いちばんきらきらの日
黒詩ろくろ
第1話 はなとゆき
ふわふわと揺れ動く髪を撫で付けると、彼女は不意に大人しくなる。いつも
「――それで、今日はどうだったの」
身を乗り出して顔色を伺おうとすれば、
『……』
絡まる視線。
「……わたし、……また、だめだった……っ」
いちばんきらきらの日
――
私はその人のことをよく知らない。彼女はいつも色々なことを話してくれるけれど、私はきらきらと輝くその瞳に夢中になってしまうから、話は右から左へ通り過ぎていく。
何回繰り返しても、何年経っても、私はやっぱり知らないままで居る。
私の日課は、彼女のお手伝いをすること。それからときどき、相談に乗ること。
やっぱり、長い髪が好きだと思うの。ゆらゆらと揺れる頭をそっと押さえ付けられた彼女は、それでも僅かに頭を揺らしながら語り出す。
「――そうなの?」
「うん! だって、可愛いでしょ?」
金属部分が首に触れないように気をつけながら、私は彼女の毛束をそっと手に取り、慣れた手つきで巻いていく。
はなはふわふわくるくるの髪の毛を特別気に入っていた。それは彼女の好みだからというだけではなく、きっと彼女の中での世間一般的な〝かわいい〟という概念が、ふわふわでくるくるなのだろう。
丁寧なブロッキングのお陰か、今日は一段と綺麗に仕上がった。鏡を持って彼女に見せた途端、一気に光り輝く瞳が愛くるしいと私はいつも思う。
「うわぁ……! ゆき、くるくる上手になったね!」
「カール、ね。もう、何回目だと思ってるの?」
「そんなの覚えてないよ。でもねでもね、今日のくるくるは今まででいっちばんかわいい!」
「私、前もそんなこと聞いた気がするなぁ。だからカールね」
「その〝前〟よりもっと可愛いんだもん、しょうがないよ!」
ご機嫌に鏡を見ては私を見上げて、また鏡を見て。あっちこっち
――あぁ、等身大の拗ねた顔も宇宙一かわいい。彼女は好きな人にもこんな顔を見せているのだろうか。
「なんでもないよ。……それより、今日はどうするの?」
スプレーに持ち替え、カールが保たれるように丹念に整える。またゆらゆらと頭が動き出したけれど、もう火傷の心配は無いから気にしない。
「もー……今日はね、映画を見に行くんだ。座席はちょっと離れちゃったけど……でもばっちり見えるんだよ、後ろ姿!」
「映画じゃなくて後ろ姿を見に行くってことね。いつになったら話しかけるんだか……」
「焦ったらまた失敗しちゃうもん。出来ることはぜーんぶやりたいの!」
――だから、今度こそ。きゅ、と結ばれた彼女の唇は、ほんのちょっぴり――震えていたと思う。
「……はな、こっち向いて」
「なぁに? ……んっ?」
淡い桃色の唇に、私の指先がぴとりと触れる。そのまますいっと横に動かして、付けていたバームを広げていった。
「早くメイクも仕上げなきゃ、遅刻しちゃうよ? 早めに入場して待つんじゃなかったの?」
「……んぅ! ほうらっぁ!」
律儀に唇を閉じたままそう叫んだ彼女の声はほとんど聞こえなかったけれど、忙しなく上げたり下ろしたりされる膝を見れば何となく察しがついた。口角までしっかりと保湿して指を離すと、ようやく解放された唇が花開く。
「ありがとう、ゆき!」
あれ取ってこれ取ってと、ばたばたしている彼女を俊敏な動きでフォローする。結局それからまともな会話をする時間も取れないまま「鍵よろしくねー!」という言葉と共に飛び出してしまった。
何度繰り返しても防犯だとかに無頓着な彼女はきっと、私がこの家の鍵をどう使っているのかも知らないんだろう。
「……はぁ」
急にしんと静まり返ると、いささか窮屈なはずのワンルームが広く感じてしまう。私はベッドにぽすっと腰を下ろし、そのまま仰向けに倒れ込んで天井を見上げた。
毎度のことだけれど、彼女はいつも自分の理想にぴったりの「かわいい」が詰め込まれた部屋を選んで住んでいる。淡い桃色の天井はシミひとつなく綺麗で、ちっちゃなシャンデリアみたいな照明がふわりと回っている。
枕元のリモコンを手に取り、照明を消した。レース越しの光だけではどうにも薄暗いベットの上を、ごろんと一回転する。
「……はな」
電車で三十分の道のり。二時間の映画を見て帰っても、あと三時間は猶予がある。私は彼女の枕をそっと抱き寄せて、顔を埋めた。
「――花」
初めて彼女と話した日の事を――私が忘れることは、ないだろう。
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