稿だった。編集部からも遠くない未来見放されるだろうと、友人は予想していたくらいだ。

「今度新しく創刊される小説雑誌にね、新作を載せさせてくれという打診があったんだよ」

 男が運ばれてきたケーキに目線を奪われながら言う。彼は甘党で、特に生クリームを使ったケーキには目がなかった。

 意気揚々と話す割に、好物が目の前に登場した途端に男は黙ってしまう。店員が軽く会釈して立ち去るのも待ちきれずに、添えられたデザートフォークを握りしめた。

「創刊号に載るなんてすごいね」

 友人は言うが、男は話半分に適当な相槌を打つだけだ。おそらく友人の話す内容など耳に入っていない。

 フォークを純白のクリームに突き刺すと、中のスポンジがぐっと沈む。友人も一緒に運ばれてきたガトーショコラにフォークを刺す。フォークから伝わる重厚で密度の高い感触は、良質で甘美な味を想像させた。

「ん」

 たっぷり生クリームをすくい、大きな口を開けてショートケーキを頬張った男が短く鳴く。その次の瞬間には癖のついた眉間の皺がより深く刻まれた。

「評判がいいからこの喫茶店にしたのに、何だこのケーキは。甘ったるいばかりで全然クリームに深みがないじゃないか。さては植物性のやっすい生クリームを使ってるな」

 店内に男の声が響き渡る。まだ朝も早く、その上雨が降っていたので幸いにして二人の他に客はいなかったが、少なくとも配膳のスタッフには一言一句漏らさずに聞こえてしまっただろう。友人は居住まいの悪さを感じて視線を泳がせた。

「ガトーショコラは美味しいよ」

「僕はチョコ嫌いなんだ。知ってるだろ」

 すっかり不機嫌になってしまった男だが、今まで自分が話していたことを思い出すと、すぐに表情を明るくした。

「そう、新しい話を書かなくちゃならなくてね!担当編集が言うには、新創刊の雑誌にふさわしく、今までにない僕の作品を書いて欲しいとお願いされたんだ。誰にも愛されるような、素晴らしい物語を紡ぐのは間違いなく僕に相応しい、華々しい仕事だと熱弁されたよ」

「それで、愛の物語か」

「なにもラブストーリーを書こうと言うんじゃないんだよ。僕は恋愛もの嫌いだし、そういう小説はそういうのが得意な人たちに任せる」

 男曰く、新創刊の雑誌は小説のジャンルに縛られず、文字の読み書きが好きな読者へ新しい発見を提供する、というのがコンセプトらしい。男は元々仄暗い人の心情を描くのを得意としていたが、構想ではその真逆をいくつもりだと豪語した。

「ほら、今の世の中コンプライアンスだ、ゾーニングだと何かと煩いじゃないか。そんなに汚いものを目に入れたくないのなら、美しい、綺麗なものだけが登場する話を書いてやろうと思うんだ」

 男は饒舌に語る。嫌な人間は一人も登場しない、主人公も友人も友人のパートナーも、家族も知り合いも漏れなく善人で、犯罪も差別もない理想郷を文字の世界で表現しようと言うのだ。

 政治演説のように拳を振り上げて男はこう言葉を締める。

「そんな誰もが望む理想の世界、実につまらない話になると思わないか?」

 自信に満ち溢れた態度と相反して、男は自分が書こうという物語に否定的だ。友人はますます不思議そうにして、首を傾げた。

「つまらないと思う作品を書くのか?連載切られそうで崖っぷちだって言ってたじゃないか」

 気遣いから出た友人の言葉に、男は露骨に機嫌を悪くした。場末の小説書きが本当のことを言われて、プライドが傷ついたらしい。

「僕の作品は人の目に触れさえすれば高い評価を得ているんだ。崖っぷちなのは僕じゃなくて、あの編集部の方だ。看板雑誌だって年々発行部数も減って利益減がずっと続いてるって担当がボヤいてた」

 大体あの担当はなっちゃいない、僕の作品にいちいちケチをつけてくるんだ。そう男が続ける。気に入らないことを言われたりされたりすると言葉数が増えるのは、男の癖だった。

