ツンデレ『あの子』をデレさせたくて!

ぬヌ

プロローグ

第1話 ずっと誰かのプロローグ

「―――俺たち、もう終わりにしよう。」


火蓋を切ったのは、少年の口から発せられた、一切の感情も籠っていないその言葉からだった。


爛々とした太陽。

清々しい空気と心地よい朝の日が差す、ここ【白鳥高等学校】。

周囲からは「おはよう。」なんていう生徒たちの挨拶が聞こえてくる中。


―――いや、その外側。


その場所から少し離れた校舎裏。

陽の光が遮られ、影の静寂が広がる空間。


「―――え?」


その場所で、時を止めた1つの呟きが、とある少女の口から落とされた。


「じゃ、それだけだから。」


その言葉だけを言い残し、踵を返そうとする少年の背を、少女はハッと追いかける。


「ちょ、ちょっと待ってよ!いきなりなんで!?」


少女は、理解できないといったふうに頭を振りながら少年に問い詰める。


「…………。」


振り返った少年は、まるで道端のゴミでも見るかのような目でその少女に言い放った。


「……お前、もう飽きたから。」


興味の欠片すらも感じさせないその目と言葉を吐き捨てたトーンに、少女は絶句する。


「特別可愛いわけでもねぇし、別にエッチも上手くねぇし。単純に話おもんねぇし。」


思いつく限りの要素を口に出し、少年はため息を1つ零す。


「……そういうわけだから、サイナラ。俺の知らないところで幸せにでもなってくれ。」


ヒラヒラと手を振って別れを告げる。

今度こそ、少年はこの場を後にする。


「…………。」


その場に立ち尽くす少女と、去り行く少年の間には、もうどうしようも埋められない距離だけが存在していた。










































『―――そういうわけだから、サイナラ。俺の知らないところで幸せにでもなってくれ。』


「……ハハ、アハハハハwww!なんだこれw傑作じゃねぇかwアハハハハww!!」


「…………。」


現在、時刻は12時30分。

学校では、俗に言う『お昼休憩』というやつであるが、その時間に、俺は今朝も来た校舎裏へと赴いていた。


「……あー、ダメだ。腹痛てぇww」


スマホの画面に流れる映像を鑑賞し、俺の隣でバカ笑いしているこいつは、よく連む仲間みたいなものだ。


「……てか勝手に撮んなよ。お前を愉快な気持ちにさせるために、あの女をフッたわけじゃねぇからな。」


「分かってるってwそれくらいww」


この男のスマホに流れている映像は、今朝のここでの出来事の一部始終だ。

ここで起きていたことを、物陰からずっと隠し撮っていやがった。


……趣味の悪いやつ。


胸中で舌打ちをし、俺はため息を零す。


「この動画、俺の『toktok』に投稿するかw題名は『学校一のイケメンにフラれた勘違いバカ女の末路www』とw」


「……おい、やめろって。」


「冗談だってw」と腹立つ顔をしながら、制止を呼び掛けた俺を見るそいつ。


一言二言言ってやろうと、口を開いた。


ちょうどその時だった。


「―――あんたたち、何やってんの。」


聞き馴染みのある声が、頭上から降ってきたのだ。


「あっ、おい【木野】!見ろよこれ!マジで傑作だぜ!」


頭上を見上げると、校舎2階の窓からこちらを覗く金髪の女が見える。


彼女の名前は【木野きの あゆみ】。


うちの学年では『ギャル筆頭』だとかなんとか呼ばれてたっけな。

本人はそのつもりではないらしいが、色々と『軽そう』なその見た目からか、男に誘われて「ウザイ。」と愚痴を零していたのを聞いたことがある。


そしてあいつも、俺らとよく連む仲である。


「……うっわぁ、最低。引くわー。」


「……おい、なんで俺を見て言うんだ。そもそもは勝手に盗撮してたこいつが悪だろ。」


隣の男を指差して抗議するが、彼女は先程の発言を取り替えるつもりはないらしい。

汚物を見るような視線を上から感じながら、俺は言葉を吐き出した。


「……長続きさせるつもりもない相手に、自分の好感度のために優しく別れようとする方が酷だろ。変に期待させる方が可哀想だ。」


「へぇー、お前らしくねぇ。女なんて道具としてしか見てねぇのかと思ってた。」


「……酷い言い様だな。」


横から上がった感想に乾いた笑みを漏らしながら俺は口を開く。


