光が齎す光なきこの世界

マスク3枚重ね

光が齎す光なき世界

その日、光が堕ちた。黄金に輝くような光の塊が天からゆっくりと堕ちたのだ。その日から世界は大きく変わった。

眩い光は世界を包み、人々全員がその眩しさに目を覆った。光が全てを包み続け、この日を境に人々の目が使えなくなったのだ。

それから事故が世界中で起きた。高所からの落下、火事、水難事故、数えたらキリが無いほどにこの数日で人々は沢山死んだ。



吉田 千代子(よしだ ちよこ)はいつも通りの生活を送っていた。彼女は盲目である。耳が人一倍良く、舌を弾きコッコッと鳴らすとその反響音で周りの状況が良く分かるのだ。それは目が見えている人よりもよくわかった。人の死角にある物までも反響音で分かるからだ。



「全く、テレビもラジオも何もかかりゃしないわいっ!」


千代子は世界の変化には直ぐには気が付かなかった。いつも通り、テレビやラジオを点けるがテレビからは砂嵐の音、ラジオからはノイズ音しか聞こえない。黒電話を使い、知り合いに掛けてみるが誰も出なかった。さてどうするかと思ったら、千代子の耳に近所の人々の悲鳴が聞こえ始める。


「誰かっ!」「どうなってんだ!」「光がっ!助けてー!」


千代子は困惑する。近所で何かあったのだと思い急いで舌を鳴らし玄関に向かう。

玄関を開けると大変な事になっていた。近所の人々が手探りで動き、叫んでいる。舌を鳴らさなくても、その人々の声が反響し千代子にはわかる。直ぐそこで小さく蹲っているのは隣の子供の楓ちゃんだった。


「楓ちゃん!大丈夫かいっ!?」


「千代子おばあちゃんっ…?!目が…目が見えないのっ!」


千代子は肩をかし楓を起き上がらせる。すると千代子の鼻が何か焦げ臭さを感じる。耳を澄ますと木が爆ぜる音が聞こえ、それから何かが爆発する音、火が一気に燃え広がり火事だと分かる。その燃え広がる音は次第にゴウゴウ大きくなっていく。


「楓ちゃんっ!近くで火事じゃっ!はよう逃げるぞ!」


「そんなっ!おじいちゃんとおばあちゃんが家に居るのっ!」


千代子が更に耳を澄ます。隣の家でおじいさんとおばあさんが炎に巻かれて苦しむ叫び声が聴こえてくる。これはもう助けられないと千代子は直感する。


「すまんっ!わしらには助けられんっ!すまん…!すまん…!」


泣き叫ぶ楓を引きづする様に千代子はその場から逃げだした。



この日から世界は大きく変わった。沢山の人々は死にその後の世界はどんどんと荒廃していく。皮肉な話で強すぎる光は人類から五感のひとつ、視覚を奪った。それだけで社会秩序は崩壊し、人類はゆっくりと滅亡の一途を辿る。


あれから数ヶ月が経ち、千代子達は民家の少ない地域の家に勝手に間借りさせてもらい住んでいた。千代子は何人かの人達を助け、共同で生活をしていた。問題は山ずみだった。飲料水の確保に食料、それから衣類や医療品など、それら全部を年寄りの千代子1人でどうにかは出来ない。


「千代子さん…すまね…何から何まで…」


その男は矢島といい、ガタイのいい男だった。逃げる途中で出会い、楓をおぶってもらいながら千代子と一緒に火事から逃げたのだ。


「いや、お主のお陰でだいぶ助かっとるよ。荷物持ち頼んだぞ?」


2人は近くのショッピングモールに来ていた。千代子が耳を使い、矢島の腕を引く。舌を鳴らすと食品コーナーがあるのが分かる。2人はその方へとゆっくりと進んで行く。すると矢島は激臭で鼻を摘む。


