魔女の黄昏345年 ~第38ヴァルプルギスはいかにして解決されたか~
春池 カイト
三つの時、三つの視点
第1話 屋敷にて
「なぜ? 私ではダメなのです?」
声を荒らげるのは、身なりの良い青年。
大きな窓から差し込む黄昏の日の光が、彼の頬を照らしている。
来客の様子をテーブル越しに眺める壮年の紳士。
眺めの白髪をオールバックにし、口ひげをきれいに整えた細面は表情を崩さない。
対面のソファから身を乗り出してくる青年を避けるかのように深くソファに腰掛けている紳士は、ふと何かに気づいたように「ちょっと失礼」と口にして立ち上がる。
部屋の奥側、私室に消えていく紳士を目で追いながら、青年はソファに背を預ける。
気が付けばのどがカラカラだ。
テーブルに置かれたカップのコーヒーを一口飲み、青年は窓の外に目を向ける。
夕日が差し込んでくるので良くは見えないが、あたり一面に広大な森が広がっているはずだ。
この館の主である紳士は、この辺り一帯を領する貴族であり、普段からこのような森の奥深くに住んでいる偏屈者だと知られている。
だが、ただの偏屈者以上の存在であることは、一般には知られていない。
上流階級で無ければ噂としてすら流れない。
それは何か?
「魔女、か……」
21世紀、科学が万能であり、神秘はことごとく迷信か詐欺師のたわごとと知られる現代において、それが存在するという確かな証拠はどこにもない。
ただ、噂として、上流階級の者のみが知る噂として、世界には魔女が実在し、そして彼らは永遠の命を有しているのだというものがある。
そして、今この森の奥の屋敷の主こそが、魔女の一人であり、すでに400年以上を生きているのだということを青年は半ば確信して足を運んだのだった。
世の中の権力者が望んで止まない永遠の命などというものにあこがれるには、青年は若すぎるように見える。
実際、彼は単に世の中に存在しないと言われている神秘に魅入られただけなのだ。
裕福な家に生まれ、その財力を駆使して、世の中のあらゆる怪しげな書物、力のあると言われる物品を収集し、あるいは実際に神秘を体現していると称する人物まで訪ね歩き、そしてその全てが神秘の存在を否定していた。
最後の望みとして、魔女と言われる男に面会を申し込んだのだが、彼は神秘の存在を認めながらもそれを見せることを拒んだ。
曰く、「魔女の力は魔女にしか見せられない」とのことだった。
「ならば、私を弟子に、魔女にしてください」
そう言った彼に対して、男はにべもなく拒絶の言葉を発し、そこから冒頭の叫びにつながるのだった。
――結局、この世の中には神秘など無いのかもしれない
――この紳士も、実際には何の力もないただ偏屈で隠棲した貴族なのかもしれない
青年は、半ばあきらめの考えに至り、ため息をついた。
その時、主人が消えた、彼の私室のドアが開いた。
ゆらっと入ってきた紳士は、ソファに座る青年を見て、ぎょっと目を見開いた。
「あ、ああ、そういえば……」
なんと、この紳士はこの短い間で来客を待たせていることを忘れていたのだろうか?
慌てて取り繕うように紳士はコーヒーのおかわりを進めてくるが、まだカップには温かいそれが残っている。青年が謝絶すると、紳士は改めて青年の向かいのソファに腰を下ろす。
――おや?
青年はふとした違和感を覚える。
さっきの紳士とは何か印象が違う気がする。
――服装が変わっている?
よく見ないとわからないが、カフスボタンがさっきと違う。
上着やシャツは同じように思えるが、その部分だけ変わっているのは私室で変えたのだろうか?
あるいはカフスボタンが壊れていることに気づき、私室で変えたのだろうか?
そんなことを考えていると、紳士はさっきより浅く座ったことに気づく。
「悪いね。ちょっと立て込んでいたので……それで、魔女の弟子入りだが、やはり受けられない。だが、待たせてしまったことは申し訳ないから、少し話をしてあげよう」
「それは……残念ですが、お話をいただけることはありがたいです」
紳士は、自分のコーヒーを一口、のどを湿らせて話し始める。
「……まず、なぜ君が魔女になれないのかを話そう。君は、神秘を探してこの場に足を運んだ。すなわちこれまでの人生で神秘を体験することが出来ていない」
「確かに……そうです」
だから最後の望みなのだ。
「そして、変わらずこの部屋で私室から出てくる私を待っていた。すなわち、神秘の淵に触れながら、それを認識することが出来ていない」
「……それは、どういうことですか?」
「信じられないかもしれない。きっとそうだと思う。だけどね……私の主観としては、君が訪ねてきたのは350年ほど昔なのだよ」
青年は、眼前の紳士の言葉に混乱した。
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