ドッペルゲンガー

理性

ドッペルゲンガー

 僕には友達なんかいない、というよりいらない。みんなが好きでもない話題に合わせたり、どうでもいい噂話を我慢できるのが理解できない。人間なんていずれ死ぬんだから、人の顔を伺って生きるのは何の意味もない。

 小学4年生の頃、先生が友達の大切さについて授業したことがあった。友達は幸せや辛さを共有し、助け合って生きていくものだそうだ。それが僕にはどうにも理解できなかった。気まぐれで人を傷つけるし、平気で噓もつく。そんな奴らにすべてをさらけ出すなんて極寒の中を裸で出ていくようなものだ。

 友達なんかいらない。それなら動物や本と向き合った方がよっぽどいい。彼らは僕を蔑むことはないし、裏切られることもない。

 だから僕は誰かと話して関係を深めたり、笑顔を振りまいて機嫌をとったりしない。いつも教室の中で静かに過ごす。

 このまま中学校へ行き、高校、大学と進んで大人になっていくのだと思う。間違ってもクラスの中心になったり、みんなでワイワイお酒を飲むようなことは起こらないだろう。そうして年をとってどこかしらない場所で誰にも気づかれず死ぬんだと思う。それでいい。僕にしても誰かに興味があるわけではないし、ましてや他人の生き死に関して感情が揺さぶられることなどない。


 そんな僕でも最近気がかりなことがある。アイツのことだ。

 アイツはいつも僕の周りに現れる。アイツは僕と違ってみんなに人気があるらしくて、当てつけのようにアイツはみんなと楽しく話している。僕にはできない笑顔で冗談を言ったり、友達を気にかけたりする。

 正直、そういうことが出来ないのは僕ぐらいだけだからそういう人間は見慣れてる。でも、おかしいと思うのはアイツが僕と同じ顔で、同じ服で、同じ名前だということだ。


 アイツをよく見るようになったのは小学5年生になってからだと思う。いつも僕の席の周りでうるさく話すアイツは本が友達の僕と違ってほんとの友達がたくさんいて、男子の輪の中にいる。たしかにアイツは僕と同じ見た目をしているけど、中身は正反対といっていいほど違う。

 はじめはとても驚いた。自分と瓜二つの人間が教室にいて、何食わぬ顔で楽しそうに学校生活を送っているんだ。

 似たような現象をテレビで見たことがある。それはドッペルゲンガーと呼ばれ、自分にそっくりな人間を目撃するそうだ。ドッペルゲンガーを見た者は不幸な目に合うらしい。テレビではドッペルゲンガーを目撃して、すぐに死んでしまった人を紹介していた。アイツはきっとドッペルゲンガーだが、普通オリジナルの僕よりドッペルゲンガーが個性強いことがありえるのか?むしろ僕がアイツのドッペルゲンガーみたいじゃないか。

 とにもかくにも、僕はアイツをなんとかして消して、自分の命を守らなければならない。というより、僕の姿でみんなと仲良くして、いかにも学校生活充実してますみたいな顔をされるのがムカつく。



 とりあえず、アイツの正体を突き止めなければならない。といっても、直接本人に聞く勇気もないから、アイツを尾行することにする。作戦決行は明日の放課後だ。


 布団の中で最大限に小さくなって意志の強さを確認する。掛け布団の端を握りしめて、明日のプランを練っているといつの間にか寝てしまっていた。


 軽やかな音楽が止まると、チャイムが鳴る。掃除の時間が終わった。僕は足早に教室に戻ると、自分のイスだけを降ろして本を広げる。

 本の内容なんて入ってこない。頭の中で放課後のプランを確認する。いつもは誰よりも早く教室をでるけど、今日はアイツが教室を出てからにしよう。だいたい距離は10メートルぐらいあけて本を読むふりをして歩こう。とにかく大事なのは気づかれないことだ。細心の注意を払わなければならない。


 そうこう考えているうちに、帰りの会が始まっていて、先生の話になっている。先生が何の話をしているのかわからないけど、たぶん誰かを褒めているのが表情から分かる。みんなに合わせて拍手をしておこう。 

 先生の話が終わるといよいよ帰りのあいさつだ。教室の窓が軋むほどの大声が教室に響き渡りきる前にみんなは動き始める。僕はアイツを見逃さないようにするけど、掃除の時間からアイツが見当たらないことに気付いた。まずい。と思い必死で見回すけど、アイツの姿はない。すでに教室から出ようとしている子もいる。まずい取り逃してしまう。まさか僕の気づいていない間にもうアイツは出ていったのか?