「千代子さん!なんですか!?この臭いっ!」


「恐らくじゃが、生ものがダメになっておるのじゃろう…それに…何人か死んどる…」


倒れた棚の下に下敷きになって亡くなった人や逃げ遅れた人が倒れている。夏場の今では腐るのも早いのだろうと千代子が考えていると、突然後ろから声をかけられる。


「だ、誰か、い、居るのかっ…!?」


千代子が振り返り、コッと舌を鳴らす。誰かが食品棚の下の在庫を入れるスペースから出てくるのが分かる。男の様だが手に何か硬い物を持っているのが反響音で分かる。その男は床を手探りで動きその硬い物をこちらに向けている。


「おお!生存者か!」


「矢島や…そ奴に近づくな…」


千代子は動こうとする矢島に小声でそう告げ手で抑える。


「な…何だ…生存者か…こ、ここの食料を…わ、わけてやるよ」


顔は見えないがどんなに顔をしているか千代子は直ぐに分かる。発音、イントネーションに何より食品棚の下。

男がゆっくりと這いながらこちらに近づいてくる。


「お主…これ以上近づくな…」


「な、何だよ…今、お、お菓子を渡してやろうとお、思ったのに…」


そう言いながらもゆっくりと音を立てずに、そいつは手探りで近づいてくる。千代子は腹が煮えくり返る様な怒りを覚える。

千代子は矢島に動かない様にと声を出さずに腕に触れて指示をし千代子は離れる。そしてその男の後ろに気付かれずに回り込む。そいつの横にある棚を千代子は力任せに倒す。するとそいつは棚の下敷きになる。


「ぐは!」


手に持つ硬い物が離れ、カランカランと音を立て落ちる。


「クソっ!」


男はそういいながら自分の上に伸し掛る棚をどうにかどかし、手から落ちたそれを慌てて探す。


「お主が探してる物はこれかの?」


男が千代子の声の方を振り向く。男も見えてはいないだろうが状況を理解したらしく動かなくなる。千代子が手に握っているのは包丁だった。


「お主、コレでわしらに何をする気じゃった?」


「な、何もするき、気はなかった!こ、これはあくまでじ、自衛の為で…」


千代子はこの男に対して本当に反吐が出そうになる。その包丁にはベトベトの何かが付着していた。


「嘘じゃな…お主はこれでわしらを襲うつもりじゃったろ」


「おいおい、千代子さん。あんまし人を疑うのも…」


「お主は黙っておれ!」


矢島の言葉を千代子は鋭い口調で黙らせる。すると男がまたゆっくりと這いながらこちらに近づいてくる。


「お、俺はただ生存者が、い、居たのが嬉しくて…」


「動くなと言っておるのに…お主、棚の下から出てきたな?下で何をしておった…?」


男は黙る。空気が変わったのが千代子と矢島も理解する。


「下の棚には死体があるな…しかもその死体は女性で裸じゃ…その上、腹には刺し傷がある。誰にも見えないと思ってお主は…」


「お、俺は何もしてない!俺は悪くない!彼女は最初から死んでいた!」


千代子はため息を吐く。コイツは相当狂っていると分かる。


「お主の持っていた包丁に血が着いておるぞ?しかも先が欠けている…何度も彼女に刺したのじゃろう?」


男は喚きながら突然に立ち上がり、千代子の方に飛びかかる。だが的外れな方に飛び付いて男は棚にぶつかる。そこは包丁が置いてある棚だったらしく、倒れた男の胸には複数の包丁が突き刺さる。止めどなく血が流れ出るのが千代子の耳に届く。


「ぐふっ…」


「千代子さん!大丈夫かっ!」


後ろで矢島が身構えて居るのが分かる。下手したらこちらに突っ込んで来ようとしているのではないだろうか。


「大丈夫じゃ!今は包丁が当たりに散らばっているから、動くでないぞ!」


千代子がコッコッと舌を鳴らし、状況を確認する。男の脈を確認するがもう死んでいるようだ。それから棚の下の女性は既に死んでから数日は経っているようで千代子はやるせない気持ちになる。


その後、矢島に状況を説明すると矢島は静かに泣いていた。矢島には1人娘がいると前に言っていた。結婚して遠くに住んでいるらしく、あの日から会えてはいない。とても心配ではあるが、こんな状況では生存を確認するすべもない。そんな自分の娘と棚の下の死んだ女性をもしかしたら重ねてしまったのかもしれない。


