第四話 向こうの岸へ
「あやつは馬か?」
「いいや、あれは馬鹿だ」
「馬鹿ならあながち馬と変わらんな」
この場に大蔵がいたら怒っていたであろう。しかし私は褒め言葉と受け取った。馬を使っても半日で戻って来れる距離ではない。
全く大蔵の体力お化けぶりには驚かされるばかりだ。それに加えて随一の切れ者なのだから、本当にお主が御子様を名乗った方が良いのではと思ってしまう。
「あやつは本当に人か?」
皆、口々に大蔵のことを褒め称え出した。なんだか私が褒められているような気分になり、嬉しくなってしまった。
対岸に目をやると、大蔵は聞き耳を立てているような仕草をしながら、忙しなく走り回っていた。安全の確認ができると、大きく手招きをして早くこいとの仕草をしてくる。
「彼奴は直ぐ調子に乗る故、今の言葉決して本人の前で言うではないぞ」
笑いが広がった。皆の気鬱は完全になくなったようだ。
「四郎様、縄を腰にお巻き下さい」
松右衛門殿が丈夫そうな縄を差し出してきたので、私は驚きの表情を浮かべ見返した。
「ここにいる者達は、四郎様の力が弱まっていることを知っています。失敗されても我々が支え、何度でも引き戻します故ご安心してお渡り下さい」
本物の御子様は大蔵と比べ、皆に気を使わせてばかりのようだ。それにこの縄だ。これにも驚いた。これほど丈夫そうな縄をいつの間に拵えていたのだろうか。
私の力が弱くなっているという噂はかなり広まっていると聞く。皆知っていてこれほど丈夫そうな縄をこの短い間に拵えたのだろうか。皆は何故、頼りにならない御子様を支えてくれようとしてくれるのだろうか。
「すまぬ」
私は皆にはない力を有している。私が皆を支えなければいけないはずなのに、支えられてばかりのような気がする。
皆の目が私に集中しているのが分かる。不安そうに見つめている感じが伝わってくる。心許ない救済者で本当に申し訳ない。
川の流れは昼間よりさらに激しさを増し轟音を響かせていた。
大蔵は約束を守ってくれたのだ。次は私の番だ。
水面の上を歩けたからといって得したことなど一度もなかった。湯島まで歩いて渡った時もあったが、船で渡った方が断然速かった。
歩いて渡る必要など一つもなかった。
私に奇跡の力が無くなってしまったと思われたくなかったから、鍛錬を続けていた。水の上を歩ける事は私の力を示す目安でしかなかった。
水の上を渡れる能力が有効活用されるとしたら、今が初めてだろう。
向こう岸では大蔵が大きく手を振っている。こっちは大丈夫だ。早く渡って来いと言っているような気がした。向こう岸の安全は大蔵が確保してくれている。
覚悟を決め一歩踏み出す。
川の上ではなく普通の地面だと言い聞かせまた一歩踏み出す。川の上を歩いているなど考えず、一歩ずつ踏み出して行く。地面の上を歩くように踏み出す。
後ろから称賛の声が上がったが、直ぐに聞こえなくなった。松右衛門殿が気遣って静かに見守るよう言い聞かせているのだろう。
中程の岩に到着したところで気が抜けてしまったのか、体勢を崩してしまい流されてしまいそうになった。
必死で岩にしがみついた。
後方からたくさんの人の悲鳴にも似た声が響き渡ったが、直ぐに聞こえなくなった。皆がまた気遣ってくれたのだろう。
皆の統制のとれた行動には感服する。沈黙することが私への応援となっている。皆の思いが手に取るように伝わってきた。
岩の上に立ち上がると振り返り、問題ないとの合図を送る。皆、声を出さないまま手を振り返してくれた。
対岸に目をやると大蔵も両手を広げ胸を大きくして、深呼吸して一旦落ち着けとでも言っているような仕草をしていた。
あと半分。
私が一歩踏み出そうとした時、大蔵が両手を差し出し動くなとの仕草をしてきた。何事かと思い私は体を強張らせた。
敵が現れたのかと思ったが、どうやら違ったようだ。どこで調達してきたのだろうか、縄を取り出しこちらに投げてくる。一度目は届かなかったが二度目は私の手元にまで届いた。
私の安全は確保されたようだ。
大蔵に言われたように大きく深呼吸すると、一歩踏み出す。想定していた通りこの岩の両脇が一番流れが激しい。
再び呼吸を整え水の上にいるという意識を外し、一歩踏み出す。焦る気持ちを抑え、また一歩踏み出す。
最後は大蔵の長い手が伸びてきて私を抱え上げた。
しばし抱き合い喜びをわかち合った後、対岸に向かい大きく手を振る。皆も大きく手を振り返してきてくれた。
笑顔が溢れていた。
縄を木に強く結び合図を送った。やはり縄梯子の上を渡るのは難しいようで皆、縄梯子に捕まり体を支えながらゆっくり歩いて向かって来るようだった。
大蔵は手早く火を起こすと私の濡れた着物を脱がせ、自分の着物を私に羽織らせてくる。私が拒否しようとするとそんなこと気にする素振りも見せず、どんどんと自分の作業を進める。
「四郎は一番の功労者なのだから、ゆっくりしてろ」
いや、それはお主だろ。
「それより四郎、二手に分かれることになるがどっちに行く?」
焚き火の前に丸太を用意し私を座らせるとそう聞いてきた。民を説得する側に回るか、敵将の首を取りに行く側に回るかを言っているのだろう。
「当然、敵将の首を取りに行く」
敵兵と言っても同じ村の者同士だ。顔見知りの者も多いはず、説得は皆に任せ我々は大将首を取りに行くのが適策だと思った。
「四郎はここに残って説得に回ったほうがいいと思ったが、やっぱりそうきたか」
「前みたいに体の震えが止まらなくなったって知らないぞ」
大蔵は意地悪そうな視線を向けて嘲り笑っている。以前の醜態を思い出し、顔が火照ってしまった。
「私も鉄砲くらいなら撃てる」
「分かってるって、それで攻め上がるにしても何か策はあるのか?」
策か、私が思案していると大蔵はどんどん話を進めてきた。
「二つくらい思い浮かんだんだが聞くか?」
流石は大人達を唸らせる奇策を考えだした大蔵だ。二つも思い浮かんでいるとは。
「一つ目は我々は今、敵軍の横側にいる。縦の塊になって土手っ腹を貫き、敵を分断させる。前方側にいた兵は説得すればこちらに寝返る可能性が高いから、寝返らせたら後方側に一気に傾れ込む」
「もう一つは横長になって攻め上がる。敵の前方部分を攻める者は説得に重きを置いて攻める。後方部分を攻める者は相手主力との衝突になるので、こちらも主力をぶつける。ぶつかっている間に前方の説得を終えた者達が傾れ込んで一気に制圧をする」
私にはどちらも良策に聞こえた。判断しかねるので、やはりここは大人達の意見を聞いてから判断することにしよう。皆の到着を待つことにした。
「しかし大蔵は本当に頭良いな、どこで兵学習ったんだよ」
「へいがく?ってなんだ?兵がなんか食ったのか?」
兵が、食う、ではない。
言うんじゃなかった。
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