1-1.上里美鈴の葬場にて

 一条いちじょう永耶えいやはずっと俯いたままだった。ぽつ、ぽつと彼の瞳から秋霖しゅうりんのように零れる落涙が地面に黒い染みを作っていく。強く握り締めた手は、すっかり固まってしまって、ぎくしゃくとしてきっとすぐには開けないだろう。

 視界がゆらゆらとかすむ。目という狭い空間にいっぱいになった涙が視野を制限する。何も見えない。でも、それでいい。もう、何も見ていたくない。粛々と進む葬儀も、彼女がいなくなってしまったという現実も。

の者の魂は肉体という器から解き放たれました。大地へと還り、母なる星に抱かれ、やがて溶けて混じり合い、次なる生目指して流転るてんすることでしょう」

 耳を通り抜けていく僧侶の声には抑揚がなく、感情というものがまるで感じられなかった。この定例文を読み上げる機会が頻繁にあるため、もはや何も感じなくなってしまっているのか、それともいたずらに感傷的にならないように感情を殺しているのか。

「それでは、皆さま、ご唱和ください。彼の者がこれより歩む黄泉よもつ比良坂ひらさかで迷うことがないよう……オダシク、ニライカナイニサレ」

 永耶は頌栄しょうえいの言葉を発するために口を開いた。だが、すぐそこに涙が入り込んできて、声を出すことは叶わなかった。塩辛く粘っこい唾が唇で糸を引く。

 そのまま、永耶は声を押し殺して泣き続けた。葬儀がいつ終わったのかも知らない。記憶は混濁し、意識は朦朧もうろうとし、気付けば帰路についていた。


 雨が降り出していた。まだ昼過ぎだというのに辺りはどんよりと薄暗く、こんな中を傘も差さずに歩いている自分がまるで亡霊のように思えた。

 黄色い雨傘を片手に子供が永耶のすぐ側を駆け抜けていく。子供が踏み抜いた水溜りから弾けた水滴が永耶の既にずぶ濡れのズボンへとかかった。

 顔がびしょ濡れだ。もう雨なのだか涙なのか分からない。きっと酷い顔をしているに違いない――頬に手をやる。冷たい。体が冷え切っていた。

 こんな時、美鈴がいたら――。


『もう、また傘を忘れたでしょう。持ってきてあげたわ』


 耳元をくすぐるような優しい声。その声を聞くだけで永耶の心は満たされ、顔は自然に綻んだ。

 頬を熱い涙が伝う。


 惨状がフラッシュバックする。密室で死んでいた美鈴は四肢がねじ切れ、部屋は鮮血に彩られていた。

 そう、「化物」に体を引き裂かれたのだ。

 あれは人間業ではない。だから「化物」の仕業だ。

 誰もがその理屈を認めるだろう。永耶もそれを認めざるを得なかった。「化物」の仕業――そう、あれは事故だったのだ。

 けれど納得がいかない。不可解な点がひとつだけある。


 部屋の電気は点いていてのだ。


「誰かが……」

 誰かがやったんだ。「化物」ではない誰かが。

 永耶はくしゃくしゃの髪を右手で掴んだ。そのままぐしゃぐしゃとかき回す。髪に絡まった雨の雫がぼたぼたと滴る。


「誰が美鈴を殺した?」


 その時、永耶は誰かに呼ばれた気がして後ろを振り向いた。

「美鈴……?」

 そこには自動車がいた。まっすぐ自分に向かって走ってくる鉄の塊だ。

 時が止まった。驚いた表情の運転手の顔が見える。どうやら自分はふらふらと車道に歩き出てしまったらしい。

 けたたましいクラクションの音が耳をつんざいたとき、永耶は「これで美鈴に会えるかな」と考えていた。

 刹那、永耶の体に強い衝撃が加わったかと思うと、意識が飛んだ。

 世界が闇に閉ざされた。

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