第三話 天寿を全うするの意味

「四郎様は何か勘違いされているようですね」


 今まで口を開かず、場を見守るようにしていた三吉が遂に口を開いた。


 三吉はこの中で一番聡明な知性の持ち主だろう。弁が立ち、村人からの信頼も厚い。そして先見の明がある。


 私が逡巡しているのを見抜いたのだろう。しかし勘違いしているとは何を根拠に言ったのだろうか。


「四郎様が我々をお救いになるのではなく、我々が四郎様を救いたいのです」


 私を救うだと。私は天の御子として民を導かなくてはならない存在。その私を救うとは如何なることなのだろうか。


「身を投げ打つことで死して天の楽園に行ける。この言葉は四郎様を守るために戦うことを言っていることだと思っています」


 真っ直ぐ見つめてくる瞳からは力強さが感じられた。何の根拠もなく発してきた言葉だとは思えなかった。

 私のことを天の御子様と思い込んでいる者からすると、私のために戦うのは天寿を全うするということになるのかもしれないが、私はそれを望んでなどいない。


「私は死後ではなく、現世で皆を幸福へ導きたいのです」


 私がそう返すと、そう言ってくると思っていたかのように三吉は軽く笑った。


「自分は四郎様に出会うまで、自分のことが一番優れている人間だと思って生きてきました。四郎様覚えていらっしゃいますか、自分の村を初めて訪れた時のことを」


 覚えている。確か二年ほど前だ。蘆塚殿に言われ訪れた村に三吉はいた。


「年貢の取り立てが厳しく何も差し出す物など無いというのに、役人共は暴力を使い、横暴な取り立てを止めようとしませんでした」


 そうだ、だから村人の心が荒んでしまっているので、蘆塚殿に村を救って欲しいと懇願され訪れたのだ。


「二進も三進も行かない状態だった自分達は舟を出し魚を取って納め、役人達からの暴力から逃れようと考えました」


 あまり思い出したくない過去なのだろう。虚空を見つめながら話していた。


「漁業の心得など無い者が多い村なので、最初はかなり苦労しました。が、徐々に潮の流れを読み、鳥の動きを見て魚のいる場所を探り当てられるようになってきました。自分が一番上手くできました。自分は何をやっても人より上手くできるのです。あの時の自分は増長していました」


「しかし長くは続きませんでした。次第に不漁が続くようになり、村人達はお互いに罵り合ったり、取れない責任を擦り付け合ったりするようになり、険悪な雰囲気が漂うようになったのです」


「その時です。我が村に四郎様が訪れたのは」


「四郎様は大漁になるよう、祈りを込め十字を切るのです。そんなことをしたところで如何なものでもないと思っていたのですが、四郎様が祈りを捧げた舟だけ大漁になるのです。潮の流れも鳥の動きも何も考えずに漁をしているというのにです。信じられませんでした。四郎様には自分には計り知れない力があるのだと感じました」


 私にそんな力があったとは知らなかった。皆の無事を祈って十字を切ったのだが、大漁になるよう祈ったことになっているのか。


「増長していた自分が急に恥ずかしくなりました。自分の存在などどれほど小っぽけだったのか自覚させられました」


 そういえば三吉は最初の頃、私の事を毛嫌いしているように感じられた。増長していたのなら、自分に出来ない事が私に出来る訳はないと思っていたのだろう 


「お考えをお改め下さい。四郎様こそ唯一無二の存在で、四郎様が存在することが現世の幸福となるのです」


 何という考えか、自分達が生き残るための戦いではなく、私を生かすために戦うということなのか。三吉はいつからそんな考えを持つようになったのだろうか。


 三吉は村一番の切れ者で何かと頼られる事が多かったと聞いている。私と似たような境遇だったことだろう。

 上手くいっている時は良いが、上手くいかないときは人一倍の重圧がかかってしまっていたことだろう。


 自分ではどうすることも出来ないような境遇に置かれた時、それを救ってみせた私の存在を認め、自分を犠牲にしてでも私を先の未来に行かせたいと考えているのだろう。


「長々と申しましたが、要するに我々の戦いは、現世に存在する御子様を切支丹弾圧から救うことにございます」


 立場が逆なら立派な考えですね。と、褒め称えるところなのだろうが、私は自分の力量を把握しているつもりだ。私は皆の期待に応えられるような力量は持っていない。


「四郎様、次は自分の話を聞いてください」


 今度は角内が口を開いた。今までは相槌を打つだけだった。角内は自分は頭が弱いので、意見を言わない方が良いと考える卑屈者だ。その角内が口を開いたのだ、よほど言いたい事があったのだろう。


「自分も同じです。自分は三吉のように知略を巡らすこともできなければ、知慮に富むような人でもない。自分にあるのは体力だけです。それだけが自慢です。三吉が考えたことを自分が実行する。つまり三吉が魚のいる場所を探り、自分が釣り上げる。それが自分の役目だと思っていました」


「しかしある時、不覚をとってしまい足に大怪我を負ってしまいました。怪我をして動けなくなってしまった自分はただの役立たずです。無駄に食糧を減らしてしまう木偶の坊です。死んだ方が良いのではと何度も考えました」


「その時です。四郎様が現れたのは。四郎様が自分の足に片手を乗せ祈りを捧げると痛みがなくなりました。そして、翌日にはあれほど大きく腫れ、赤茶色をして腐りかけていた足が元通りになっているのです。驚きました。こんなことが出来る人がいるなんて。しかもそれだけではなく自分の心も生き返らせてくれたのです」


「自分はあの時に言われた言葉を忘れたことはありません」


「私は貴方に慈悲を与えます。慈悲を与えられた者は他者に慈悲を与えねばなりません。この言葉、決して忘れることなく生き続けて下さい。と、仰っておられました」


「生きることに意味を失っていた自分の心を見透かし、生きることに意味を与えてくださるお言葉だと思いました。生きる意味を知ったというか、目標ができたというか」


「後で四郎様のことを聞いて納得しました。まさに天の御子様だと確信しました」


「現世には四郎様の存在が必要なのです。四郎様はこれからも多くの人々を救うことが出来る存在です。だから自分達は戦うのです。四郎様を救うことこそが天寿を全うすることに繋がるのです」


 私を救うことが現世の救済に繋がる。つまり私を救うために戦うことが、天寿を全うすると考えているのか。確かにその考えは理解できなくもない。


 ただ私はその期待に見合うような存在であるかどうかは分からない。


「四郎様はご自分のことを過小評価しすぎです。四郎様はどれだけ多くの人々を救ったと思っているんですか。四郎様の存在こそが我々にとっての救いなのです」


 二人の話を黙って聞いていた椿が、吊り上がった目をさらに吊り上げそう言ってきた。


 私は良き民に恵まれているようだ。


「四郎様がどう考えられようとも、自分達は四郎様を救うために戦わなくてはならないと考えています。これは島原の総意です」


 感情を表に出す事が少ない楓も毅然とした態度でそう言い切った。新兵衛も同意するように強く頷いている。


「あなた方の考え、覚悟、承知いたしました。あなた方にご加護があるよう改めて祈り、絵像を授与致しましょう。そしてその清き心で民を導いてください」


 全ての民にご加護がありますように。

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