「……所詮、学生の頃の恋愛沙汰なんておままごとみたいなもんなんだ。失恋したって、腹いっぱい飯食って一晩寝たら忘れてるくらいのチンケなもの。」


「……そうか?」


いちいちウザイ合いの手を無視しつつ、俺は言い放つ。


「……だから、学生の恋愛なんて、好き勝手楽しんだもん勝ちなんだよ。落として、奪って、寝取って、飽きたら捨てればいい。それの繰り返しだ。」


「……か、偏ってんなぁ。」


口元を引き攣らせ、戦く素振りを見せるそいつ。


「……逆に聞きたいね。『これ』以上に女遊びを楽しむコツってのがあるならな。」


俺は最後にそう締め括り、片手に持った菓子パンをちぎった。


「……まぁ、あんたの恋愛論なんてクソほどの興味も無いから、私はもう行くわ。友達に呼ばれてるし。」


退屈そうに髪を弄っていた木野は、心底どうでもよさげに呟いた言葉を残し、その場所から姿を消す。


「……あのクソアマァ、最後までしっかり話を聞いたくせに、調子こいたこと言いやがって。」


「おい、今のお前最高にダサいぞw」


「適当にあしらわれたからってピキんなってw」というそいつの煽りを頂戴した俺は、更に苛立ちを積もらせる。


なにこれ?俺が悪いの?


内心のイライラを堪えていると、すると突然、少しだけ声のトーンを落として、隣の男は不思議そうに俺に問い掛けた。


「……にしても、意外だな。お前がフッた女、お前に相当貢いでたじゃねぇか。別にあのままにさせといてもお前に損なんてなかっただろ?」


「…………。」


その言葉に、少しだけ目を伏せる。

別に答えてやる義理はないのだが、だからといって隠すようなことでもない。


「……まぁ、な。」


「……?」


歯切れの悪くなった俺の様子に、そいつは首を傾げる。


……確かに、今までの俺ならばそうしていたかもしれない。


思ってもいない愛の言葉で絆して、搾取するだけ搾り取って、最後はボロ雑巾のように捨てるだけ。

これまでだって、ずっとそうやって生きてきた。

それが俺の当たり前だったから。


……でも。


「…………あの、あれだ。ほら。その……好きな子ができたんだ。」


言い淀みながら、吐き出した。


「…………は?」


そいつは間抜けな顔をして、時を止める。


「……女だよ。女。好きな女ができたんだよッ。」


思考停止したそいつに向けて、半ばやけくそに俺は言い放った。


恐らく、人生で初めて放った言葉だった。


「…………。」


「…………。」


長い、沈黙が続いた。

ヒュウと風の吹く音だけが、校舎裏に響いている。

隣のそいつは相も変わらず、脳内真っ白な表情を晒し続けている。


両の耳が熱を持ち、赤く染まっていく様は、俺だけが気付いていれば充分だった。


「……ま、まさか、お前の口からそんな乙女チックなセリフが飛び出てくるなんて……世の男性の十円ハゲが深刻化するぞ。」


「どういう症状だよそれ。」


動揺したように言うそいつに、俺は構わずツッコミを入れる。


「いや、だって、ガチか。お前に好きな子ってマジ?生粋のクズ男【にのまえ 紅葉くれは】に好きな子?は?なに?俺は今、伝説が生まれる瞬間にでも立ち会ってんの?」


大袈裟な身振り手振りでその驚愕を露わにするそいつに、俺は思わずため息を零した。


―――【一 紅葉】。


俺の名前だ。


『遊び人』、『クズ男』、『女の敵』、『ゴミ人間』。


不名誉なことこの上ない通り名ばかりをほしいままにしていた俺だが、もちろん本意ではない。


普通に生きて、普通に暮らして、普通に学校生活を送っていたら、いつの間にか増えていただけに過ぎない代物だ。

どうやら俺の『普通』は、周りからの理解を生まないらしい。


……ただまぁ、そんなことは正直どうでもよかった。


俺を『そう呼ぶ』人間たちは、いつだって俺よりも弱者だったから。

奪われる存在に過ぎなかったから。


―――所詮、取るに足らない遠吠えだったから。


轟々と叫ぶ負け犬どもから、俺は欲しいものだけを奪い取り、五月蝿い馬鹿どもを貪り食らう。


俺と関わる者は皆、俺のことを『変わってる』だとか『変』だとか『普通じゃない』と宣うが、俺に言わせれば、お前らの方が『普通じゃない』。


……まぁ、ここで俺の価値観をどれだけ語ったところで、誰の理解を得ることもないということは分かりきっているし、何より、俺自身が理解なんて求めていないのでこの辺にしておこう。


