第51話 太陽と月

(え……?)


 オルブライト公爵令嬢がきっぱりと言い切ったその言葉に、大広間は再びざわめき出した。一瞬頭が真っ白になった私は、無意識にアリューシャ王女の方を見る。王家の方々の中、桃色のドレス姿で唖然とした表情を浮かべ遠巻きにこちらを見つめていたアリューシャ王女と目が合った。


「……何を……、一体何を仰っているのですか、オルブライト公爵令嬢。私はアリューシャ様の私物を盗んだことなど一度もございません!このネックレスも……、これは正真正銘私の物でございます!」


 私は必死になって言い募った。冗談じゃない。いくら何でもひどすぎる。セレオン殿下やアリューシャ王女に、私が盗っ人などと思われたら耐えられない……!私が高価なアクセサリーを身に着けているというだけで、この人はこんなことを言い出したの……?!


「白々しい言い訳はおよしなさいな、クルース子爵令嬢。私は今日王宮へ上がってからこの広間に入る前に、王女殿下とお会いしているのよ。その時王女殿下はあなたが今堂々と身に着けている、そのルビーのネックレスを着けていらっしゃったわ。それなのに、今王女殿下は別のネックレスを着けていらっしゃる。きっとそのルビーのネックレスを、途中で落とすか失くすかなさったと思われたのでしょうね。手癖がすごいわ。……あなた、一体どうやって王女殿下の胸元からネックレスを盗み取ったの?以前から度々この王宮の周りをうろつき、先日王宮内に侵入し捕らえられたというあなたの元夫も、金銭には随分汚かったようね。普段からご夫婦で盗みの練習でもなさっていたの?」

「いい加減にしないか、ジュディ嬢!ミラベル嬢は盗みなどしない。決してそんな人じゃない。君の勘違いだ。ひどい侮辱だぞ。一体どうしたんだ」


(セ……、セレオン殿下……っ)


 万に一つも私が悪事を働いた可能性など考えていない毅然とした口調で、殿下はオルブライト公爵令嬢を叱った。胸が熱くなり、涙腺が緩みそうになる。瞳の中に涙がじんわりと溜まってしまったけれど、今会場中の人々が私たちに注目していることを考え、涙を零すのは必死で我慢した。


「……ありがとうございます、殿下。……仰るとおりです。これは私の亡き母の形見の、大切なネックレスです。決して王女殿下のものではございません」

「あら、それをどう証明できるというの?細部に至るまで、随分変わったデザインよね?それ。珍しいから私はっきりと覚えていてよ。どう見ても一点物だわ。たまたま王女殿下がお持ちのネックレスとデザインが完璧に一致するなんてことがあるかしら?」


 嘘でしょう?まさか、そんなことを……?

 周囲の人々の声がチクチクと耳に届き、頭が真っ白になる。アリューシャ王女が、これと同じネックレスを着けていた……?そんなはずない。言いがかりに決まってる。だけどこの状況で、私の過去の結婚歴や、問題行動を起こした元夫、それに決して裕福ではなかった実家のことまで持ち出されたら、ここにいる人たちに、まるで私が本当にろくでもない人間のように思われてしまう。


 セレオン殿下がなおもオルブライト公爵令嬢に何かを言おうとしてくださった、その時だった。


「違うわ!それはあたしの物じゃない!そのネックレスは本当にミラベルさんのものなのよ」


(っ!……アリューシャ様……)


 広間の奥から凛とした声が響き、皆が一斉にそちらに注目する。それはアリューシャ王女の放った言葉だった。

 アリューシャ王女は侍女を呼び寄せ何やら耳打ちする。すると数人の侍女たちが慌てて広間を出ていった。王女はそのまま真っ直ぐに私たちの元へやって来る。


「まぁ……、このようなことになってまで、こちらの方を庇って差し上げたいのですか?王女殿下。ですが恐れながら、そのような私情を混じえた依怙贔屓は、決して王家のためにはなりませんわ。罪を犯した者にはきちんと罰を与え、不穏分子はこの王宮からきっぱり排除してしまわなくては……」

「だから違うってば!あなた何なの?本当に失礼ね。何の証拠もなくこんな公の場でミラベルさんを盗っ人呼ばわりするなんて。公爵家のご令嬢とは到底思えない無作法ぶりだわ。お兄様がミラベルさんに優しくするのが気に入らないからどうにかして彼女をここから追い出したいんでしょうけど、はっきり言ってそれじゃ逆効果よ!あなたがますますお兄様に嫌われるだけだわ」

「……っ!な……!」


(ア、アリューシャさま……っ!!)


