夜呼吸

ぼくる

うってつけの祈り(Way to change from PLAY to PRAY)

 9回裏。

 二死。

 満塁。

 3点ビハインド。

 ――つまるところ、逆転のチャンス。

 ピッチャーマウンドに立ってる相手はヤベェ奴。

 神さまがグランドキャニオンを両手でギュッと圧縮したようなガタイ。

 鉄筋コンクリートの防音性も兼ね備えていそうな五臓六腑。

『ゴールデンゲートブリッジみたいでクソワロタ』なんてコメントがバズりそうな極太の腕。

『ちっちゃい銀河載せてんのかい』なんてボディビルの掛け声が聴こえてこなくもなさそうな知性。

 全パラレルワールドのマイケルジャクソンを大根みたいにおろして降りかけたようなカリスマ性。

 誕生日のインタビューでは「あぁ、プレゼントかい? みんなにはもう上げてるよ、俺自身の活躍という贈り物をね」なんてことを流暢なアラビア語で応えたりしそうな自信とユーモア。

「アーユーオケィ?」そんな彼が私に呼びかける。

「ファック」

「ワァオ……」

 口喧嘩なら勝てそうじゃん。

 そう思った私は、拙い英語でも、声にありったけを込めて煽った。

「オーウ、アイムソーリーマイブラザァ。ジャバンイズナンバーワン、イェア。ユアカントリーイズ、オンリーチーター――」

 しかし気付けば、相手の投球がストライクゾーンに入っていた。

「ファッキンジャァップ! フウゥー! アイムソーリーマイブラ! コニチワ、コニチワ! ワタシノカチ、アナタ、マケ! ヘイ、リッスン、マケマケマケマケ。ヘイ、ハローゥ? ファッキンジャアァァップ、ハァーローゥ?」