「……俺に気になる女ができることがそんなに悪いか?」


「いや、悪いっつうか、意外も意外というか。」


未だ、その動揺を隠しきれてないそいつは、信じられないものを見るような目で俺を見ている。


「というか、そもそも、お前が惚れるような女っていったいどんな上玉だよ。」


「…………。」


その問いかけに、俺は口を噤んだ。

ズボンのポケットから取り出した一本の煙草。

口にくわえ、手慣れた所作で火を点けて、静かに煙を息と吐き出す。


その一連の全てを、不思議そうに見ていたそいつに、やがて俺はこう答えた。

























































――――――【青名端あおなはた 玲奈れな】。


この学校に、その名前を知らない人間はきっと存在しないだろう。

容姿端麗。成績優秀。スポーツ万能のトリプルコンボ。

正義感が強く、誰にでも分け隔てなく優しい態度で接する心の持ち主。


現生徒会執行部のメンバーで、次期生徒会長候補として第一に名が上がるほど生徒や教師からの信頼も厚い。

異性も同性もそのどちらからも尊敬の眼差しを受け、誰もが崇拝する圧倒的存在。


彼女はまさに、The優等生の完璧超人といったところだ。


「…………にのまえくん。」


そんな時だった。

教室の中に並んだ座席。

腰掛けたその場所から、じっと見つめる視線の先。


……即ち、俺のすぐ真隣。


突如、鈴のような声が、鳴った。


「……私の方ばかり見ていないで、いい加減授業に集中したらどうなの?」


教室に並ぶ机と椅子の最後列。

その最も左端の窓際。

圧倒的ラノベの主人公ポジションに座る、俺の右隣から。


『彼女』が、前方の黒板から視線を外し、呆れた色のこもった目で俺を見てきた。


現在、時刻は午後の1時30分を回った頃。


麗らかな昼の日差しと、満腹になった腹が、眠りを誘う退屈な教師の声を言い訳に、襲い来る睡魔を受け入れたくなる時間帯。

あまりにも暇だったため、隣の席に座る『彼女』を、なんとなく眺めていた、そんな時だった。


「…………。」


絹のように滑らかな質感を感じさせる、鮮やかな赤の長髪。

煌めく黄金の色を持ったその目は鋭く細められ、じっとこちらを見つめている。


……なんだか少し怒っているように見える。


がしかし、あまりにも端正な顔立ちのおかげか、その怒った顔も、非常に綺麗で可愛いらしい。(本人に言うと多分もっと怒る。)


隣の席の『彼女』。

誰もが『理想』だと崇める『彼女』。


この子こそが、【青名端 玲奈】という少女であり―――


「―――ごめんごめん。君があまりにも可愛いもんだから、ついつい見惚れてしまってたんだ。」


俺の『気になっている女』である。


―――きっかけは、本当に単純なことだった。


高校二年の春。

短い春休みの余韻に浸っていた、退屈な新学期早々。

欠伸を堪えて教室へと踏み入った俺の目に、最初に映った輪郭。

意識して彼女を見たのは、その時が初めてだったと思う。


―――意志の強さを感じさせる、真っ赤な滑らかな髪。


―――黄玉の如き輝き、金色を宿した切れ長の瞳。


色の濃いその姿形。なのに、見える横顔はどこか儚げで、少しでも触れると崩れてしまいそうなほど、緻密で精巧に作られた人形のようであった。


「…………。」


『……なるほど。』とそう思った。

『学校一の美少女』その名に恥じぬほどの美貌。

生徒会執行部のメンバーであり、次期生徒会長候補筆頭の人格者。


周りがやけに持て囃すわけだ。


彼女を初めて見たその時、俺が最初に抱いた感想は『噂通りの女だな。』であったが、この『噂通り』であることがどれだけ難しいことなのか、彼女に関する噂を知っていれば知っているほど、そのことに驚かされるであろう。