 会場全体が息を呑む。アリューシャ王女こそ、品良く優美でしとやかな王女様の仮面が完全に剥がれてしまっていた。いつものちょっとお転婆で気が強いアリューシャ王女が、私のためにオルブライト公爵令嬢に牙を向いてくれている。

 オルブライト公爵令嬢はこめかみに青筋を立て、唇の端を小さく震わせながら懸命に怒りを抑えているようだった。


「……でしたらなぜ、王女殿下はあのネックレスを今着けていらっしゃらないのです?私はこの目で見ましたのよ。とても変わったデザインでしたから、しっかりと覚えておりますわ」

「あなたが何かあたしにネチネチと嫌味を言ったその後で、わざとらしくネックレスのことまで口にしたからよ!ケチつけられたみたいで嫌だったから、あれから部屋に戻ってわざわざネックレスを替えたの。せっかくミラベルさんとお揃いの、大切な大切なネックレスなのに。それを今日ミラベルさんに披露する気分になれなくなったのよ。本当にあなたって、嫌な人ね!」

「……な……っ!!」


(え?……私と、お揃い……?)


 どういうこと?

 アリューシャ王女は何のことを言っているのだろう。


 その時、先ほど出ていった侍女たちが肩で息をしながら、アリューシャ王女の元へやって来た。そして王女に何やら手渡す。


「あ!ありがとうあなたたち。……ほら、これ!よーく見なさいよ!あなたの目、節穴なの?何がはっきり覚えてる、よ。このルビーから下がったモチーフ、見える?私のは太陽、ミラベルさんのは月のモチーフよ!ここが全然違うじゃないの!」


 アリューシャ王女が白いケースから取り出し、オルブライト公爵令嬢の目の前に掲げたそれを見て、私は息が止まった。

 それは紛れもなく、今私が身に着けている母の形見のネックレスと、ほぼ同じデザインのものだったのだ。同じチェーン、同じルビーの形、そして、お揃いのテイストのモチーフ……。


 オルブライト公爵令嬢の顔面が蒼白になった。はっきりと見てとれるほどに、一気に血の気が引いていく。唇をぶるぶると震わせながら目を大きく見開き、目の前に見せられているそのネックレスを、まるでこの世のものならぬ化け物でも見たかのように呆然と見つめている。セレオン殿下も私も、そして会場中の人々が皆銅像のように固まり、アリューシャ王女のネックレスを見つめていた。


「話はまとまったのか?」


 その時。これまで静観していた国王陛下が、突然静かな、それでいて会場全体に響き渡るような存在感のある声を上げた。


「っ!!」

 

 私もドキッとして、あわてて国王陛下の方を見る。


「……ジュディ・オルブライト公爵令嬢。そなたの思い込みにより、どうやらそちらの女性を侮辱し、傷付けたようだな。軽はずみに他人の名誉を傷付けるなど、決して行ってはならぬ愚行だ」

「……っ、……あ……、」

「謝罪しなさい。そちらの、ミラベル・クルース子爵令嬢に」


(っ!)


 こ、国王陛下が……、このレミーアレン王国の国王が、わ、私の名前を呼んでくださった……!


 何だか違ったところで妙な感動を覚えていると、さっきあんなにも真っ白な顔になっていたオルブライト公爵令嬢が、今度は茹だったような真っ赤な顔をしてぶるぶると震えながら私の方を向き直った。耳も首も、まるで赤い絵の具でも塗りたくったかのように染まっていた。


「……大変、失礼いたしましたわ……、クルース、子爵令嬢……。どうぞ、お許しあそばして……」


 苦しげに呻くような声を出しながら、オルブライト公爵令嬢が私に詫びた。ええ……、と半ば上の空で返事をしながら、私はもう一度アリューシャ王女の手にあるルビーのネックレスを見つめ、そして王女の顔をまじまじと見た。


 アリューシャ王女は、気まずそうな、困ったような、何とも言えない表情で私のことを見つめていた。







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