神様のいる世界

松葉

第1話:神様のいる世界

「人殺しー!」


 大きな声が、ホームに響き渡る。


 その直後、列車のブレーキ音と警笛がその場を埋め尽くした。

 

 明らかな緊急事態を告げるその音は、目の前で起こった異変をホーム中に伝えていた。


 女性の悲鳴。

 男性の怒声。

 駆け回る駅員の靴音。


 様々な音が飛び交う中、その男は一歩も動けないでいた。


 男の名前は、薬師 仁。


 なんの取柄もない、なんの才能もない30代の目の前で、人が電車に飛び込んだ。

 

 いや、はっきりとは覚えていない。

 「人殺し」の声を聞くまで、ずっとスマホを弄っていた。


 顔を上げると、前に並んでいた人が電車に吸い込まれていったのだ。


 仁は、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 あまりにもショックが大きい光景に、思考が追い付いていなかった。


「こ、この人です!」

 一緒に並んでいた女性が、駆け付けた駅員に仁が犯人であると指さした。

 

 そんなバカなことがあるか。自分はスマホをずっと眺めていて、飛び込んだ人の性別すらわかっていないというのに……。


「ちょっと君、こっちまで来てくれ」

「え、いや、俺じゃないっ!」

 

 ドラマやらで似たような光景を見るときは、もっと上手く言えよなんてテレビの前で野次を飛ばしていたものだが、実際の場面に遭遇すると全く声がでない。


「あの人が……」

「怖い……」


 周囲の冷たい視線が、仁を容赦なく突き刺す。

 視線が痛くて、周りに無実を訴えることも出来ない。

 駅員に手を引かれる中、ただ項垂れてついていくことしか出来なかった。


 やがて駅の端にある駅長室につくと、複数の男が立っていた。

 彼らは警察でも何でもない。ただの駅員だ。


 だが、立場や状況は人を変える。

 駅員達は何も言わないものの、警察が犯罪者を追求するかのように、仁を取り込んで立っていた。

 

 十数分が過ぎただろうか?

 駅長室のドアが開き、本物の警察官が2名入ってきた。

 

 2人の警察官の内、やや老けた警官が仁の前に座ると直ぐに口を開いた。

「さて、動機から聞こうか。なんで突き落とした」

「いや、知らないよ。気づいたら飛び込んでたんだ」

「あのなあ、目撃者がたくさんいるんだよ。お前さんの前にいる男が、突然突き飛ばされたってな」

「お巡りさん、俺はずっとスマホを見てたんですよ。ほら、調べてくれよ。事故があった時、両手でスマホゲームをしてたんだ。アプリの時間とか調べればわかるはずだ! 調べてくれ」


 仁は、警察官に自分のスマートフォンを差し出した。

 だが、老け顔の警察官は受け取るどころか、益々怪しいと言わんばかりに目を細めた。

「なんかこうなることを予想してたかのようないいっぷりだな」

「いや、何でそうなるんだよ! 相手が男か女かもわからないのに」

「ま、とりあえず署にいこうや。そこでゆっくりと話を聞こう」

 

 あ、これはダメな奴だ。

 素人でもわかる。よくドラマとかでも出てくる展開。

 これでついていったら自白するまで拘留されて、犯人にされてしまう。


「い、いや……」

「ほら、さっさと立てよ!」

 恫喝とも取れる警察官の声が、駅長室に響き渡る。

 周りにいる駅員達も、さっさといけよと言わんばかりに仁を睨みつけていた。


 なんでいつもこうなんだ……。

 仁が諦めて席を立とうとした、まさにその時だった。


「ダメですねえ。まだ確定したわけではないのに強制的に、それも恫喝気味に連行するのは違反ですよ」


 駅長室の入口に目を向けると、一人の男が立っていた。

 いや、男というよりは男の子といった方が正しい背格好だ。


 身長は140cm程度で、金色のショートヘア。

 見るものを引き付ける程に整った顔立ちで、美少女と言われても分からない身なりをしていた。


「あなたも経験上わかっているんでしょう、お巡りさん? 彼は並んでいたといっても、白線からかなり後ろに立っていた。被害者との距離も人2,3人分は空いていたはずだ。この距離を、助走をつけずに、手の力だけで人を線路へ突き落すのは不可能。違いますか?」

「な、何だお前は。子供が勝手に入って……」

 老け顔の警察官が怒鳴り散らそうとしたとき、もう一人の警察官が制止する。

「課長、あの子、あれですよ。テレビに特集されてた天才少年。弁護士試験をわずか12歳でパスしたっていうあの……」


 あっ、という顔をその場にいた全員がした。

 あまり世間に詳しくない仁でも、その子の存在は知っている。


 名前は確か……。


「平良クリスです。僕のことはどうでもいい。今回の事故、いや事件の犯人はそこの彼じゃない。でも、犯人を見たという人はいないし、その人が押したという目撃証言が多い。実に不思議だ……」

「だから、それはこいつが犯人だからだろうが」


 クリスは、やれやれといった様子で肩をすくめた。


「お巡りさん、もう察しはついてるんでしょ? 僕たちは、この摩訶不思議な現象の正体を知っている。誰でも知っていることだ。でも、解決がとってもめんどくさい現象」


「神事……」

 仁は、ポツリと呟いた。

 クリスは、仁を見てニヤリとほほ笑んだ。

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