 失言だったと自分を責める男の友人は、男の言葉が切れる隙を狙って口を挟む。

「自分がつまらないと思うものを掲載して、どうするんだ?」

「うん?そう、そうなんだよ。それこそが生ぬるい世界に生きる者たちへのアンチテーゼなんだ」

 男の目がまた自身が紡ぐ作品への想像を膨らませて目を輝かせた。友人が男の饒舌を止めることはできなかったが、少なくとも人の悪口ばかりの話題からは逃げ出すことに成功した。あとは黙って聞いていればそのうちに満足してくれるはずだ。

「物語っていうのは刺激がないと面白くない。汚いものを排斥し続けたら物語は抑揚のないつまらないものに成り下がる。では人生は?あなたの人生は果たして刺激に満ちて面白いものになっているだろうか?汚いものや悪いものを取り払い続けた人生は豊かなものか?」

 コマのように回り続ける口。はじめは長い講釈を億劫に思っていた友人も、街頭演説のように堂々と語る男が面白くなってきていた。

「主人公は高い志を持つ若者だ。周りには主人公の志に賛同して協力を惜しまない友人。求めればすべて叶う。富も名声も力も全部主人公には備わっている」

「生まれ持っての強者なんだね」

「強者であることを周りが気付くところこら始めるんだ。誰もが主人公に献身することを望む」

 興奮した男の膝がテーブルにぶつかる。その衝撃でコップを満たしていた水がこぼれるが、男は気にも留めない。

「主人公が出会う人々はみな善人で、主人公の望みはすなわち彼らの望みなんだ。みなが同じことを望めば、争いは止み、笑顔の絶えない世界になる」

 それこそがこの話のミソだと鼻息も荒く高説が続く。

「世界はひとつになり、男は役割を終えて人知れず世界から姿を消す。そういう物語だよ」

「なるほど、確かに現実味に欠ける」

 率直に漏らした感想に男が食いつく。

「そうだろう!?どんなに嫌なものを取り払って見目の良いものだけを残したところで、その向こうに待っているのは虚構でしかない!果たして現実に生きる人間が望むのはそういう世界なのか?」

「望んだところで実現は不可能だろうしね」

 男がショートケーキの皿を横に避ける。友人皿はというと、すっかり空になっていた。

「その話、今の出版社で出すのはやめないか?」

 名作になるに違いないと豪語している作品を批判されたように感じたのか、男の眉間はより深い皺を刻む。友人の方は慌てて言葉を付け足した。

「君の次作はきっと素晴らしいものになる。だから、僕のところで出さないか」

「え?」

 男の友人は、とある文芸雑誌の編集部班長を務めていた。男が連載を持っている会社とは別の出版社で働く彼に、まだ掲載されていないどころか執筆も始めていない作品の詳細を語るというのも小説家として常識に欠ける行為だと友人は思っていたが、今はそういう野暮なことに言及するつもりはなかった。

「うちも新しく雑誌を創刊するんだ。小説誌ではないけどね。読者には現在日本について課題やカルチャーなんかを総合的かつ俯瞰的に見てもらおうというものなんだけど、なんだか堅苦しい。だから、そういうことに興味がない足を踏み入れやすいように君の力を借りたいんだ」

 男が知る限りでは、この友人は編集者としての成長目覚ましく、現在の出版社に入社して今の班長という地位に立つまでに時間はかかっていなかった。スピード出世というやつだ。

 そして彼は、基本的に仕事の話をしない。仕事以外の話もそう積極的にするわけではなかったが、仕事のこととなるととりわけ寡黙になった。彼は男の連載について突っ込んだ質問はしないし、自分が勤める編集部の話もしたことがなかった。

 そんな彼が前のめりになって男の勧誘をする姿は、男にとってはそれなりに衝撃的な光景で、つい答えに詰まってしまう。彼の誘いに乗るか突っぱねるかよりも、ただただ驚いていた。

 目の前の衝撃から我に返るまで数秒、やっとのことで口から出した言葉はあまり恰好のつかないものだった。

「堅苦しいものを好まない連中がいきなり小説なんて読むかな」

「読むさ。最近では小説に対する世間の敷居はどんどんと下がっていっている。君が小説とは認められないと言う作品群を読む読者層が主になるのはそうだが、そういう話を入り口にしている人たちにはさっき君が語った作品は実に物語的で興味をそそるものになる」

