お母さん
羽弦トリス
第1話自転車に乗って
母は、昭和30年の1月生まれ。
田舎のお嬢様だった。ピアノの稽古に励み、稲沢、一宮の製薬会社に勤めていたが、九州に帰郷して、お見合いで僕の父と出会い結婚した。
臨月期、親戚が川でウナギを釣り上げ、出産の力になればと、うな重を食べてる最中に陣痛が始まり、昭和54年、僕が長男として生まれた。
母は慣れない農作業をして、性格の悪い祖父に無理難題、イビリを受けだが負けん気根性で、二人目を妊娠したが、妊娠中、農作業のしすぎで流産した。
その翌年、弟が出来て出産した。
母は車の免許を持っていなかった。
田んぼや畑を巡るには、自転車を利用していた。
僕は母の大きな背中に固定されて、農作業に連れられた。
母は鎌で右手の人差し指を切ったが、ススキの葉っぱを巻いて止血した。その前は、よもぎを潰して、傷口を拭いていた。
ピアノを弾いていたお嬢様に、農作業が出来るのか?と、母方の親戚は心配したが、要領よく覚えて田植え、草取り、草刈り、稲刈りをしていた。
祖父が60代で倒れ、在宅介護となった。
今より、制度が無くしこたま金を使った。父は末弟だが、兄姉は一部を除いて、金銭的も精神的も援助しなかった。
同じ末っ子の母もこれには頭を抱えた。
祖父はよく入院した。土日はお見舞いばかり。
僕らは病院のキッズルームの主だった。
また、退院すると在宅介護なので、遊びに連れて行ってもらった覚えは無い。
弟が生まれると、僕は軽トラの荷台に乗り寝転んだり、ジュースを飲んだり。
弟は母が背負って、草刈りをしていた。
栗、お茶、米農家だから、栗を自宅から15Km先の市場まで出荷する時は僕を背負って、栗を荷台に乗せて自転車を漕いだ。
僕は幼いながらも、覚えている。
母は毎晩泣いていた。それは、多分、自分の置かれた立場が余りに理不尽な事だったからだと思う。
父は長距離トラック運転手だから、留守が多い。
母は在宅介護しながらも、出来る仕事を探した。
そして、ある日から内職をするようになった。
苦労人はいつまでも、苦労する。
当時、僕は4歳頃。覚えている。母が28歳の頃だ。
母のホントの苦悩はこれから、起こる。
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