 机の上に座らせてあるランドセルにそのまま腕を差し込む。後ろを振り向きながら両手を入れたら綺麗に両肩にランドセルが乗ってくる。昼休みのうちに借りておいた児童書版のシャーロック・ホームズを左手に持ち、足早に後ろの出入口に向かう。

 バーゲンセールみたいに混みあった扉付近を押しのけて進むと、アイツはもう数メートル先まで進んでいた。

 尾行開始だ。


 アイツは意外にも1人で帰るらしい。

校門を出て左に曲がる。その先に横断歩道があるから、右左右と確認をして横断する。渡って右に進むと家々が並んでいるが、その中の一軒の塀の上にいつも三毛猫がいる。そいつはいつも薄い目をこちらに向け、僕らを見下してくるけど全然嫌な気なんかしない。それより猫好きな僕にとっては寵愛を注ぐ対象でしかないから、触りたくなる。いつも手を伸ばして触ろうとするとはらりと塀の内側へ逃げてしまう。三毛猫に振られた僕は少し寂しく帰路に着く。

 ここまでは僕と全く一緒の帰り道だ。いや、帰り方まで一緒だ。アイツもあの三毛猫に振られてるのか。というかアイツが向かう先は僕んちじゃないか?そんなまさか。じゃあなんでお父さんもお母さんもお姉ちゃんも家の中にいる2人の僕に気づかないんだ?いや、もともと僕は双子なのか。僕が忘れてしまっていただけなのか?そんなわけあるかよ。

 僕の予感は残念ながら当たっていた。アイツは住宅街を抜け、公園で近道をすると、門扉を開け玄関ドアに向かっていく。

 まさか同じ家に帰るとは。このまま僕がアイツの後に帰ってきたらお母さんはどんな反応をするだろうか。びっくりするかな。でもアイツは平然としている。ドッペルゲンガーってバレるのが怖くないのか。もしかしてアイツが先に帰って後から帰ってきた僕を偽物扱いするんじゃないだろうか。そうすると僕は家を追い出されてしまう。まずい、非常にまずい。

 アイツはドア横にある傘立てを傾けている。あそこに鍵があることも知っているのか!アイツがドアを開ける前に僕が先に帰らなくては!

 プランでは10メートルほど離れておくことにしていたが、いつの間にかだいぶ近づいていた。

 思いっきり地面をける。間に合え!

 アイツはもう鍵穴に鍵を差し込んでいる。後は回すだけ。


 指先がアイツに触れようとした時。扉の向こうから呼びかけられた。

「もう!お母さんがいる時は鍵使わないでって言ってるでしょ!」

 そうだった。お母さんがいない時だけ鍵を使っていいんだった。それでも鍵を傘立てから取り出すのがスパイの秘密基地に入るみたいでわくわくするからついやってしまう。

 アイツは鍵穴から鍵を抜いていた。

 扉が開き、不機嫌そうなお母さんが出てくる。

 お母さんは僕ら、いや、僕を見るとつらつらとお𠮟りの言葉を並べる。アイツはいつの間にかいなくなっていて、僕の右手にはアイツが持っていた鍵があった。最悪の結果にならなかったことに安堵しつつ、体温を伝達した金属が生暖かくなっているのを感じ、気持ち悪い。



 アイツは家では現れない。僕が席につくといつの間にかいて、いつの間にかいなくなっている。家で現れない理由はよくわからないけど、たぶん僕が学校と違って家族と仲良くしているから出てきにくいんだと思う。家でアイツを見ないのは嬉しいことだけど、いつアイツが家でも出てくるかわからない。もし、家で出てくるようになったら、いよいよ僕の居場所はなくなってしまう。そうなる前に早々にアイツと方をつけなくてはならない。僕の命のためにも。

