君の“存在”がなくとも“愛”は

如月ちょこ

俺と君は運命共同体

 俺の彼女が、亡くなった。

 交通事故、らしい。大雨が降っていた影響で、車がスリップして歩道を歩いていた彼女に突っ込んでしまったと。……信じられない。信じられるわけがない。


 けど、俺の目の前に横たわる君は、ピクリとも動かなくて。顔には白い布が被されていて。


 顔は、見ない方がいいと医者に言われた。

 交通事故で、原型がほとんどなくなってしまっているから、と。


 それでも、俺の愛しの君の顔を最後に見たいと思った。

 布を捲ってやろうと思った。

 後悔してもいいって思った。


 見ない後悔より見る後悔の方が絶対に小さいから。こんな最期じゃ、顔も見ることのできない最期じゃ嫌だから。


 けど、手が止まる。

 俺の頭が拒否している。ここから先は、進んではいけないと。


 ……めくる元気すら、なくなった。

 もう俺には何もない。そう思ってしまえるほどに限界で。

 頭の中に、彼女との思い出が溢れてくる。

 今は見れない君の、俺が一番好きな人の顔と一緒に。




『ずーっと、どこまでも。二人一緒に過ごそうね』


 少し前に、彼女とこんな約束をした。

 俺はもちろん、この約束が必ず果たされるものだと思っていた。


 別れる未来なんて、微塵も見えなくて。

 俺も彼女と同じ気持ちで。ずーっと2人で過ごしていくんだと。


 この約束をした時の彼女の顔は、よく覚えている。

 俺が、彼女のことを好きになったきっかけの、世界でいちばん眩しい笑みだ。

 俺は――この君の笑顔を、世界でいちばん好いていた。


 ……そうだ。俺は、君の笑顔が世界でいちばん好きだったんじゃないか。

 生きるモチベーションになっていたんじゃないか。

 少し頑張れば、君に会えるから。そう思って毎日頑張ってきたんじゃないか。


 ――だけど今はどうなんだ?

 もう、君はこの世にいない。

 この先戻ってくることも、ない。

 これからは、俺の心にぽっかり穴が空いたまま過ごしていかなければならない。


 そんなのは、何があっても耐えられやしない。

 俺は強い人間では無いから。今だって、零れてくる涙を必死に拭いながら、君との思い出を振り返っていて。


『私と、君は。運命共同体だと思うんだよね』


 こんな言葉が出てくるくらい、俺たちふたりは相性が良かった。

 ずっと前から家族であったかのように、相手の考えることがわかっていた。


 もちろん、たまに喧嘩だってしたし。仲が険悪になることだってあった。


 けど、それらを全部乗り越えて、より仲良くなった。絆が深まった。


 まだまだこれからももっと、絆を深めて。この先何十年と二人三脚で生きていく。

 そんな未来設計だってしていた。


『ねぇ、“愛”ってさ、私たちの間では一生なくならないものだと思わない?』


 出会って、5年。付き合って、3年。

 出会った時は高校生だった俺達も、今ではもう社会人になって。


 最初は“友情”だった彼女に対する思いも、いつしか“愛情”に変わっていて。


 その“愛情”は、3年経った今でも全くなくならない。むしろ、どんどん増えていく。

 全てが愛おしく感じられていたんだ。


『……けど、“愛”があっても、“存在”が無くなるかもしれないね』


 この言葉を聞いた時は、何を言っているのか全く理解が出来なかった。

“愛”があるのに“存在”がなくなる。そんなことは、現実には起こりえない。そう高をくくっていたから。


“存在”がなくなる=別れるその時である。

 ということは、別れる時にはもう既に“愛”はない状態だろうと、そう思っていた。


 だから、彼女のこのつぶやきには、何も反応してあげることが出来なかった。

“愛”があるまま別れることは想像出来なかったから。



『けど、もし“私”っていう“存在”がなくなったとしたら、君は――


 最初に君からこう言われたとき、この言葉を構成する全ての音が、右から左へと流れて行ったのを覚えている。

 そんなこと、絶対にできるわけがないと。

 君を忘れて、俺はどう生きていけばいいのかと。

 そう、彼女に訴えた。


 普段はあまり口数が多くない俺だ。

 そんな俺が、感情を表に出して訴えている。

 そんな状況に、彼女は面食らったようだった。


『あぁごめん、もしも、の話だから気にしないで? 別に死ぬ予定なんてないからさ』


 そうだよな、と安堵した。





『けど――もしそうなっても、やっぱり私は私を忘れて欲しくないし、君と“心”でも一緒に生きていたいかな。……さっき言ったこと矛盾してるけどね。両方、本心なんだ』





 ――――っ!!





 急に、思い出から現実に引き戻された感覚がした。

 やっぱり目の前にはもうピクリとも動かない君がいるし、俺は未だにポロポロ泣いているし。


 辛い現実に戻ってきてしまったと思う。


 しかし、俺の頭の中には最後の言葉が大きな場所を占めていた。


『もしそうなっても、私は私を忘れて欲しくないし、君と“心”でも一緒に生きていたいかな』


 こんな言葉を、貰っていたなんて。

 今思い出すまですっかり忘れてしまっていた。


 ……あぁ。俺は、どうしてこんなに大切な言葉を忘れてしまっていたのだろう。

“愛”があれば別れるわけないと思っていたからだろうか。


 けど実際に起きてしまった。

 だから今は、君を失ってしまったという現実からは目を背けて。

 君に、とびっきりの“愛”を注いで。

 君に、抑えきれない思いをぶつけて。

 もう帰って来ない君との、かけがえのない思い出に浸って。


『あぁごめん、もしも、の話だから気にしないで? 別に死ぬ予定なんてないからさ』


 ――ふざけるな!!

