【26】前夜
『災禍の竜』の完全討伐に向けた準備期間は、目まぐるしく過ぎていった。
解散されていた王国騎士団竜伐隊を、国王陛下は再度召集した。
討伐に必要な装備類を整え、訓練が繰り返される。
決戦の場は王城内の地下霊廟だ。
重鎮会議では『王城で討伐戦など、あり得ない!』『結晶を運び出して、安全な場所で討伐すべきでは?』――といった意見も飛び交っていたが、最終的には地下霊廟で行うことになった。結晶にひびがあり、移動中に割れるおそれもあるからだ。
重鎮会議の場で、
「竜の頭は、最後の1つ。だから装備と準備を整えれば、問題なく討伐できるはずです。3年前に私が相討ちとなった際には、指揮系統が崩壊して前線部隊はほぼ全滅していましたが……あのときと今回では状況が違います」
竜の頭が8つそろっていた頃は、絶望的な強さだったそうだ。
頭を一つ失うごとに災禍の竜は弱体化するらしく、今回は総力を持って最後の頭を落としに掛かる。
ちなみに、竜伐隊以外の王国騎士も総動員される。直接的な戦闘は竜伐隊に委ねられるが、万が一に備えて王都中に騎士達が配備されるのだ。王都住民の緊急避難も、王国騎士が主導する。
住民の避難は、竜の生存を明かさずに決行された。
国王陛下は『瘴気の発生』という偽りの避難理由を伝えて、貴族には領地へ、市民には近隣丘陵地の仮設避難所への退避を命じたのだ。すさまじい混乱があったのは、言うに及ばない。
……ともあれ、今は決戦前夜。
明日の朝にはいよいよ災禍の竜の封印を解く。
エデンの役割は、封印結晶を解いて伐竜隊の騎士たちとともに討伐戦を行うこと。それはつまり、私自身もエデンと一緒に竜と戦うということだ。
この1か月、私は王宮内の一室を借りて生活していた。
ルシウス様と言い争いになってタウンハウスを飛び出したのが、遠い昔のような気がする。私が失踪して、リサは心配しているだろう。実家の父も、ルシウス様に責められているかもしれない。
リサや父のことを思うと胸が痛む。……けれど今は、竜討伐に集中しなければ。文字通り、国の存亡をかけた戦いなのだから。
私はベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめていた。
明日が決戦だと思うと思うと、なんだか眠れない。
実際にわたしの体を使って戦うのは私自身ではなくエデンだけれど、それでも緊張してしまう。
戦地に赴く騎士は、戦うたびにこんな感覚になるのだろうか……。ふと、エデンに呼びかけてみた。
「ねぇ。……エデン、聞こえる?」
胸に手を当て心の中に呼びかけてみたけれど、返事がなくて不安になった。最近のエデンは物思いに沈んでいるのか、呼びかけても答えてくれないことが多い。
私は寝ころんだまま目を閉じて、心の奥へと意識を向けた。もや掛かった白い世界の真ん中で、エデンは深刻そうに口をつぐんでいる。
声を掛けると、エデンはハッとした顔で振り返った。
(ヴィオラ様。……すみません、気が付きませんでした)
(……苦しいの?)
(え?)
すぐそばに近寄って、彼の顔を覗き込んだ。
(魂が灼けつく感じがするって、エデンは言っていたもの。苦しそうだわ。……私が代わってあげたい)
私がそう言うと、エデンは悲しいような嬉しいような表情で顔をくしゃっとさせた。――子供の頃もそう言う顔をしていたな、となんだか懐かしくなった。
(またヴィオラ様を心配させてしまいましたね。俺は平気です。ですが……正直を言うと恐ろしいです。我ながら、情けないと思いますが)
(情けなくなんてないわ。竜の封印を解くんだから、怖くなるのは当然だと思う)
(違いますよ)
……? 何が違うのだろう。
エデンの琥珀色の目が、切実そうに揺れていた。
(俺が怖いのは、災禍の竜ではありません。ヴィオラ様を危険な目に合わせることが、恐ろしいんです)
(私を?)
(ええ。俺はあなたの体を借りて、竜と戦います。……万が一にも、あなたに傷を負わせるようなことがあったらと思うと)
(私のことなんて、気にしなくて良いのに)
(良くありません、俺が嫌です。ヴィオラ様には傷一つ追わせたくない。危険な場所からも、汚らわしい者からも、すべて遠ざけてお守りしたいんです。……でも俺は、全然あなたを守れていません)
エデンは深く悔いるような声で続けた。
(いつでもお守りしたいのに、俺はあなたをつらい目に遭わせてばかりです。俺が3年前に竜を討ちもらさなければ、明日あなたが竜と対峙することはなかった。……俺が死んでいなければ、あなたがクラーヴァル公爵家に嫁ぐことはなかった。俺が不甲斐ないばかりに、いつもあなたが脅かされる)
(エデンは不甲斐なくないし、私は今、幸せよ)
わたしはエデンにそっと寄り添った。
エデンが、驚いたように身をこわばらせている。
こんなに近寄ったりしたら、はしたないのかもしれない……でも、どうでもいい。ここは私とエデンだけの、心の中の世界なんだから。
白くかすんだ世界の中、ふたりぼっちで寄り添い合った。
魂だけの私達は、触れ合っている感触もないし互いの体温も感じない。
それでも、なんだか温かい。
ぽつりと、聞いてみた。
(爵位を得て、私を迎えに来てくれるつもりだったの?)
(……ええ。結局は成し遂げられませんでしたが)
(うれしい)
きゅ。……っと、しがみついてみた。
(そんなふうに思ってくれていたなんて、思いも寄らなかったのよ。私は子どもの頃からずっと、エデンが一緒だと嬉しかった。……でも、言ってはいけないことだと思っていた)
身分が違う。
立場が違う。
だから私はずっと気持ちに蓋をしていた。
(私、今さら気付いたの。子供の頃が一番幸せだと思っていたけれど、今のほうがもっと幸せだって)
(幸せ……。今がですか?)
(ええ。だって、今以上に近い距離で一緒に過ごすことなんて、絶対にできないでしょう? 心の重なる距離で、誰の目も気にせずに、好きなだけあなたと居られるんだもの。……すごく安心する)
私が笑うと、エデンも切なそうに口元に笑みを溜めた。
(でもヴィオラ様はこれから、現実の世界でもっと幸せになれますよ。きっと俺は、そのために生かされたんだと思います。だから明日は、絶対に竜を倒します)
ヴィオラ様が幸せにならないと、俺は安心して天に昇れませんから――と、エデンは苦笑していた。
(さっきは気弱なことを言ってしまいましたが、この戦いには勝利しかありませんから安心してください。竜を完全に排除して、ヴィオラ様に幸せな人生を贈りします。六領同盟の魔塩事業も、まだまだこれからですからね)
エデンが私の中に居続けてくれるなら、一生幸せに生きられるに違いない。
これからもずっと一緒にいてね、絶対いなくならないで。……そう伝えたかったけれど、なぜか伝える勇気が出なかった。
(そろそろ、眠りましょうヴィオラ様。明日は決戦です)
(えぇ……おやすみなさい)
私達は身を寄せ合って、眠りについた。
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