勿忘草(わすれなぐさ)とスズラン

隅田 天美

『運』とは謎で粋なもの?

--また、この季節がやってきやがった……


 東京の繁華街にある花屋を通ったとき、平野平秋水の目に白く小さな花が花屋の店頭に鉢植えで並んでいた。


 往来する雑踏の中、秋水は、思わず足を止める。


 巨体からすれば小さい、小さい花。


 でも、花言葉は知っている。


『私を忘れないで』


 

 東京での離婚調停中に、秋水は戦場で人を殺めていた。


『こんな自分と一緒になったら不幸になる』


 だから、知り合いの有能な弁護士に多額の費用を出し、裁判には一切出なかった。


 子供は半ば強引に祖父に預けた。



 妻を、綾子を自由にさせたかった。


 自分の迷いや思惑は彼女の『自由』と言う羽を取って鳥かごに押し込めることになる。


 鳥は、何より、青い大空を飛んでいるほうが美しい。


 心と体を合わせ、息子・正行が生まれた。



 綾子は当時十六歳。


 本来なら、高校生だ。


 だが、彼女は心や感情は環境や周囲の大人のせいで荒れ狂っていた。


--今にも死にそうな小さな可憐な花


 そう、忘れ草のような彼女の命を秋水はなんとか救いたかった。


 その一心だった。


 息子を生んでくれた時は嬉しかった。


 同時に、それが檻になり、彼女の可能性を閉じ込めることに恐怖すら感じた。


 だから、幼稚園児の正行が眠った後に離婚用紙を出した。


 そして、自分の本当の身分を明かした。


 フリーランスの傭兵であること。


 裏社会で生きていること。


 どれぐらい、時間が過ぎたのか、彼女は小さく頷いた。



 が、離婚には細々とした手続きや話し合いがある。


 激戦の合間を縫って秋水は最後の調停裁判に臨んだ。


 お互いの判子を押して、手続きは終了した。



 今、相棒とも友人とも弟子ともいえる男を得て、若いころのように早々死ぬ気はない。


 でも、生きたいとも思わない。


 何とも中途半端な気持ちだ。


 

「お客様、何かお探しのお花がおありでしょうか?」


 どうやら、長く立ちすぎたようだ。


「いや、失礼。別れた妻を思い出して……」


 心配そうな店員は再び奥に引っ込んだ。



 先日までの戦闘は終わった。


 テロリスト側の勝利だ。

 

 このニュースは日本でも大々的に取り上げられ『民主化』『分離独立』などというきれいごとが紙面を飾る。


 その裏側で、どれだけの血と阿鼻叫喚と涙と憎しみを生んだのだろう。


 看護師やサービス業が人に対して癒しや喜びを与えるのなら、傭兵が与えるのは孤独と悲しみだけである。



 だから、傭兵をやめようと秋水は故郷である豊原県星ノ宮市に戻ってきた。


『綾子のことだから、元気にやっている』


 そう踏ん切りをつけて、彼の足はテロリスト側が用意した傭兵代の確認のため星ノ宮銀行にあるATMに並んだ。


 機械的な音とともに規定通りプラスアルファの金が振り込まれていた。


「あら、秋水じゃない」


 その後ろから思いがけない、声がした。


 ゆっくり後ろを向くと長谷川綾子。


 つまりは、秋水の元嫁が普通に立っていた。


 驚いた。


「何で、お前がいるんだよ?」


「退職したから、その退職金の確認」


「?」



 二人は近くのファーストフード店でお互いの近況を話した。


 綾子は離婚前から設計事務所を立ち上げたく、必死で大検を勉強し、大学に入学。


 建築構造などを学び、建築会社に入社。


 そこでノウハウを学び、今度独立するという。


「今ね、星ノ宮は『電脳都市』と言われてて商売しやすいのよ」


 嬉々としてポテトを頬張る元嫁に秋水は言葉がなかった。


 てっきり、別の男に乗り換えたと思っていた。


「当てはあるのか?」


「しばらくは、自分の家にいるけど、持ち家は欲しいわね」


「そっか」


 と、秋水の目に綾子の髪留めが目に入った。


 いいアクセントになっている。


「その花は……?」


「スズランよ。花言葉は……『再会できてうれしい』」

 

 そして、綾子はにっこり笑った。


「ようやっと、願いが叶ったわ」


 その笑顔に秋水は胸を打たれた。




 数日後。


 綾子に駅前の事務所兼住宅が秋水からプレゼントされた。


 元々は暴力団が所有する空き家だったが、秋水がいきなり組を襲い、壊滅させた。


 そのことは公には秘密にした。



 後に父である春平は言う。


『やりすぎじゃないかい?』

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勿忘草(わすれなぐさ)とスズラン 隅田 天美 @sumida-amami

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