八月の陽炎に君を見た。

真白

第1話 再会の夏

 陽菜ひなが亡くなってから、毎年夏が来るたびに私は彼女の命日を迎える。

中学2年のあの日以来、夏の陽射しが私にとっては重く、痛々しい記憶を呼び起こす存在となっていた。

高校2年生となった今年も、いつものようにお墓参りの準備をしていた。


「もう行かないと……」


 私はそう呟きながら、リュックを背負い家を出た。

 太陽が容赦なく照りつける中、私はゆっくりと歩き出す。

 途中、蝉の声が耳に届くたびに、あの日の記憶が鮮明に蘇る。

 陽菜と一緒に過ごした日々の記憶だ。

 彼女の笑顔、声、そして手の温もり。

 それらが私の心を暖めると同時に、痛みを伴って私の胸を締め付ける。


 墓地へと向かう道すがら、スマホが突然震えた。

 画面に表示されたのは見知らぬ電話番号だった。

 普段なら無視するところだが、その時はなぜか気になって電話に出てしまった。


「はい、鹿島かしまです」


「今日暇?久々に一緒に遊ばない?」


 その声を聞いた瞬間、私は立ち止まった。

 心臓が一瞬止まったかのように感じられた。

 その声はどこか懐かしく、少し大人びているが間違いなく陽菜の声だった。


「……陽菜?」


 驚きと戸惑いが混じった声で問い返す。しかし、返ってきたのは陽菜の明るい笑い声だった。


「そうだよ、りん!久しぶり!」


 信じられなかった。陽菜は確かに亡くなったはずだ。

 私は彼女の死を目の当たりにし、その現実を受け入れたはずだった。

 しかし、今ここに彼女の声が、しかもこんなに元気に聞こえてくるなんて……。


「ど、どうして……?」


 私の問いに陽菜は特に答えず、ただ楽しげに話を続けた。


「いつもの公園で待ってるね。早く来て!」


 電話が切れる音と共に、私はその場に立ち尽くした。

 頭の中が混乱していた。

 どうして陽菜が?なぜ今?


 心の中で数え切れないほどの疑問が渦巻く中、私はふと足元を見つめた。

 陽菜との思い出が詰まった公園。

 それは私たちがよく遊んだ場所で、彼女との楽しい日々を思い出させる場所だった。

 気づけば私は、足を公園の方へと向けていた。


「会いに行く……陽菜に」


 心の中でそう決意すると、不思議と足取りは軽くなった。

 公園へ向かう道中、私は何度もスマホを見つめた。

 まるで夢の中にいるような気分だった。

 陽菜が生きているはずがない、でも……あの声は確かに彼女だった。


 公園に着くと、そこには陽菜の姿があった。

 陽菜は私と同じ青海高校の制服を着ていて、記憶よりも少し背が伸びていた。

 しかし、その笑顔は間違いなく陽菜のものだった。


「凛、やっと来たー!」


 陽菜は私を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。

 私は彼女の姿を目の前にして、言葉を失っていた。

 陽菜は生き生きとした表情で、私を見つめている。


「陽菜、本当に……?」


「うん、本当に私だよ。ずっと話したかった」


 陽菜の手が私の手を掴んだ瞬間、温もりが伝わってきた。

 それは確かに彼女の手の温もりだった。

 涙が溢れそうになるのを感じながら、私は彼女の手をしっかりと握り返した。


「陽菜……会えて嬉しいよ」


 それが夢か現実か、私にはわからなかった。

 でも、今この瞬間、陽菜と再び一緒にいることができる。

 それだけで十分だった。

 

 彼女の笑顔は変わらず、私を見つめる瞳もそのままだった。


 ――しかし、何かが違う。

 陽菜はあの夏から時間が止まっているように見えた。


「凛、どうしたの?そんなに驚いた顔して……。まるで幽霊でも見たみたい」


 陽菜は笑いながら言った。その言葉が冗談だとわかっていても、私の心には深い意味を持って響いた。


「いや、なんでもないよ……。久しぶりだから少し驚いただけ」


 私はそう言いながらも、心の中で自問自答していた。本当に目の前にいるのは陽菜なのだろうか?


 陽菜は少し背が伸びて、大人びた表情をしていた。

 ショートボブの髪型は彼女らしく、軽やかに揺れていた。

 彼女の明るい茶色の瞳は、まるで太陽の光を受けて輝いているようだった。

 白いセーラー服にブルーのラインが映える青海おうみ高校の制服が、無邪気な笑顔が私の胸を温かく包み込んだ。


 一方、私は陽菜が亡くなってから髪を伸ばしていた。

 あの日から、彼女との思い出を忘れたくない一心で、髪を切らずに伸ばし続けたのだ。

 長くなった黒髪は風にそよぎ、セーラー服の襟元にふわりとかかっていた。

 陽菜のことを思い出すたびに、私の髪は彼女との思い出を宿しているように感じられた。


「凛、髪がすごく長くなったね。似合ってるよ」


 陽菜がそう言って微笑むと、私は少し恥ずかしそうに目を逸らした。


「ありがとう。なんだか切るタイミングを逃しちゃって……」


 本当の理由を言うことはできなかった。

 陽菜の前で正直に気持ちを伝える勇気がなかったのだ。

 彼女の死が私にどれほどの影響を与えたのか、今さら伝えられない。

 もし伝えたら、陽菜が消えてしまうかもしれないという不安が胸に広がった。


「それにしても、本当に久しぶりだね。今日は何をするの?」


 私は話題を変えるためにそう尋ねた。陽菜は嬉しそうに目を輝かせた。


「今日は凛と一緒にいろんなところに行きたいな。昔みたいに!」


 陽菜の提案に、私は少し心が軽くなった。

 彼女と過ごす時間が再び訪れるなんて夢のようだ。


「じゃあ、どこに行こうか?」


「まずは、あの丘の上にある大きな木のところに行こうよ。覚えてる?」


「もちろん覚えてるよ。あそこは私たちのお気に入りの場所だったから」


 私は陽菜と手をつないで歩き出した。

 彼女の手の温もりを感じながら、一歩一歩、過去の思い出が蘇ってくる。


 丘の上にある大きな木は、私たちが秘密基地と呼んでいた場所だ。

 そこに行けば、陽菜との思い出が蘇るに違いない。

 彼女と一緒に笑い、泣き、時を過ごしたあの場所に、再び立つことができるなんて。


「ねぇ、凛」


「何?」


「私……、たくさん話したいことがあるんだ。楽しみにしててね」


 陽菜の言葉に、私はただ頷くだけだった。

 彼女が何を話したいのか、私にはわからなかったが、彼女と過ごす時間が再び与えられたことに感謝しながら、その瞬間を大切にしようと心に決めた。


 そして、私たちは手をつないだまま、丘の上の大きな木を目指して歩き始めた。

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