 予定がなくても、死んじゃったじゃないか!!

 俺がどれだけ君のことを好きだと思っていたんだ。

 これから先、もっともっと思い出を作って、子供もできて。幸せに暮らしていくはずだったのに!


『もし、“私”っていう“存在”がなくなったとしたら、君は――


 なにが、なにが私のことなんて忘れて、だ。

 忘れられるわけがないだろ!!

 初めての彼女で、自分が初めて好きになった人で。

 もう5年だ。5年も一緒に過ごしてきた。

 そのうち3年間は、彼氏彼女としてだ。

 忘れたくても、忘れられるわけがないだろ!


『“愛”があっても、“存在”がなくなるかもしれないよね』


 なんで、なんでこんなフラグを立てるようなことを言うかなぁ。

 言うだけならまだいいけど、なんで回収するのかなぁ。

 ……涙が溢れて止まらねぇんだよ。


 なんで、なんで俺が君と別れなきゃいけないんだよ。

 神様。おかしいだろ。彼女を返してくれよ。


『“愛”ってさ、私たちの間では一生なくならないものだと思わない?』


 そうだな。今なら胸を張って返事をできる。

 俺が、世界でいちばん愛していた人の事を忘れられるわけがない! 愛がなくなるわけがねぇ!!


『私と、君は。運命共同体だと思うんだよね』


 ――これも、今ならよくわかる。

 俺たちは、ただのカップルなんかじゃなかった。

 永遠を誓い合ったカップルみたいに絆があった。


 一生一緒に、自分の人生を相手に全て預けることが出来る。

 そう思っていた。


『ずーっと、どこまでも。二人一緒に過ごそうね』


 くそっ。この約束も、もう果たせなくなったじゃないか。

 実現できると信じて疑わなかったこの約束が、まさか実現できなくなるなんて。


 この怒りも、ぶつける場所がない。

 ただ、感情を垂れ流しにするだけ。


 なぁ、俺はどうすればいいんだ?

 この先、どうやって生きていけばいい?

 君が願った、“亡くなってしまっても、俺と生きていたい”ということ。

 その願い、叶えられる自信がないんだよ。


 けど――そんな俺に、君が言いそうなことなら、わかるさ。



『これから、君は私と一緒に生きていくんだよ?』



 君なら、絶対こう言うはずなんだ。

 でも、この言葉の意味がわからない。どうやって、君と二人で?

 姿もない。形もない。残っているのは思い出だけ。

 そんな君と、これからも二人で生きていく方法なんて――――




『私は私を忘れて欲しくないし、君と“心”でも一緒に生きていたいかな』




 ――――ある。




 ……あぁ。やっぱり最後まで、君には頭が上がらない。

 大切な、本当に大切なヒントを遺してくれていた。


 ということは。



『二人一緒に過ごそうね』

『私と、君は。運命共同体だと思うんだよね』

『“愛”ってさ、私たちの間では一生なくならないものだと思わない?』





 この言葉は全部――――





 ――――。





 ……最期の最期まで、俺の事を泣かせやがって。

 最期の最期まで、俺たちのことを考えてくれて。

 もう君は戻ってこないのに、まだまだ“愛”が増えていく。


 ……涙を拭おう。前を向こう。

 君は、こんなにも俺の事を考えてくれていた。

 この先も、俺は君と一緒に過ごしていくことが出来る。


 俺は、君のことを絶対に忘れない。約束する。

 これからもずっと、君と共に生きていく。

 そして、それと同時に幸せになるよ。


 君が、そう言ってくれたから。幸せになるよう、願ってくれたから。

 君と生きて幸せになる未来は、叶わなくなった。





 ――





 よし、とひとつ声を出して自分を鼓舞する。

 そして――君の頭を撫でる。


「ありがとう、未来みく。俺はこれからも、君と共に生きていくよ。――俺の未来みらいは俺にしか変えられないもんな。頑張るよ、俺」


 さっき拭ったはずの涙がまた溢れてくる。

 前が、未来みくの姿が滲んで見えなくなる。



「――応援しててほしい。俺は、未来みくだから」



 最後にもう一度、未来みくの頭を撫でる。



「ありがとう、大好きだ。今までも、これからも」



 今までの思いを一言に込めて、部屋を出る。

 事故が起こった時に降っていた大雨は、いつしか快晴になっていた。


 そう、俺たちの未来みらいはこの天気のように晴れやかになるはずだ。

 俺の頬を伝っている最後の涙が、太陽に照らされきらりと光る。

 もう、俺の目から涙はこぼれない。


 あぁ、やっと自信を持って言える。


 未来みくの“存在”がなくなってしまったとしても、俺たちの間の“愛”は永久に不滅だと――。

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君の“存在”がなくとも“愛”は 如月ちょこ @tyoko_san_dayo0131

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