少々と芽生えた、興味。

別に、何か彼女に特別な感情は抱いたわけではなかった。


ただ、『学校一の美少女』などと噂される彼女が、俺に対してどのように接するのか、それが気になっただけであった。


「―――君の髪色、とってもユニークで素敵だね。染めたの?」


『こういう女』は『可愛い』や『綺麗』だなんて言葉は、ゲシュタルト崩壊を起こすくらい周囲から言われているはずなので、あえて言い方を変える。


その方が、『私に可愛いと言ってきた男子生徒A』というレッテルを避けやすいからだ。


「…………。」


―――しかし、返ってきたのは沈黙だった。


返答に困っているわけじゃない。

文字通りの『無視』だった。

俺の声なんてまったく聞こえていないと言わんばかりの、フルシカトだった。


「え?ガチで?」と思わず口に出してしまう。


まさか初対面で、いきなり全無視決め込まれるとは思っていなかったためである。


「……あなたの噂はかねがね聞いているわ。にのまえくん、よね?」


軽く衝撃を受けていると突然、彼女の口が開いた。


「……え?ああ、そうだけど。」


反射でそう答えると、彼女はこちらを一瞥し、そして続けてこう言い放った。


「……ハッキリと言うけど、自分の欲望のために人の心を弄ぶあなたのような人が、私は大嫌いなの。軽蔑してる。」


一切の優しさも感じられない声音で、彼女は非難の声を止めない。


「あなたがいったいどんな手口で、沢山の人の心を掴んで、そして傷つけてきたのかは知らないけど……私も同じようにできるなんて思わないで。」


鋭い眼差しを向けられる。

冷たく吐き出された言葉の最後。

彼女は俺にこう言った。


「……私の心を奪えるだなんて、思わないで。」


向けられる視線に。

鋭く光る、金色の輝きを宿したその瞳に。

俺の中で、場違いな感想が芽生えた。


柄にもなく、『美しい』と―――そう思ってしまった。












































「……か、かわいい?な、なに言ってるのよ。そんな大胆なこと、よくも恥ずかしげもなく言えるわね。」


あの出会いから、約一ヵ月。

偶然、隣の席になった彼女に、俺は猛アプローチを仕掛けている。


初めの頃はフル無視で、まったく相手にもされていなかったのだが、何故だか最近は俺の言葉に反応を示してくれるようになった。


相も変わらず、その言動はツンツンとしているが、無視を決め込まれるよりは全然いい。

なんなら、ここまでアプローチを仕掛けてもまったく靡かない彼女の態度に、俺は新鮮な感覚を抱いている。


―――【青名端 玲奈】は、もしかすると他の有象無象とは違うのかもしれない。


そんな『期待』に似た何かを感じてしまう程に、俺の興味は彼女だけに注がれていた。


「……別に恥ずかしがることでもないでしょ。思ったことを率直に言っただけ。何も悪いことじゃないと思うぜ?」


「……っ、あなたはまたそうやって……。」


彼女をからかうようにして言うと、彼女は言葉を詰まらせるようにそれだけ零し、俺から顔を背けてしまった。


「ははっ、なに?可愛いって言われて照れてんの?青名端さんってほんとに可愛いね。」


「……ち、違うわよっ。勘違いしないでっ。」


食い気味に答える彼女に、俺は再三『可愛い』なんて感想を胸中に抱きながら、そっぽを向いてしまった彼女をじっと見つめた。


……笑ってくれたら、もっと可愛いんだけどね。


例えば、友人と話している時。

例えば、美味しい物を食べている時。

例えば、先生に褒められている時。


その際に、不意に見せる彼女の笑顔。