「彼女を埋葬してやりたいが今は無理だよな…」


「そうじゃな…状況が良くなったらそうしてやろう…」


千代子は自分でそうは言ったが状況が良くなる事があるのだろうかと不安な気持ちになる。

そんな事を考えていると矢島は手探りで布類が置いてある棚から、大きなタオルを持って来た。


「すまん千代子さん、これを彼女に掛けてやってくれ」


「そうじゃな…」


千代子は裸の彼女にタオルを掛けてやる。矢島は手を祈るように組んでいた。きっと彼女の弔いの気持ちと遠く離れた娘を思っての事だろう。千代子も一緒に祈る『人類に希望の光がもたらされる事を…』と。



2人が沢山の食料や衣服類を持って家に帰ると楓達が杖を使っての歩行練習を外でしていた。今でこそ千代子は杖を使わずに歩く事ができるが、若い頃は杖を使って障害物の有無を判断していた。

2人が帰ってきたのを気配で感じたのか楓が声を上げる。


「千代子おばあちゃん!矢島のおじさん!お帰りっ!」


「ただいま、歩行の練習は順調かのう?」


楓は杖を上手く使い、障害物を避けながら歩いてみせる。子供の適用能力は凄まじいと千代子は感心する。


「凄いのう!これなら近くに行くくらいなら出来そうじゃな!今度一緒に出かけて見るかのう!」


「やった!」と喜ぶ楓の声を聞きながら千代子は笑顔になる。矢島も隣で笑っている様だ。


「俺も杖を上手く使えればいいんだがな」


「お主は直ぐに折ってしまうからのう!力が強すぎるんじゃ!脳筋が!」


矢島はガハハと笑い「ちげーねぇ!」とスキンヘッドの頭をペチペチする。すると他の大人達が手探りで家から出てくる。どうも様子がおかしい。


「千代子様、矢島さん、良かった。無事に帰ったのですね。お2人に少しお話が…」


「何じゃ?」


子供達を残し、2人は大人達と家に入る。中はバリアフリーになっており、手摺りも着いている。千代子が時間を掛けて見つけた暮らしやすい良い家だった。大人達に着いていくと居間で音がしている。機械独特のノイズ音と小さな声、矢島も音に気付いたらしく声を上げる。


「おい、これってまさか…」


居間に入るとテレビがある所から音がしている。それは不思議であの日から数日で機械類が軒並み使えなくなったからだ。原因は電気が止まってしまったからだったが、今は着いているのが分かる。


「さっき突然着いたんです。電気がまた使えるようになったのだと思い、冷蔵庫や電子レンジなんかも触って確認はしたんですけど、どれも使えませんでした」


テレビから誰かの話し声が聞こえてくる。何か語りかけてくるようなそんな声。


「何じゃいったい?誰の声じゃ?」


「え?千代子様は何か聞こえるのですか?私達はどうもノイズ音しか聞こえなくて…」


「何じゃ聞こえんのか?小さいが聞こえるじゃろ?」


大人達が訝しむ声が聞こえてくるが直ぐに納得のいく答えを出す。


「恐らく、千代子様の良い耳だから聞こえるのでしょう。私達の耳は凡人の耳ですから…」


大人達が口々に「そうだな」「そうだそうだ」と言っている。千代子は彼等にとっての救世主なのだ。微塵も千代子がボケたなど思いたくはない。それはつまり、彼等にとっての確実な死を意味する事になるからだ。そんな彼等の感情を千代子は肌で感じ、薄ら寒くなる。

最近の彼等は千代子に依存している。いや、崇拝していると言っていい。そんな彼等に千代子は辟易とする。


「千代子様には何と聞こえるのですか?」


「祈れって聞こえるのう」


「どういう意味でしょうか?」


「さーの?」


千代子は適当に返すが彼等は何か思う事があったのだろう。自然と手を重ね、祈りのポーズを取っていた。矢島もさっきの女性を思ってかまた祈っている。千代子も何となく祈る。すると突然だった。皆からの感嘆の叫びが聞こえ出す。


