はやみねかおるについて

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赤い夢

◆はやみねかおる


 一九六四年四月十六日生まれ。牡牛座。O型。

 身長一五八センチ。目が細く、白髪。本人曰く、チベットスナギツネに似ている。

 人に会うときは、必ず左頬に一枚の絆創膏を貼っている。本人曰く、「ちょっとでも顔が隠れるかなと思って」と、作家のトレードマークにしている。

 三重県伊勢市出身。三重県度会郡大紀町の自宅にて執筆されている。住まいにはたくさんの蔵書があり、家を建てるときに八万五千冊入る本棚を設計したものの、すでに漫画は入り切らず、ハードカバーを収納できるスペースは残りわずかになるほど本で埋め尽くされている。 

 三十年以上にわたり、主に小中学生向けのミステリー小説や冒険小説を手掛ける。

 二〇二四年四月に、還暦を迎えた児童文学の大家。

 人をどうやったら騙せるか二十四時間、トリックを考えている。

 新聞はネタになることが多く、熟読している。

 うさぎの記事をうなぎと読み間違え、奥さんに指摘された体験から、これをトリックに使えたら面白いものができるのではと思ったと、『都会のトム&ソーヤ』名古屋舞台挨拶で語っている。



◆子供時代


 小さい頃は、よく本を読んでいた。本を読んでいないときは、草野球して遊んでいたという。

 友達が文庫本を読んでいるのを知って、置いていかれると思い、兄の本棚にあった『山の向こうは青い海だった』(今江祥智・理論社)を読んだのが、最初に読んだ文庫本。

 初めて作家になろうと思ったのは小学四年生。単純に読んでわかる本がなかったので、書けばいいと思ったという。

 原稿用紙に小説を書いたのは、小学六年生のとき。

 中学からはずっと書いている。

 高校に行くまではミステリーとSF、大学生になってからはミステリーばかり書いていた。

 兄がホームズ好きだったこと、創元推理文庫から出ている海外の黄金期の作品はほぼ持っていた影響もあり、不思議な謎が溶けていくのがすごく好きで、ありがたみを感じるようになったことからミステリー好きになったという。

 教育学部に進学したのは、教育学部だった兄がきっかけ。

 小学生の時に、大学祭に連れて行ってもらい、数学科のゼミ室に入れてもらったことがある。部屋には漫画が山のようにあり、「ここは天国や」と感じた理由から、教育学部数学科に進んだという。

 教師になるとは一切思っておらず、できたら小説を書いて食べていきたいと漠然に思っていた。教師みたいな堅苦しいことは、自分には向いていないとも思っていたという。

 大学三年の冬と四年の卒業間近に、江戸川乱歩賞に応募するも、どちらも落選。



◆教師時代


 小説家になる夢を一度は諦め、小学校の教師として、十四年間小学校の先生を勤める。

 最初に受け持ったのが、小学四年生。四十五分の授業がいつも四十分で終わる。五分の使い方がわからず、残り五分、遊んでこいと外に出していたら、校長先生に呼び出され「他のクラスはまだ授業をしているのだから、早く遊びに出させるな」といわれる。

 五分間座らせておくのは退屈だから、「なにか話して」といわれ、星新一のショートショートを話して聞かせた。そのうち話がなくなり、中学時代に書いたショートショートを話すと、「面白くない」といわれる。

 今度は、自分で考えた長編を話しはじめる。長編にすれば、明日はこの続きから、話すときも、子供が喜ぶようにストーリーを考えていった。

 最初に話したのが『ぼくが学校に行っている間……』という話だった。「みんな今こうやって学校に勉強しにきてるけど、その間、町はどんなふうになってると思う? そのことを疑問に思った子供が主人公の話でね、『ぼくが学校に行っている間……』っていう題名なんだ」と、黒板に絵を書きながら話した。