 といっても次の作戦が思いつかない。アイツの正体についてもわかったことは僕の家に帰ってくるくらいで、他に何の情報もない。家族はアイツのことを知らないだろうし、クラスメイトに聞こうにもなんと説明すればいいかわからない。ただでさえクラスメイトと話すのが嫌なのに、「僕と同じ見た目で全く性格の違うアイツのことなにか知ってる?」なんて言えるもんか。もし僕が誰かに同じことを聞かれたら、「何言ってんだこいつ」ってなるだろう。

 もう手段は一つしかない。アイツに直接聞くんだ。お前は何者なんだ。目的は何なんだ。そして、もう金輪際、僕の前に現れるなと言おう。もし、アイツが抵抗しようもんなら、実力行使だ。僕だってここぞというときは戦えるさ。


 ここ数日アイツを観察するとアイツは必ず一人で帰るらしい。チャンスはその時だ。アイツと話すのは近道のために利用する公園にしよう。あそこは遊ぶには狭く、伸びすぎた街路樹がそこが公園だということを隠してくれている。そのため、人気がなく、アイツと二人きりで話すのには好都合だ。


 作戦はこうだ。前と同じでアイツが教室から出ていくのを待って僕も出る。そうしたいところだけど、毎回アイツを見失ってしまう。この作戦の時こそは見逃さないようにしよう。そしてアイツが公園に差し掛かると、後ろから声をかける。そこで僕らの問答が始まるわけだ。万が一に備えて、もうしばらくは使っていない防犯ブザーと図工のカッター、証拠用のカメラも持っていきたい。カメラはたしかお父さんが使ってないやつを寝室で見たことあるからそれを拝借しよう。


 掛け布団の端を強く握りしめ、小さく小さくなる。明日の作戦の復唱は何度もした。防犯ブザーはランドセルに押し込んだ。カッターは学校にあるからその時取ればいい。カメラは朝お父さんが出かけてから取ろう。

よし、大丈夫だ。明日はいつもの何日分も声を出すことになるだろう。家族以外の人間と会話をするなんていつぶりだろうか。大事なときに嚙んでしまっては恥ずかしい。大きく口を開けたり、すぼめたりしてみる。これで準備は整った。明日は運命の日になるだろう。待ってろよドッペルゲンガー。


 右ポケットが異様に膨らみ、重い。右側だけズボンがずり落ちそうだ。今日何度ズボンを上げ直しただろう。僕の太ももに長い間ひっついたカメラの液晶は僕の汗でダメになっていないだろうか。

 掃除の時間が終わった。ズボンがずり落ちないように教室に戻り、ランドセルを机の上にセットする。防犯ブザーをだして左ポケットに入れておく。これで立ち上がると自然と脱げそうだ。ズボンの紐を強めにしばって気合もいれる。

 もう先生の話が終わる。先生が日直に声をかけ、帰りのあいさつをするため日直が立ち上がる。みんなを起立させ、大きな声でさようならというとオウム返しで大音量のさようならが先生めがけて放たれる。

 この時やはり僕はアイツを見失っていた。自分の間抜けさに飽き飽きする暇もなく、急いでランドセルをからう。出入口が混み始める前にダッシュで教室を出ると、やはりアイツはもうそこにいた。

 最終決戦の始まりだ。



 アイツはいつもの道をいつも通り歩いていく。横断歩道の前はきちんと確認するし、三毛猫には相変わらず嫌われている。

 ついに公園に差し掛かる。公園の入り口に入ると公園を斜めに横断して、公園の出口から出ていく。そうすることで曲がり角を曲がらずに道を短縮できるのだ。これにはじめて気づいたときは世紀の大発見をした気分だった。僕が見つけた僕だけの近道がとても気に入った。でもよく考えるとみんな使ってるし、別に大した発見ではないのだ。

 