「クソゲ」

 私は即座にボイスチャットの電源を切った。

 ただの遊びじゃん。ゲームじゃん。

 そう言い聞かせつつもガチのマジになってるってのは分葛藤わかっとうよ。

 混声合唱みたいにやかましい自分をどうにも出来ないまんま、もうなんの価値もなくて、すべり芸にすらならないそんな響きを公認バグみたいに引き摺りながら、外に出た。


 いつ爆発するか分からないビンテージセグウェイに乗ってコンビニへ向かう途中だった。

 突然、セグウェイが何かに衝突してデュクシっと音が鳴る。

 時速三十~四十の勢いそのまま、私は古紙回収ボックスの中へぶち込まれる。

 轢いてしまったその何かが夜だと気付いたのは、真夜中だというのに世界が昼間みたいにパッと明るくなったからだった。

「痛って……なんなん」

 そう愚痴って、私はボックスの中から事故現場を窺い見る。

 人っ気がないのがせめてもの救い。

 これなら夜を轢いたのが私だなんてバレそうにない。

「アーユーオーケー?」

 つい私はボイスチャットの流れそのまま夜に話しかけてしまう。

「おーけい、おーけい……」

 横になったままの夜が、ゆっくりと応える。

 少し活舌の悪い中性的な声色だった。

 怒ってはないらしい。

「いや日本語頼む!」

 やっぱりちょっとは怒ってるっぽい。

 夜がいきなり早口になってまくし立ててくる。

「あーあ、クソッ! 朝になっちまった! いや昼かこれェ!」

 結構怒ってた。

 最初の『おーけい』は、夜なりに少し気を遣ってくれたのかなと勘ぐる。

「す、すません……」と、私はとりあえず詫びを入れてみて様子を窺う。

「いいんだけど、いいけどさぁ!」

 絶対良くないやつ。

「ほんと、ごめんなさい……申し訳ないです。なんか、私にできることととか、ヘヘッ、ありますかね、なんつって――」

「ねぇよ!」

 分かってるよバカ。ちょっと礼節を重んじて聴いてやっただけじゃん。

「そですよね、ないっすよね、ハハ……」

「お前マジでさぁ、だれ轢いたか分かってんのかよォ!」

 わかっとうよ、わかっとうけん。

 それでも、八方美人じゃあ足りない方角から責めてくるこいつに

十六方とおろく美人のお勉強を強いられた気がして――。

「クソゲ」

 つい南南西めがけて拳を振り下ろし、ぶん殴ってた。


 いい天気だった。

 花々が揺れて嫋やか。

 青空では小鳥がうたって、丘の上ではララ緑が燃えてる。

 そんな真昼間みたいに明るい真夜中。

「まっぶし、あっつ」と独り言ちる。

 全身真っ黒の夜には体重がない。

 だから私は、夜の足首を掴んで空に差し、上手い具合に影を作って日傘代わりにしようとした。

 夜の両腕をかかしみたいに広げようと苦戦していたところで、夜が目を覚ました。

「あれ? 俺、なにしてんだ」

 さて、どうしよう。

 たたかう、にげる、アイテム、ポキモン。

 私は第五の選択肢、平和的解決を望んで嘘をついた。

「あら、目が覚めたかしら?」

 物腰柔らかな大和撫子よろしく、一切の穢れを削ぎ落したような声で、私はそう言った。

「あ、あなたはっ……!?」

 私に足首を掴まれたまま、夜は私を見下ろす。

 騙せるとは思ってなかったけど、なんかいけそうなので、このまま大和撫子った。

「もう大丈夫だから、安心して。今は安静にして、動かないで」

 ちょうど日陰になってるしね。

「俺は……俺は……」

 途端に夜が泣き出した。せっかく日傘にしたのに、内側から雨が降りやがる。

 まぁ、さすがに少し、後ろめたくなってきた。

「か、可哀想に」と思わず言葉に詰まった「誰かにひどいことをされたのね。ここにはあなたの敵はいない。もう大丈夫よ」

「俺は夜なんだ。誰かが今にも死にかけてるんだ。そいつらがいつか光る時のために、暗くなってなきゃいけないんだ。なのに、なのに――」

「そんなにさ、自分に厳しくすることなくない?」

「へっ?」

 つい普段の言葉遣いに戻ってしまったので、すぐに訂正した。

「きっと、ずっと独りだったのね。私はあなたの味方よ。もう独りじゃない」

 そこで堰をぶち切ったように、夜が子供みたいにワーワー泣き叫んだ。

 そんな様子を見せられると、なんだか私もちょっぴり感傷的になった。

 なんなら夜に響かせた自分のセリフを、その反響音を聞いてみたい、私にも言ってよ――とか言ってみたりしたくなった。


 心身ともに参ってしまって泣き疲れた夜を日傘の代わりにし続けるほど、私は極悪非道じゃない。

『迷子のお知らせです』

 真昼間みたいな真夜中。

 営業時間を勘違いしたバカショッピングモールで、目を離した隙に夜とはぐれたから――。

『全身に真っ黒なタトゥーを入れた、夜くん』

