第4話 悪化の一途
全ては父と母のため。クルース子爵家と領民たちの生活を守るため。そう自分に言い聞かせながら、私は歯を食いしばって日々をやり過ごしていた。夫の裏切りにも、義父母からの冷遇にも次第に心が慣れてきた。
その虐げられ続ける結婚生活にさらなる暗雲が立ち込めたのは、嫁いでから二年後、私の両親が事故で亡くなった頃だった。
父と母はその日、領内の河川工事に立ち会っていたらしい。視察に行った現場で、年配の作業員が土木材に足を挟まれ危険な場所で立ち往生していたところに真っ先に駆けつけ助け出そうとし、その際に巻き込まれた事故で命を落としたという。
我がクルース子爵領は主を失い、ひとまず王家管轄の地となった。
「両親が死んだからといって、お前のうちでの立場が変わることはないんだからな、ミラベル。もうお前には帰る場所もない。このままここに置いてほしければ、ハセルタイン伯爵家のためにこれまで通りしっかり働け」
「そうですよ。実家への援助がなくなったからといって手を抜くことは許されないわ。もし反抗的な態度をとるのなら、お前をここから追い出すからね。お前のような小娘が外の世界でまともに生きていくことはできないわ。働き口があるとすれば、せいぜい娼館か洗濯女、もしくはどぶさらいかしらね」
夫ヴィントと義母はそう言い放ち、これまでより一層私に辛くあたるようになった。愛する両親を失った痛みを抱えたまま、私はどうすることもできずにハセルタイン伯爵家のために働き続けた。
しかしそれからわずか一年後、今度は流行り病のためにヴィントの両親が亡くなったのだ。元々持病のあった二人は感染力の強い病に対する抵抗力が弱かったのか、あっけない最期だった。ヴィントが22歳、私が18歳になったばかりのことだった。
これからどうなるのだろう。爵位を継いだヴィント様は心を入れ替えてしっかり働いてくださるのだろうか。彼が領地の仕事に関わっているのをほとんど見たことはない。私も今まで以上にしっかりしなくては……。
そんな風に考える私とは裏腹に、ヴィントはますます好き勝手に行動するようになった。これまでは控えめだった金遣いが一気に荒くなり、何人もの女性たちと朝晩遊び歩き、ついには娼館にまで通いはじめた。そしてある日、波打つ長い黒髪に紫色の吊り上がった瞳を持つ妖艶な美女を連れて帰宅したのだ。
「このブリジットのことは、これから俺と同じようにお前の主と思え。いいな」
「この子が子爵家出身の妻ってわけ?……ふん。そのストロベリーブロンドの艷やかな髪とエメラルドのようなまぁるい瞳でヴィントを誑かして妻の座に納まったってわけね。……気に入らないわ」
そういうとその初対面の女性はこちらに歩み寄り、突然私の頬を叩いたのだ。
「──────っ!な……、何をするのですかっ」
「何って、躾よ。貴族階級の出身だからって、あたしを舐めたら痛い目見ることになるわよ。それをまず最初に教えてやったんだわ」
そのブリジットという名の女性は平民で、ヴィントが市井の酒場で遊んでいる時に出会ったらしい。よほど私のことが気に入らないらしく、「貧乏子爵家の小娘のくせに、生意気にも伯爵家の令息を誑かして結婚したあざとい女」と罵られ、ヴィントと二人がかりで私を虐めてくるようになった。
そしてブリジットは、我が物顔でハセルタイン伯爵家の財産を浪費しはじめた。ヴィントはそれを諌めることもなく、「ミラベルが稼ぐから大丈夫だ」などと私に仕事を丸投げし、ますます遊び呆けるようになってしまった。
ほどなくして、私はヴィントから離婚を申し渡され、ブリジットがヴィントの後妻の座に収まった。「これからはお前は正真正銘、ただの使用人だ」。離婚の書類にサインをする時にヴィントから言われた言葉はそれだった。
転落はあっという間だった。私がどんなに働いても、金遣いを改めるよう諌めても、あの二人は家中の金を使い尽くす勢いで浪費した。次第に使用人たちへの給金の支払いが難しくなり、解雇していくしかなくなった。最低限の人数に減らし、日々の食費を切り詰め、日用品を使うのにもギリギリまで節制した。これまで使用人たちがしてくれていた労働を補うため、私は料理に洗濯、掃除や買い出し、何でもやった。けれどそこまでしても、生活は苦しくなる一方だった。私が注意し、浪費を止めるよう懇願すればするほど、ヴィントとブリジットの機嫌は悪くなり私は幾度も暴力を振るわれた。
そしてあの日、彼の最後の横暴なふるまいが私の左耳に大きな怪我を負わせたのだった。
(……さぁ、これからどこへ行こうかしら……)
ひとまず東の方へと乗り込んだ辻馬車の中、窓から外を見ながら、私は小さくため息をついた。
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