炎鬼将軍の隠れパフェ 〜最強武人を餌付けしたらふにゃふにゃに溶けちゃいました〜
壱単位
第1話 新しい暮らし
今日の収穫。
りんご。ちょっと切り取られたものも混じってるけど、ぜんぜんいける。
小麦粉。古くなったやつ。といってもたぶん、半月前に納品されたもの。
お砂糖。一部が湿気で固まっちゃったから、ぜんぶ捨てるんだって。
すじ肉と、芽の出たおいも、葉っぱの伸びたにんじん。
「やった」
わたしは思わず声に出してしまい、しまったと口を塞ぐ。神経質そうに髪を引っ詰めた厨房づとめの下女に思い切り睨まれる。
「あ、失礼、しまあす……」
えへへ、と愛想笑いを浮かべながら、戦利品を詰め込んだ手籠を肘にかけ、ゆっくり後ずさって厨房を出た。裏口の重い板戸をゆっくりと閉める。
外は暖かかった。のどやかな日差しがルキソエール家の広い中庭に降り注いでいる。庭師が丁寧に刈り込んだ緑がきらきらと輝いている。
誰もいないのを確認して、空いている片手でううんと伸びをしながら、おおきなあくびをした。
「よし、今日はアップルパイだ! 久しぶりだなあ」
鼻歌を歌いながら、広大な敷地の北の隅にあるわたしの住まい、炭焼き小屋に向かって軽快に歩き出した。
◇
この屋敷にわたしが住むようになって、半年になる。
つまり、エーレアンヌ・リットヴァルデン・リジオという貴族名を失い、新たに下働きのエルとして、元の敵国の将軍であるリディス・ルキソエールさまに仕えるようになって半年、ということだ。
わたしの父は、リジオ子爵。隣国の地方領主だ。いや、だった。この国との戦争に敗れて囚われ、どこかに幽閉されていると聞く。その妻も同様だ。
実の母は、近隣の同格の貴族の次女。大人しく控えめな性格で、父には愛されたらしい。が、わたしが十歳の頃に病を得て亡くなってしまった。
わたしは、母の手が冷たくなっても放さず、泣いた。泣いて泣いて、身体が溶けて流れてゆくように感じた。その方が良い、とも思った。
継母は、旅の役者だった。美貌と美声で売っていたという。傷心の父に取り入り、領主の妻となることに成功した。母が亡くなってまだ二年ほどのことだった。やがて懐妊し、男児を産んだ。
継母は、苛烈な性格だった。
後継ぎが生まれると、わたしの部屋は母屋から古い離れに移され、食事も分けられた。掃除も滞るようになり、衣服もほとんど与えられなくなった。侍女たちは気の毒そうに接してくれたが、継母の厳命により、ほとんど口も聞いてくれない。
最終的には、食事は皿の上にごろんと載ったおいも一個、というありさまだった。
それでも屋敷うちを歩くことは禁じられていなかったから、わたしは自由に歩き、素材を調達して、自分でなんでも支度した。母の仕込みだ。
母は外を出歩かない人だったけれど、代わりに料理や細工ものが好きで、貴族の娘としては珍しく、自ら台所にも立つ人だった。幼いわたしも、母の横で、甘い匂いを胸いっぱいに嗅ぎながら、お菓子が焼けるのを楽しみに待っていたものだった。
繕いものも、料理も、掃除も、わたしは嫌いではなかった。
そんなわたしに、こっそりとレシピを教えてくれる侍女も何人かいた。母国の郷土料理は、やや香りを強く効かせたものが多い。母もそうした料理が好きで、わたしの元には素朴な庶民の味の料理やお菓子のレシピがたくさん集まった。
そのうち、自分で焼いたお菓子を内緒で屋敷の外に持ち出して、市場で新鮮な果物や野菜、お肉と交換するということもできるようになった。これも、庭番の下男が手招きして教えてくれたことだ。
母屋には相変わらず立ち入れず、父にも継母にも、義理の弟にも会うことはできない。表立っては誰かと会話することもままならない。
それでもわたしは、十分に楽しく暮らしていた。
何年か続いた、そんな不自由で穏やかな日々が終わったのは、隣の国との戦争がはじまったから。
でも、戦争はすぐに終わった。母国が大敗したのだ。リジオ家は前線に立つことはなかったらしい。それでも踏み込んできた相手国に、父も継母も、そしてわたしも捕えられ、相手国に連行された。
父たちは軍議にかけられたようだったが、わたしは予想外に早く解放された。あまり重要な立場ではない、と思われたらしい。物事には良い面も悪い面もあるものだなあ、と感心した。
その代わり、わたしは相手国の将軍であるルキソエール公爵家に預けられ、監視されることになった。預ける、といっても、捕虜のようなものだ。幽閉されるのかと思っていたが、炭焼き番の下女として、屋敷の奥の炭焼き小屋に住むように命じられた。ただ、炭はもう外から買うようになっているとのことで、実際に炭を作る必要はないとのことだった。あくまで名目、ということだ。
初めてそこに案内されたとき、わたしは呆然とした。
その顔を見て、付き添いの下男は気の毒そうな表情で去っていった。
小屋はもう何年も使われていないということだったが、掃除をすれば十分住めそうだった。それどころか、もしかするとリジオ家の離れよりも良い造りかもしれなかった。
かつては炭焼き職人の家族が暮らしていたのだろう。井戸も厨房も洗面も、なんと浴槽さえ備えられていた。リジオ家では離れに水まわりがなかったから、冬も少し離れた水場に通って身体を拭いていたことを思うと、雲泥の差だった。
そしてなにより、充実した調理器具。きちんと研いでしまわれている刃物、浅いものから深いものまで何種類もある鍋、計量器、ふるい、延べ棒……。
わたしは、思わず目が潤むのを感じた。
あまりに快適すぎて。
母国から持ってきた最小限の荷物を片付けると、さっそく掃除を始めた。思ったとおり、軽く埃を払って雑巾をかけただけで住みやすそうな住居が現れた。
思わず鼻歌を歌いながら新しい生活の準備を始めていると、なにやら外からざわめきが聞こえてくる。
ほうきを持ったまま戸口を出ると、母屋の方でなにやら人が集まって声をあげているのが見えた。あとから思えば、ちょうどその日に遠征から戻ってきた屋敷の主たちを迎える家人たちだったのだ。
見張っている者もいなかったし、逃げるわけじゃないから構わないだろうと、わたしはそろりと歩いて近づいた。植え込みの陰から顔を出す。
と、ちょうど、騎乗した一団が居並ぶ家人たちの間を進んでいくのが見えた。
中央は、白馬。美しいその馬の背で、黒のマントを羽織った男が手綱を握っていた。
わたしは思わず、息を呑む。
真紅の髪。
燃えるような暴れ毛が渦巻いている。厳しく引き締められた眉も同じ色。
「あれが……
母国にまで轟いていた鬼の将軍の名。
それを呟いたとき、わたしは固まった。
彼が顔を少し振り向け、横目にこちらを睨んだような気がしたからだ。
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