 最後まで話し終えたとき、「先生これ本なん? 本なら読んでみたい」と言ってきた子がいた。

 自分で考えた話とは言えず、「これね、古い本なんだ。覚えている範囲で先生が書き写して配ってあげよう」といって、イラストもつけて製本したのを配って、無理やり読ませていた。

 次に二年生を受け持ち、口の悪い子がいた。「悪口はあかんぞ」と偉そうにいえるタイプではなかったので、悪口を盗める泥棒の話を考えた。それが『怪盗道化師(ピエロ)』。他にも子供には色々と困っていることがあるので、それも盗んでいく泥棒の話にして、地図を描いたり冊子にして配った。全部で三十六話。親御さんも喜び、評判も良かった。

 三年目になると、どんな教師かわかったのか、すごく優秀な子たちをクラスに固めた五年生を受け持つことになる。あまりに優秀だったが、しっぱしても「また今度やればいい、自分たちは優秀だから」という意識が子どもたちにあった。そこで、「あのな、真剣勝負っていうのはな、真剣での切り合い。切られたら死ぬんやで。だから、もう一回は絶対通用せん。みんなは真剣勝負をわかってないんじゃないか」と偉そうにいい、「先生は童話みたいなのを書いとる。それを童話の新人賞に送ってみる。それでしょうが取れなかったら、ほんとうにもう童話は書かん」と宣言した。

 それで送ったのが『怪盗道化師(ピエロ)』。

 全三十六話の中から十話を選んで、第三十回講談社児童文学新人賞に応募。

 佳作を受賞。作家デビューを果たす。

 賞をとったら、カッコつけ多分恥ずかしくなってしまった。子供たちに真剣勝負の意味がわかってくれたらよかったのであって、賞をとっても取らなくてもよかったのだが、こうして二足のわらじを履くことになる。

 はやみねかおるが、二十五歳の時だった。


 当時は、小学校の先生が物語を書いている意識だったと語る。

 その後は、十年ほど兼業を続け、大型連休や盆休みに執筆スタイルを取る。、

 二足のわらじをしていたが、体力がもたなくなり、三十六歳で作家に専念することになる。

 いまでも、こんな授業がしたいというアイデアが浮かんでくることがあるという。



◆作家時代


 先生をしていたときは、正月休み、GW、盆休みに、執筆時間を設けて超集中して書いていた。

 お話の構想や舞台は、担当編集者と打ち合わせをして決めている。時間がかかるときもあるし、即決のときもある。

 なにを書くか決めたら、最初にノートを準備して、メモ書きしていく。章タイトルを書いたりキャラクターを書いたり、こんな感じの話にしようかなという流れを書くけど、この段階ではあまり決まらない。

 とりあえず書いてみようかなとノートパソコンを使い、迷ったらノートにメモをしたり資料を調べたり。


 一日六〜八時間くらい、本にすると十〜十五ページくらい書く。

「一日にこれくらい書くぞ!」と決めて書くと、面白くないことが多いため、自然と筆が進むときが一番出来が良い。

 自分で読んで面白くない、次の展開によっては面白くなくなった場合、書いたものをお蔵入りにすることもある。

 作品を作るうえで大切にしていることは、値段。

 子供たちが少ない小遣いで買って読んでくれるため、値段分の面白さは絶対になければ、と強く意識している。


 また、読者への影響は考えないといけないと思っている。大人はすでに価値観を持っているからいいが、子供たちの価値観はまだ形成中。子供向けに書くときは、子供に与える影響についてよく注意するようにしているという。


 早いときで、締め切りの一日か二日前、遅いときは一、二か月遅れるくらいで出来上がる。昔は、プリントアウトして郵便局の営業時間外窓口に持っていって送っていた。いまは、出来上がったファイルをメール添付で送る。訂正箇所が送り返されてきて、直して完成。

 キャラクターやストーリーは自然に浮かんでくるという。

 ストーリーを作り、それに合わせてキャラクターができることもあれば、キャラクターが動いていくなかでストーリーができることもある。この二つのやり方で書いている。

 作中で出てくる、ドキッとするセリフや言葉も同様で、書いている中で出てくるという。無理にかっこいいセリフを書いていると、その場面が浮いてしまう。あとで消すことになるので、政府やキーワードを作ろうという感覚を持たないようにしている。