傍目から傍観しているだけで、実際にそれを向けられたことのない俺。

実のところ、俺がこんなにも彼女に入れ込んでる理由は『これ』だ。


―――あまりにも『美しかった』。


ふと、その横顔を眺めただけなのに、俺は惹かれてしまった。


―――その表情に、魅せられてしまった。


『恋焦がれる』というのは、こういうことなのだろうか。


その表情を。

その笑顔を。


―――『独り占め』したい。


そう、思ってしまった。

その『美しさ』を手に入れたい。

その笑顔を俺にだけ向けて欲しい。


俺だけに―――微笑んで欲しい。


渦巻いた感情が、俺の体を突き動かす。

どうしようもなく渇いた欲望が、『彼女』という存在を欲している。


……俺の中の欠けた『何か』が、あの子をどうしても欲している。そんな気がするんだ。


「…………。」


少し伏せていた視線をそっと持ち上げ、彼女を見る。


絶えず自分に注がれている横からの視線に、彼女はむずがゆそうな表情を見せながら、手元のペンをノートに走らせている。


……あはは、可愛い。


もう何度目かもしらない感想を心の中に呟きながら、穏やかな真昼の日差しに曝され続けた俺は、静かに、安らかに目を瞑るのであった。

































































――――――【にのまえ 紅葉くれは】。


その名前を聞いた時、「ああ、またか。」と率直にそう思った。


いつかの放課後の生徒会室。

夕焼けの茜が差し、教室をその色に染める時間帯。

偶然、生徒会の活動が休みだった日のこと。


私、こと【青名端 玲奈】はその日、生徒会室に溜まっている書類の仕分けを行うためにその場所へと向かっていた。


しかし、その道中で突然、私に声を掛けてきた『とある少女』に相談を持ちかけられ、今現在、机の上に山積みになった書類を横目に、その相談者の言葉に耳を傾けている。


相談の内容は、簡単に言うと『人間トラブル』。

もう少し詳しく言うと、色恋沙汰絡みのトラブルであった。


「……それでね、その…こ、行為中の写真とか、消してって言ったのに、全然消してくれなくて、後で消すって言うけど信じられなくて、SNSに流されるかもって考えたら怖くて、それで―――」


机一つを挟んでソファに腰掛ける私に、目の前の相談者である少女は、小さく嗚咽を漏らしながら話を続ける。


目元が赤く腫れ、鼻の先も染まって見えるのはきっと、夕日のせいではないのだろう。


私は、少女のたどたどしく吐き出される言葉を真摯に受けながら、そっと目を伏せる。


これに似た相談事を、私はこれまで何度も受けてきた。

その度に出てくる名前。


【一 紅葉】。


学校でその人を見かけたことは何度かある。


肩まで伸びてる後ろ髪。

薄紅色に毛先を染めた、黒とその色のツートンカラー。

じっと見ていると、吸い込まれてしまいそうになる、深い黒の目。

耳に開いてるリングのピアスと、左の肩から指先までを隠すように巻かれた、変な包帯。


飄々とした態度を周囲に振り撒き、のらりくらりと適当に生きているような、どこか掴み所のない人。


彼の醸し出すミステリアスな雰囲気に惹かれてか、男女問わず彼に好意を抱いている人間は少なくない。


しかし、ひとたび彼と接してしまえば、泥沼の中に引き摺り込まれるが如く、彼に侵され、不幸を生み出す。


私から見た彼の印象は、こんなところだろうか。


その人と直接関わったことは一度もないのだけれど、彼に関する数々の噂や相談事を耳にしてきたことによって、私の中には、彼という人間の人物像が勝手に出来上がってしまっていた。


