鬼の撫子

額田兼続

第1話

天文てんもん※ 11年(1550年)。

「私の子が生まれた!?」

ここは武蔵国むさしのくに星平ほしひらじょう

戦国大名、鶴柴つるしば時忠ときただが叫ぶ。

さっそく廊下を走って行ってみると、

「可愛い姫ですよ、殿」

時忠の側近、久留米くるめ秀信ひでのぶが赤子の額を撫でながら言った。

赤子の母で時茂を正室、おひさが申し訳なさそうに

「殿、後継となる男子を産めず、申し訳ございませぬ」

と言うが、時忠は気にするなと励ます。

「よし、この子には輝くように美しい姫になって欲しいから、てると名付けよう」


それから4年後、輝が5歳の時。

武蔵の東にある下総国しもうさのくにから大名、宇治田うじた貞家さだいえが武蔵を手に入れるべく武蔵国に攻めてきたのだった。

「兄上…」

貞家はお久の兄なのだ。お久としては貞家に攻城を中止しろとでも叫んでやりたいが、お久は今妊娠している。陣痛が始まっているし、家臣に止められるだろう。

今まで平和だったこの国を守りたくても守れない、そんな自分を久は恨めしく思った。


鶴柴家は籠城をやむなくされた。


攻防戦が始まり10日が経った。

食糧が後少しで尽きそうになった。そもそも星平城は籠城には向いていないのだ。

宇治田家の使者が城に交渉に来たという知らせが。

「使者は、殿自らが来い、と言っております」

久留米秀信が手紙を読む。

「仕方ない…護衛を付けて行く」


時忠は使者と対面。

「殿からの手紙だ。『ひさの引き渡しを無理にでも要求する。さもなければ貴様を殺し、城ごと焼き払う』との事だ」

「久は今、闘病しているのだ。久は簡単に来られそうではない」

子が産まれそうとは言えないので、病気でごまかした。

「無理をさせてでも良い。連れてこい。この書状を見せ、久を連れてくるのだ。明日の早朝までに来なければ、城に火を点ける」

使者は拒否すれば殺すと言わんばかりに刀の刃を時忠に近づけた。


家臣も久も、輝も胎児も焼かれて失うのは最悪だ。

久の安全の為にも、時忠は久を行かせるしかなかった。


「殿、私は行きません。私は貴方と一緒に果てる覚悟を決めているのです」

「……久、この手紙を見てくれ。これで気が変わらなければ、もう何を言わない」

---

「…殿、私は行きます」

「分かった。よく決断してくれた」


そして翌朝。

「元気な男子です」

嫡男が誕生したのだ。彼は勝千代かつちよと名付けられた。

「この子は鶴柴に置いて行きます。…ご武運を。私はいつまでも貴方を思い続けます」

「母上、どこに行くの?」

輝が無邪気な笑顔で聞く。

「…下総国よ」

「母上、私も行きたい!」

輝は鶴柴の嫡女だから、久には着いていけない。行ったとしても貞家の性格からして殺されて終わりだろう。

「ごめんね、輝。あなたは来れないの…」

涙を流して久は言った。

しかし、会えなくなるという事を知らない輝はきょとんとしていた。

その様子を見ながら、数人の侍女も泣いてしまった。

「久、下総でも元気に生きろ。もっと幸せな道を辿れ」

「………」

「どうした?」

「あ、いえ」

これが、久と時忠達の永遠の別れとなってしまった。


「お久様は大切に扱う。では」

「時忠様…!」

久が涙を流して叫ぶが、貞家の家臣に口を封じられる。

そのまま見えなくなった。

(この先の久が心配だ…)

時忠は独りで溜息をついた。


数日後。

ここは下総国、くらじょう

戦は(無理矢理)弟、貞孝さだたかに任せておいて、貞家は妾と遊んでいた。

「殿、お久様を連れて参りました」

「よくやった」

貞家は久の方へと振り返る。病気だと聞かされていたのに元気だった久を見て少し疑問に思ったが、笑みを浮かべてこう言った。

「妹よ。よくぞ帰ってきてくれた。さて、さっそくだが、鶴柴の作戦などを教えて貰う」

「嫌です」

「…なっ…!?」

久が貞家に従わないのは初めてだった。

「それに、知りませぬ。私は戦には興味がありませぬので」

「嘘を吐くでない」

「本当です。私を斬って密告者に教えて貰えばいかがでしょうか?」

久がそう言った次の瞬間、久は胸を刺されていた。

「うっ…」

美しい畳が赤く染まり、妾達は悲鳴を上げる。一部の人間はその場から逃げ出した。貞家も返り血を浴び、化け物の様な姿になっていた。

「そうだな。いくら可愛い妹でも、お前の様な役立たずはこの国に…いや、この世界には要らないんだよ」

「……そうですね………私は……………からね…」

「それはどういう事だ」

焦る貞家を横目に置いて、久はこう言った。

「私…は……………………全員…殺して…ます……から…………」

「さ、最初から私を騙したというのか」

「…………ええ………私は…………最…………初から…………鶴柴の………………味方………です………か……………ら………………」

フッと笑みを浮かべ、久は息絶えた。

命をかけて、久は鶴柴家を自分なりに守ったのだ。

密告者スパイとして送られたのを、仲間ほかのスパイを殺して。

その知らせはすぐ貞孝にも伝わり、彼は最愛の妹を兄に殺されたという衝撃を受け、勝手に和睦を申した。


星平城では、兵糧が尽きかけ、餓死者が出始めた。

飢えて亡くなった人々はそこら中に横たわっていた。

それを輝が見てしまったのだ。

「父上、なんでこの人達はここで寝ているの?」

少し前までは箱入りお嬢様だった輝は、死という概念についてよく知らない。

返答に困った時忠の代わりに

「この人達は、亡くなったのよ」

乳母であり時忠の側室、そうせのつぼねがそういうが、輝は首をかしげる。

「ええと…」

相勢局が説明し終わると、輝は悲しそうな表情をした。

「あなた達には来世で幸せになってほしいな………」

餓死者に悲しげな笑みを浮かべ、輝は言った。

そこに居た誰もが同情するが、その雰囲気を掻き消すように一人の武将が駆けつけてきた。

「時忠様!」

「どうした」

その武将の焦りっぷりを見て、時忠が困惑する。

「お久様が、貞家殿に殺されたそうです…!」

「母上が…!?」

輝が泣きながら言う。

時忠の目にも涙が浮かぶが、ぐっと堪えた。

「輝。これからは私とそう(相勢の本名)を頼りなさい」

時忠が励ますが、輝は余計泣き出してしまった。

「母上が…母上が……」

「そして、弟、貞孝殿は和睦を!」

「それが一番良い。餓死者も減るだろうし」

餓死する人が減るのは輝が望んでいたことだ。

しかしそんな事も耳には入って来ない。

輝はただただ、ひたすら泣き続けたのだった。







※てんぶんとも読む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る