 夢水清志郎の「名探偵はみんなが幸せになるように事件を解決する」は、自然に出てきたセリフだと語っている。

 作者自身、物書きしていることに現実感がないという。執筆を続けてきた間、一晩の夢のように感じているため、夢や非現実を生きている感覚が、書きながら無意識のうちに作品に出てきていると語っている。


 子供たちに「小説家になるにはどうしたらいいですか」と聞かれたときは、いつもの優しい元教師地は思えない口調で「小説家になるなんて簡単だぞ。自分は創設可だって名乗ったらいいんだ。ただ、小説だけで飯食うというのは少々覚悟っていうものがいるぞ」と答えている。

 憧れで生きていけるほど、世の中甘くない。でも、覚悟さえあれば上手くいかなかったときでも諦められる。「人生楽しく」と表ではあ笑顔を作り、腹の中ではちゃんと据えた根性を持っていたら、なにが宛ても死ぬときは笑って死ねるんじゃないかとおもっている。

 

 小説を書くのに詰まったら、走る。他には、農作業。それでも回復できなかったら、仕方ないので机に張り付くという。

 書く内容にもよるが、一つの作品を書くためには三か月は欲しいと語っている。

 以前、「六十歳で定年」と公言し、後に六十五歳まで延長するも、昨年行われた野間児童文芸賞特別賞の贈呈式で「九十二歳まで書く」と宣言している。



◆作品の傾向


 はやみね作品は、ストーリーがストレートでわかりやすく、子供たちが夢中になれるエンターテインメント性の高い作品として、評価されている。

 複雑な心理描写よりも、テンポの良い展開と、わかりやすいミステリーが魅力。

 代表作「怪盗クイーン」シリーズや「名探偵夢水清志郎事件ノート」シリーズなど、子供向けのミステリー作品を多数執筆している。

 壮大なトリックや危険なガジェットを取り入れながらも、やさしいストーリー展開で、読後感がスッキリするのが特徴。

 しばしば世界観や登場人物を共有している。例えば「オリエント急行とパンドラの匣」では、怪盗クイーンと夢水清志郎が共演している。『令夢の世界はスリップする 赤い夢へようこそ -前奏曲-』では、はやみね作品の主要キャラクターが出演している。

 所々にパロディが散りばめられているのも、特徴の一つ。

 過度のエロティックな表現や、残虐描写は避ける傾向にあり、子供向けの作品にふさわしい節度を保っている。



◆おもな年表


・一九六四年

 現在の三重県伊勢市で生まれる。小学生の頃から推理小説を愛読。読む本が少なくなり、自ら物語を書くようになった。


・一九八三年

 三重大学に入学。教育学部数学科で学ぶ。

 在学中、推理小説の新人賞に、二度応募するも落選。


・一九八七年

 三重大学卒業。小学校教師として県内で働きはじめる。


・一九八九年

『怪盗道化師(ピエロ)』が講談社児童文学新人賞の佳作に選ばれる。翌年に単行本が刊行、作家デビューする。


・一九九四年

 名探偵夢水清志郎が活躍する『そして五人がいなくなる』を刊行。人気を博し、シリーズ化。


・一九九九年

 夢水清志郎シリーズ原作のドラマ『双子探偵』がNHKで放送。


・二〇〇〇年

 十四年間勤めた教師を退職、専業作家になる。この歳、刊行の『いつも心に好奇心(ミステリー)!』(松原秀行さんとの共著)が宇都宮市の児童文学賞「うつのみやこども賞」を初めて受賞。