 受付のきれいな人に館内放送で呼び出してもらった。

『お姉さんが一階のインフォメーションでお待ちです』

 数分すると、夜はちゃんと来た。

 受付の人が嬉しそうに笑みを浮かべる。

 その微笑に何かがグッと込み上げてくる。

「おわぁー!」

 そう言いながら、夜は走って私の胸に飛び込んでくる。

 どんどん幼児退行していきそうな夜に、私は助演女優賞をかっさらうレベルの演技を見せる。

「ごめん、ホントにごめん」

「うん! 大丈夫!」

「もうずっと一緒だから」

 ここまで役に入り込めるなんて思わなかった。

 私は夜を抱き締めながら、頭を撫でる。

 けれどそこで、妙な邪魔が入った。

「あの、すいません」

「はい?」

「朝です、それからこいつが昼です」

 全身真っ白な奴と、全身真っ黄色の二人組だった。

「あっ、連れ戻しにきたとか、ですか」

「さようでございます。夜には夜の責任がありますゆえ」

 じゃあ仕方ない。私は夜に声をかける。

「ほら、来てくれたんだって。よかったじゃん」

 夜は、私と二人組の方に忙しなく目を配った。

 そして私の腕をギュッと掴む。

「俺、もう夜とか、やめたいかも……」

 ちょっと優しくしたくらいで、この情の移りよう。

 私は私でそこにちょっぴり責任を感じたりして窘めてみる。

「私といるより、よっぽどいいよ。朝と昼だって、あなたがいないと困るんじゃないかな」

「俺だってもっと、光りたい……」

 オンとオフとで中途半端になった芝居を、私はそこで止めた。

「じゃあ言うけど、あなたを轢いたのも、ぶん殴ったのも私だよ」

 まぁ、これで大人のお姉さんって感じでカッコよく締まるよね。

 夜は今にも泣き出しそうな表情で、しぶしぶと朝と昼の方へ歩み寄る。

 途中で止まる。

 誰かに手を掴まれてる。

「お、ねぇちゃん……?」

 私の手だった。

 なんか無意識に掴んでた。

 私は即座に手を放す。

「嘘つき」

 うっせーよ、クソガキ。

 二度と、こんな夜更かしさせんな。


 朝と昼がもっと悪そうな奴だったらなぁって、帰路辿りつつ思う。

 なんとなく歩きたくて、セグウェイを押して進む。

 そのうちにフッと街灯が煌めいた。コンビニの光が強くなった。

 辺りが真っ暗になる。真昼間を裏返たように、ちゃんと夜に戻った。 

 しばらく立ち止まってから、なんだか衝動的に思い切り走り出しくなって、セグウェイに乗る。

 けれど、プシューっと溜息みたいな音をくゆらせたのち。

 セグウェイが爆発した。


 時間がゆっくり流れる。

 宙を舞いながら、私は存分に走馬灯を味わう。

 あぁ、ミスったなぁ。

 あの時の選択肢は『にげる』の方が期待値高い。

 嫌な人間だなぁって自己嫌悪はチュートリアルより楽ちん。

 マジで、クソゲ。

 古紙回収ボックスの中にぶっ飛ばされる。

 ゴミの中から頭を出して、夜空を仰ぎ見る。

『嘘つき』

 エラ呼吸でも肺呼吸でもない夜呼吸。

 そんな珍魚よろしく、私はボックス内でもがくように泳いでから寝落ちした。


 翌日の夜。

 9回裏。

 二死。

 満塁。

 3点ビハインド。

 ロスタイム19年。

 ファイナルラウンド体力ゲージ僅か。

 残りストック1で999%。

 ――つまるところ、逆転のチャンス。


「アーユーオケィ?」ボイチャ越しに相手が煽ってくる。

「ファック」

「ワァオ……」

 それから私は何も言わずにいた。

『バッターアウッ! ゲームセッ!』

 気付けば、相手の投球がストライクゾーンに入っていた。

 けど、今度はちゃんと空振った。

「ファッキンジャァップ! フウゥー!」

「はいクソゲー」

 首を上に逸らしてゲーミングチェアに思いっきり倒れこむ。

 その瞬間、窓の外。

 視界の隅に、夜が映る。

「ワンモア、プレイ、プリーズ」

 素っ気なくて白々しい夜を横目で眺めながら、私はそう呟く。

? ウィッチディーティ、ドゥジャパニーズピーポー、トゥ?」

「イェーイェー」

「ダズザッミーン、ザワード『クソゲー』イズアフォームォブ、プレェイヤー?」

「イェーオフコース」

 何言ってるか分かんないけど、とりあえずやる気みたいなのでそう返す。

 マヨネーズ抜きのサンドイッチになろう。つまんなくて、退屈で、平凡な、優しい人に、ただのいい人に、今度は芝居抜きで、なろう。

 そう思えるくらいに今日の夜は眩しくって、つい目を逸らした。

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夜呼吸 ぼくる @9stories

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