 アイツは公園の真ん中に差し掛かろうとしている。

 今だ!10メートルほど先にいるアイツに駆け寄っていく。

 「ねえ!!」

 アイツをなんて呼べばいいかわからない僕にとって最善の呼びかけだ。

 アイツはゆっくりと僕の方を振り返る。近くで見るとやっぱり僕と同じ顔だ。何だか味わったことのない感覚だ。

アイツは僕を見て、きょとんとした顔をしている。僕が続ける言葉は決まっている。

 「聞きたいことがあるんだけど」

 アイツは驚きの顔を少し緩ませ、頷く。

 「君は一体なに者なの?」

 心臓の音が耳の中で反響する。それはだんだんと早くなって、全身に血液をまんべんなく届けているのを感じる。温まった血液は僕の身体を熱して、背中にいくつもの水滴をつくる。真夏の日差しが僕の首に突き刺さって、じりじりと音をたててるようだ。

 

 「僕は君だよ」 

 アイツは僕の言葉を聞いて、少し考えた後にそう答えた。

 さっきまで熱していた僕の身体があんまり暑さを感じていない。静かな間の中で、冷えてきた僕の汗が顎をつたって、地面に落ちた。

 は?なにいってんだこいつ!?

 遅れてきた衝撃に僕の心がそう叫ぶ。

 アイツは吹き出していた。まさか僕の心の声が聞こえたのか?

 「そんなわけないでしょ!君はドッペルゲンガーでしょ?」

 アイツは吹き出した唾を手で拭って、真顔になった。

 「だから、僕は君なの。たぶん、このまま言い続けても僕のことだから納得しないだろうから証拠を見せよう。君、今日僕をつけるために準備していたものがあったでしょ?右ポケットにカメラ、左ポケットに防犯ブザーだね。でもね、僕らはミスを犯したんだ。カッターを取り忘れてるよ。本当、僕らしいね」

 アイツは可笑しさを耐えられないのか、お腹を抑えて笑っている。

 たしかに、アイツの言う事は当たっている。しかもアイツに言われるまで僕がカッターを忘れたことなんて気づいてなかった。

 ん?じゃあアイツは何者なんだ?


 「僕はね。紛れもなく君なの。君の中の一部だよ。もっというなら君の陽の部分かな。君は友達なんかいらないとか一人で生きていくとか思ってるだろ?でも君は思っていることとは裏腹にクラスでうまくやってるんだよ。意外とね。君の気持ちは僕もよくわかる。そりゃ紛れもなく君自身だからね。君が思っているように、人間は意地悪だし、自己中心的だし、信頼できない。でも僕らも同じ人間なんだ。そんな人間と一緒に生活しないと生きていけないんだ。悲しいかい?それは違うね。むしろ人間に生まれたことを誇るべきだ。僕は人間に生まれたから、ご飯の美味しさ、花の美しさ、命のはかなさ、人の暖かさを感じることができるんだ。しかも、それを人間同士で分かち合えるんだ。なんて素晴らしいことだろう。もちろん、嫌なことや辛いこともあるさ、でもそんなことは僕が持ってる人間としての素晴らしさに比べたらなんてことないね。別にこびへつらう必要はないさ。嫌なやつと無理やり仲良くする必要なんかないさ。この広い宇宙に僕の素晴らしさをわかってくれる人が必ずいる。少なくとも僕はその一人だね。だから、遠慮なく醜態をさらせよ。人間らしく生きてみろよ。大丈夫、僕は一人じゃない。」




 僕は公園の中心で立ち尽くしていた。生い茂る街路樹に囲まれたここには僕しかいない。僕を見つめる太陽は背中に熱を放射している。

 僕の頬をつたったそれは、静かに砂の上におち、地面に染みわたっていく。


 アイツを見かけなくなって。数日が過ぎた。アイツはどこにいったのだろうか。アイツはほんとに僕自身だったのだろうか。結局アイツのことなにも分からなかった。

 でも一つだけ分かったことがある。根拠はないけど、


 たぶん僕は一人じゃない。

 

 


 

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