『少年名探偵 虹北恭助の冒険』刊行。シリーズ化。


・二〇〇二年

 怪盗クイーンが活躍する『怪盗クイーンはサーカスがお好き』刊行。シリーズ化。


・二〇〇三年

 男子中学生コンビが冒険に繰り広げる『都会(まち)のトム&ソーヤ』シリーズの刊行がはじまる。


・二〇〇四年

『ぼくと未来屋の夏』二度目の「うつのみや子ども賞」に選ばれる。


・二〇〇六年

 四月からブログ「Hayamine Kaoru@はやみねかおる はやみねな日々」を執筆。


・二〇〇七年

『赤い夢の迷宮』(講談社ノベルス)を刊行。大人向けミステリーということで、ひらがなではなく、漢字のペンネーム「勇嶺薫」で出版。


・二〇〇九年

『名探偵夢水清志郎事件ノート』(原作)第三十三回講談社漫画賞(児童部門)に選ばれる。

『恐竜がくれた夏休み』三度目の「うつのみや子ども賞」に選ばれる。


・二〇一五年

『大中小探偵クラブ -神の目をもつ名探偵、誕生!-』刊行。シリーズ化。


・二〇一八年

 初の横書き作品『奇譚ルーム』刊行。四度目の「うつのみやこども賞」に選ばれる。


・二〇二〇年

 全小説家志望者必見! 人気児童書作家が小説形式で教える『めんどくさがりなきみのための文章教室』(飛鳥新社)刊行。

『令夢の世界はスリップする 赤い夢へようこそ -前奏曲-』刊行。クイーン、夢水清志郎、岩崎三姉妹、虹北恭助ら、はやみねかおる作品の主要キャラが総出演する、壮大な「赤い夢へようこそ」シリーズ前奏曲。


・二〇二一年

『都会のトム&ソーヤ』の実写映画化。夫婦で初映画出演。


・二〇二二年

『怪盗クイーンはサーカスがお好き』劇場アニメ公開。


・二〇二三年

 長年の執筆活動で、野間児童文芸賞特別賞を受賞。

 

・二〇二四年・夏

 はやみねかおる公式ファンクラブ「赤い夢学園」開校決定。


・二〇二五年・春

『怪盗クイーンの優雅な休暇(バカンス)』劇場アニメ公開予定。


 

◆冒頭、自己紹介させる理由


「子供が主人公に感情移入したり、興味を持ったりしてもらえるように。自分と似ている、ここは違うなと思ってくれたら嬉しい」

「語りかけるような書き方が、子供には読みやすいかなと思います」



◆赤い夢について


 子供の頃に読んでいた、小林信彦さんの小説、オヨヨ大統領シリーズの『大統領の晩餐』に登場した言葉。

 私達は赤い夢に住んでいて、逃げることは出来ないのだというシーンが強く印象に残っており、小説の中で度々使っている。

 自分もずっと夢を見ていたい。はやみね少年の心を捉えて離さず、小学四年生くらいから小説を書きはじめた。

 赤い夢を見せてくれる作家にあこがれた少年は望みを叶え、現在では、子供と、かつて子供だった大人に夢を見せ続けている。



◆関係者の証言


「青い鳥文庫」(講談社)の副編集長で、十年以上親交のある山室秀之氏の証言。

「人当たりがよく、物腰は柔らかい。そして、観察眼がよても鋭い」

 二〇一八年の取材で訪れたモナコのカジノで、ルーレットのディーラーをじっと見つめていた姿が印象的。(『都会のトム&ソーヤ』映画化の話は、このときの旅行前に聞かされた模様)

 作品からは、「面白さを追求する姿勢と、大人としての責任」を感じるという。「子供たちに戦争や環境破壊、貧富の差、差別や偏見がない未来で未来で幸せに暮らしてほしい、そう願っていると思う」


 はやみねかおるの妻の証言。

「サービス精神が旺盛。一緒にいる人を、楽しませようと、心地よくさせようとする人」「そもそも作家をやめられないのでは。遊んでいても原稿のことが常に頭にある人だから。元気にやりたいことをやって、一緒に楽しませて」とエールを送る。




 

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