「見える!見えるぞっ!」


「光が弱まったっ!」


彼等は口々に喜びを表している。千代子の目はいつも通りで何も見えないが、彼等の言う強い光が収まったのだと安堵した。肩の荷が降りたとそう思う。自分の責任で今まで彼等を支えて来たがそれももう終わった。一種の解放だろうとこの時に思った。だがこれは失敗だったのだ。

彼等の目が見える様になったのは一時の事だった。数時間見える様になり、また次第に光が強まり見えなくなる。そしてまた千代子と一緒に祈るとまた少しだけ見える様になるのだ。これは千代子に取っての誤ちだった。一時でも目が見えるようになった事で、人々は千代子を崇めるようになる。生き残った人々は次第に集まりだし千代子に縋る。千代子は神のように崇められ、彼女なしでは生きてはいけないと本気で考え始める。仲の良かった矢島までも千代子を崇める対象になっていった。自分の娘を見つけられたのは千代子のお陰だと頭を垂れ跪く。

千代子は怖くなる。自分は生まれた時から目が見えないまま生活をしてきた。だが彼等にとっては無くてはならないものだった。その感情のズレが千代子を苦しめた。沢山の人の前で何度も祈る。それから沢山の人達の歓声と感謝の言葉を貰うが、千代子が見える事はない。



「千代子様、そろそろお祈りのお時間です」


そう声を掛けてきたのは楓だった。もう随分と大きくなっていた。その分、千代子も随分と歳を取った。私が死んだ後はどうなるのだろうと思う。千代子がよいしょと立ち上がろうとすると楓が手を貸してくれる。


「楓、ありがとうね」


「千代子様…お辛くはありませんか?」


その突然の問いに千代子は何も答えられない。


「最近の千代子様はとても辛そうです…見てられません。今日はお休みになさいますか…?」


目が見えている楓の言葉に千代子は首を横に振る。


「私の一存でそんな事はできんよ…」


「千代子様の体調が優れないと言えば皆も納得なさいます」


「楓、それは出来ないんじゃよ。そうなれば人々はわしが長くないと思ってしまう。そうなれば暴動が起きかねん…それに…これで最後になる…」


楓が驚き身動ぎするのが気配で分かる。千代子が薄く笑い、楓の手を握る。


「最近、あの日テレビで聞いた声が聞こえるんじゃ。『継承者を探せ』とな。お主にわしの役目を引き継いで欲しい」


「私には荷重すぎます…!それに千代子様には命を助けて頂いた恩があります。一生を掛けて千代子様の傍に使えたいのです」


「それならば尚更じゃ。わしもこの役目は荷が重すぎた…だから頼む。恩を返したいのなら、変わってくれ…」


千代子は跪き、楓に懇願する。きっともう彼女は疲れてしまったのだ。重すぎる重圧とこの世界に、それを見た楓は静かに頷いた。


「分かりました…その重荷、私がお引き受けします」


その言葉で楓の視界は真っ白になる。何も見えない真っ白な世界だ。そこから聞こえてくる千代子の感嘆の声。


「見える!初めて見える!世界はこんなにも美しいのじゃな!楓の顔はこんなに可愛かったのじゃなっ!」


千代子が笑っている声がする。楓は嬉しいが、同時にこれまで千代子にしてきた仕打ちを実感する。自分だけが見えず、周りの人の歓喜の声はこれ程に辛いのかと…

その日の祈りを最後に千代子は亡くなった。人々はとても悲しんだが、楓が役目を引き継いだからか1週間と経たずに千代子の事を忘れたかのように人々は振る舞い始めた。楓は辛くなる。これ程に重い役目だったのかと、人々は1人を犠牲に生きているのだと実感する。それから楓は2度と目が見える事はなかった。



光は楓が死んでも役目を誰かに与え続けるだろう。誰かを犠牲に人々の信仰を集めるのだ。とても残酷で、そして美しいその光はいつまでも地球の人々を飼い慣らす。地球が終わるその日まで。


おわり

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