―――それも、あまり好感を抱くことができない形で。


……とは言ってもね。


そう、とは言ってもだ。


どれだけ彼が悪人で、人の心を弄ぶことに悦を感じていようが、私が彼を咎めることは出来ない。


何故なら彼は、別に『悪いことは』していないからだ。

人を脅す訳でもない。イジメに加担している訳でもない。

ましてや人を、陥れようとしている訳でもない。


ただ好きに生き、己の欲望のままに日々を過ごしているだけ。


―――生きとし生ける存在が、その誰もが望むように、ただ『埋める』ために生きているだけ。


だから私は、この子にとって無力だ。


「……そう、なのね。怖かったわよね。相談してくれてありがとう。」


でも、と続けて、私は言葉を絞り出す。


「……ごめんなさい。私には、どうすることもできないの。ただあなたを慰めることしか、私にはできない。」


泣き腫らした彼女の顔を、真っ直ぐに見れない。

目の前の、『私を頼ってくれた存在』を、私は直視できない。


だって私には、この子の不安を拭い去ることができないから。


気休めや慰めをどれだけ重ねても、この子を助けることなんてできないから。

そのことを、理解しているから。


だから私は己の無力さに、唇を噛むしかない。


―――『正義』の反対が『悪』であることを、きっと誰もが望んでいる。


だってそれは、『正義』にとって都合がいいことだから。

『悪』を裁くという名目で、己の『正義』を脳死で振りかざすことができるから。

誰も、『正義』の反対が『もう一方の正義』だなんて考えたくない。


―――だから。


いっそ彼が、手に負えないほどの極悪人で、法に触れるような行いをしてくれるなら、こんな徒労感に苛まれなくて済むのだろうか。


―――彼が、どうしようもない『犯罪者』になってくれるなら、この子を救うことができるのだろうか。


そんなことを考えてしまうほどに、私は『悪』が欲しかった。

迷わず非難を飛ばせるような、明確な『悪』を欲してしまった。


「……そ、そうですよね。こちらこそごめんない。青名端さんに言ったって、困らせるようなことなのに。本当にごめんない。」


少女は私に頭を下げる。


きっと少女はこの先これからも、ずっとその不安を抱えて生きていくことになるだろう。


微かに震える少女の肩に、私は固く口を噤んだ。


















































「―――あ、おはようー、青名端さん。今日も良い天気だねぇー。」


―――あれから、半年。


二年生へと学年が進んだ春。

舞い散る薄紅の花弁に、季節の風を肌で感じる。

麗らかな日差しと、澄んだ空気。

古きとの別れ。


そして―――出会い。


高揚を隠さぬ声の湧きと、再会を喜ぶ誰かの歓笑。


―――その眺めも、一瞬にして日々の中に過ぎていった。


今日のこの頃。


「ねえねえ聞いてよ青名端さん、昨日ダチとカラオケ行ってたんだけどさ、その帰りに―――」


目の前に浮かぶ軽薄な顔。

常に微笑みを絶やさない、『彼』の姿。


「…………。」


ヒラヒラと手を振りながら廊下の中央に立つ彼を、私は素通りする。


「あ、あれ?青名端さん?どうしたの?今日は調子悪い?それとも怒なの?」


それでも鬱陶しいくらいに絡んでくるその人。

私は相手の顔を見ず、歩む足も止めずに言い放つ。


「……一くん、前にも言ったけど私はあなたのことが嫌いなの。できれば挨拶も交わしたくないくらい。」


「わーお、直球すぎる拒絶の言葉。これがツンデレですか。」


「デレてない!」


「あはは!冗談だって。そんな怒んないでよ。」


愉快そうに笑う彼に、私は深いため息を零す。


……この人と関わっていると、いつもペースを乱される。


他人ひとに対して、私が声を荒げることなんてない。

なのにどうしてか、この人だけはダメだ。


相手にしなければいい。

無視していればいい。

放っておけばいい。


無反応な私に飽きたらきっと、こんなやりとりも終わるだろう。


……なのにどうしてか、それができない。


いや、『どうしてか』なんてことはもう分かっている。

きっと無駄だからだ。


彼がこんなふうに声をかけてくるようになった初めの頃は、ただひたすらに彼の言葉を無視し続けていた。


でも彼は、それでも懲りずに私に話しかけてくる。

一ヵ月経った辺りで、私が根負けしてしまったのだ。


……いつかストレスで爆発しちゃうかも。


天を仰ぎ、私は再度ため息を零す。


「えっ!?待って!その顔めっちゃかわいい!!写真撮っていい!?」


「いいわけないでしょ!?というか付いてこないでよ!」


「えっ?でも俺たち同クラじゃん。俺もこっちだし。」


スマホのカメラを起動する彼から逃げるように、私は歩を早める。


「……ねぇ、青名端さんってやっぱり、一くんと……」


「……うん、ちょっと意外かも。」


ヒソヒソと、どこかからこちらを噂話する声。

集まる奇異の視線に、自然と私の足は早くなる。


「ちょっと、青名端さん?足早くない?カメラがブレるからもうちょいゆっくりでオナシャス。」


「知らないわよ!てか撮るな!というか付いてこないでよ!」


叫ぶ声も、どうやら彼には届いていないらしい。


「画角が……!」とかなんとか言っている彼を振りほどく勢いで、私はその場から走り出す。


「……ああっ!?青名端さん!?」


後ろから上がる彼の声。

振り返ることはなく、ただ教室に向けて私は走り続けるのであった。




























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