そのドラゴン、恋愛経験不足中です
鹿嶋 雲丹
第1話 最悪の目覚め
くっさ……なにこのにおい……俺の大っ嫌いなメダの葉のにおいじゃねぇか……
「あらぁ……聞いてた話と違うわねぇ……もっと彫りが深くて色白だと思ってたのに……うーん、これじゃ三十点ね」
三十点とはなんの話だ……しかし、こんなに低い女の声、初めて聞いたな……つか、まじでくさいっ!
「あら、起きたわ」
「おはようございます」
半身を起こした俺の前には、人がいた。
でろん、と目玉が飛び出してる人が。
「ぎゃあああ! あんた! 目玉が! 医者、医者に行け!」
「私はゾンビなので医者いらずです」
叫んだ俺に静かな口調で言ったのは、三十点と言った低い女の声じゃなかった。
少しキーの高い男の声だ。
「ぞ、ゾンビ?」
俺は自分が置かれている状況がまったく理解できないまま、目の前の人もどきをじっと見つめた。
明らかに血が通っていなさそうな青黒い肌、飛び出てぶら下がっている眼球。
頭皮はところどころ剥がれて頭蓋骨が見えている。それでも黒い髪がぼつぼつと残っていた。
腐敗臭と俺の嫌いなメダの葉のにおいが同時に押し寄せてきて、俺は吐きそうになった。
「お、おえぇ」
「どうぞ、このバケツをお使いください。私の体臭、きついでしょう?」
俺はゾンビからバケツを受け取り、嘔吐した。
「あ、あんたの体臭もそうだけど、このにおい! メダの葉だろ?」
「あら、よく気づいたわね……アタシ、ベジタリアンなのよ」
「ベジタリアン〜?」
俺はベジタリアンを自称した女の声の方を見た。なんだかやたら高い位置から聞こえてくる。
「んあ……でけえトカゲがいる……って、ドラゴンじゃんか!」
俺はあやうく自分の吐瀉物が入ったバケツを落としそうになった。
ゾンビもそうだが、ドラゴンなんて、俺みたいな一般人にとってははるかかなた遠い存在だ。
「なにがどうなってんだ……俺は隣町の知り合いの店に手伝いを頼まれて……そうだ……まずは飯でもって言われて……」
俺は必死で記憶を蘇らせた。
俺の仕事は修理工だ。主に家屋の修繕……壁の補強や窓ガラスを替えたりとか。
「おい、カルチャ、悪いが隣町の店に手伝いに行ってくれないか。俺の弟分が経営してる店なんだが、どうやら人手が足りないらしくてな」
「はい、いいですよ」
俺に仕事を教えてくれた頭からの頼みだ。
簡単に断るわけにはいかない。
それに、歩いて一時間ほどの距離にある隣町までの道中は、さほど危険でもないし。
「よく来てくれたな、えー……」
「カルチャです、ブックスさん」
俺は頭の弟分だと聞いていたブックスさんの、ごつごつとした色白の手をとった。
「こっちは息子のブラシだ」
そう紹介されたのは、二十三歳の俺と同じ歳くらいの男だった。
ブックスさんに似て、色白で顔の彫りが深い。俺とは民族の血が違うとはっきりわかる。
「ほんとに助かります。カルチャさんが来てくれなかったら、僕は……」
いやいや、ずいぶん大げさな。
「ブラシさんも、ブックスさんと同じ仕事をしているんですよね。俺にできる限り、精一杯お手伝いしますよ!」
同じ作業服を着た親子は顔を見合わせて、気まずそうな表情をした。
なぜだ?
「ま、まあ、仕事に取りかかる前に腹ごしらえしておこう。さあ、どうぞ」
と、案内された部屋には、簡素な木製テーブルに所狭しと料理が並べられていた。
「わあ、すみません! いっただきます!」
俺は遠慮なく食事にありついた。
と、記憶がここで途絶えている。
で、目覚めたらゾンビとドラゴンに俺の大っ嫌いなメダの葉のにおい、というわけだ。
「えー……なんで? 俺、修理の手伝いに来ただけなのに……おぇえ」
「ねぇ、さっきから具合悪そうだけど大丈夫?」
ゾンビが心配そうに聞いてくる。
「お、俺はメダの葉アレルギーなんだ」
「アレルギー!」
ドラゴンとゾンビが同時に叫んだ。
「大変だわ、消臭しなきゃ! 清涼ブレス!」
ぼおぉおっっ!
「うぉっ!」
耳をつんざくほどの、燃え盛る炎みたいな音。
それがすぐに止むと、あのメダの葉のにおいが消えていた。
ゾンビのにおいは変わらないけど。
「この方は、ちょっとにおいに敏感なようですね。私も気をつけます」
シュコシュコ、とゾンビが懐から取り出したオーデコロンを吹きかけ始めた。
「はあ……ようやく落ち着いたぁ……」
俺はほっと安堵のため息を吐いた。
いや、しかしこの状況をよく考えると落ち着いてる場合じゃないよな。
「ねぇ、俺、なんでここにいるの?」
俺はゾンビに聞いてみた。
まさか、食われるのか?
「あ、あの……このダンジョンの修理を頼みたくて……あ、あとはそのぉ……」
上からドラゴンの声が降ってきた。
なんだ、修理か。それならお手のもんだぜ。
「アタシの……恋人に……キャッ!」
「……はぁ?」
俺は耳を疑ってドラゴンを見上げた。
……なんてこった。
恥じらう乙女さながらに、ドラゴンが両の翼で顔を覆ってモジモジしている。
巨大なトカゲにしか見えない、ドラゴンが。
どうしよう。どうするよ、俺。
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