 普段は中立的な言葉が多い友人があまりに誉めそやすので、作品に絶対の自信を持っている男も流石に面映ゆくなって鼻の頭を指先で掻いた。

 だが、称賛に対する礼を率直に示したのでは芸がないように思えて、ひとつ抵抗してみたくなってしまうのだ。

「なんだか撒き餌みたいな扱いだね」

「悪い言い方をしてしまえば、その通りだ。でも僕が求める読者像こそ、君が提示する現代社会のことなかれ主義を疑問に思うような聡明な若者なんだ。君の書く物語に惹かれる人は、必ず他の記事にも興味を示す」

 先ほどまで男の方がよほど饒舌だったのに、今ではすっかり友人の方が一方的に喋っている。

「その雑誌、売れるのか?」

「分かる人間にはね」

 挑発的な友人の言い方に、男は少しばかり腹を立てた。

 この話を断れば、君は価値の分かる人間ではないということだ。男はそう言われているように感じた。

 安い挑発に乗る必要などなかった。だが、友人は挑発の奥に男の作品への興味と期待を持っている。

「そういう下手な挑発は止した方がいい。だが受けるよ、その話」

 男の言葉を聞くや、友人が表情をパッと明るくなる。搦め手まで使った甲斐が実ったと喜んでいる。

「ありがとう。こんなことを言うと編集長に怒られるんだが、売れるかどうはこの際どうでもいいんだ。雑誌の主旨を理解する人間の目に留まりさえすれば」

 雑誌を売るのが仕事の人間としては実に不適切な発言だ。だが、男からしてみればそういう場に自分の小説が必要とされていることが堪らない快感だった。

「あちらの創刊号には別の話を用意するよ」

 絶大な期待を寄せられてすっかり気分を良くした男は、冷めたコーヒーをすする。この喫茶店が出す品に文句ばかり吐いていた男だが、新作への創作意欲が些末な苛立ちを吹き飛ばしているようだ。

「少し編集部の方と話をつけてくるよ」

 友人が席を立つ。男はそそくさとトイレに走っていく友人の姿を見ながら、愛に溢れた物語の構想を練った。

 名作が脚光を浴びるには、ほんの小さなきっかけさえあればいい。



「うまく口説けました」

 通話相手にそう言って、男の友人は安堵のため息を吐いた。

 相手は彼が先に言った新創刊の雑誌を取りまとめる編集長だ。ねぎらいの言葉もそこそこに詳細の説明を求められて、達成感に浸る暇もない。

「詳しい契約内容はこれから取りまとめます。でも彼が丁度今の連載誌と編集部に嫌気が差していて良かったですよ。彼の構想は実に面白い。彼にしか書けないものになりますよ」

 小説家が語った構想の触りをこっそりと説明すると、電話口の編集長はううんと唸る。話に魅力がないように思うと言う。

「とんでもない。彼の小説は何度か読んでいますが、彼の書き口と彼が描く『善人しかいない世界』は確実に読み手に絶妙な不快感を与える。不愉快に感じるがその正体がすぐには分からない。分からないもの、特に嫌だと感じるものは確かめたくなるのが心情だと僕は思うんです。もはや本能と言ってもいい。編集長もあらすじを聞いて嫌な気持ちになったから魅力がないと表現したんでしょう?」

 編集長は納得していないようだが、力説は続く。

「登場する善人たちには説得力がない。彼が思う『善人』とはすなわち『自分にとって都合がいい人間』のことなんです。主人公の利益になる人しか登場しない話。それを愛の世界とのたまうのがとてつもない不快感を抱かせる」

 彼の物語は、彼が言う通りに現実味のない世界。男と友人の間で認識のズレはあるが、これが世に警鐘を鳴らすフィクションであることに違いない。

 これは美しいものだけを見せることでその空虚さを伝える小説などではない。

 きっと誰からも愛されることのない小説。

 人が他人に求めるものの醜悪さ。多くの人間が心の中で蓋をしている利己的な性質を、物語から垣間見ることが出来る。

 自らの醜悪さに気づきもせず、蓋をすることもないあの男にしか書けない作品だと、友人は確信していた。

「絶対にネットの海で大きな波を起こしますよ。お約束します」

 勢いに負けた編集長がついに執筆依頼を許可した。男はその場で頭を何度も下げる。

 あの男は褒めそやすほどに筆が乗る。孤独主義を気取っているので適度な距離を保ちながら筆を進めさせれば問題なく発行には間に合うだろう。

 自らのさらなる出世を確信しながら、待ちくたびれてショートケーキをつつく『金の卵』のご機嫌伺いに戻ることにした。

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