第四章

【13】ノイリス家の今

――2か月後。


盛夏の季節も過ぎ去って、次第に残暑が落ち着いてきた9月のある日。涼やかな風を感じながら、私はクラーヴァル公爵領の領主邸の庭園にいた。ガーデンチェアに腰かけて新聞を読んでいたら、思わず笑みがこぼれてしまった。


そんな私に向けて、心の奥の世界からエデンが呼びかけてくる。


(ご機嫌ですね、ヴィオラ様)

「ええ! あなたのおかげよ。本当にありがとう、エデン」


(いえ。俺はただ知っていたことを、あなたとノイリス伯爵閣下に伝えたしただけですから。すべてはヴィオラ様の判断によるものです)


エデンと言葉を交わしていたら、ますます嬉しくなってきた。セルマ王国で最も権威ある新聞『レ・セルマ誌』の一面記事には、こんな文字が躍っている。


【災禍の竜の被害6領による『六領同盟』、魔塩の製法を発見!】

【王立魔科学研究所、『六領産魔塩』の安全性承認。市場流通へ】

【王家、『六領同盟』支援の協定書に調印】


「『六領同盟』の成立に、王家からの支援。とんとん拍子に進みすぎて、なんだか怖いくらいだわ……!」


幸せをかみしめて、私はそうつぶやいた。


六領同盟。

それは、私が考案した被災者同盟だ。災禍の竜による灼血土被害に見舞われた国内南部6領で結ぶ『相互協力協定』である。


2か月前に私は父に連絡を取り、灼血土被害にあえぐ周辺各領と協調姿勢をとるよう促した。具体的には、各領主に魔塩の製法を教える代わりに、領地間で連携して強固な警備網を作り、外部からの灼血土略奪を防ぐこと。――土そのものが高価な魔塩の材料になりうると世間に知れたら、いつ盗まれるか分からないからだ。


略奪の防止とともに、無計画な製造・流通を禁じることも重要だと思った。

だから魔塩の製法は門外不出として、違反を厳しく取り締まる。流通量も厳密に管理しあうこととした。


エデンは声を弾ませた。

(ヴィオラ様の考えはすばらしいです! 土から簡単に作れる訳ですから、製法を安易に口外したら無計画に作って売りさばく者が後を絶たなくなります。そうなれば、国内外が大混乱ですよ)


――そう。

うかつに製法を広めたら、手当たり次第に魔塩を作って大儲けしようとする者だらけになってしまう。最高級の魔塩がいきなり大量に出回ったりすれば、市場価格の大暴落や灼血土の略奪被害などは避けられない。


産業の要となる魔塩が、不用意に国外に流出するのも避けたい。他国が魔塩を狙って、このセルマ王国に侵攻してくる危険もある。


「魔塩は無限の可能性を秘めた資源よ。だからこそ、うかつに扱えばさらなる災禍の引き金にもなってしまう。だから魔塩を適正な管理下に置いて、同盟に参加する各領が協調しあって平和的な繁栄を目指す――それが六領同盟の目的なの」


六領同盟の盟主はドルフ・ノイリス伯爵――私の父だ。


発案者である私自身は、あくまで裏方。むしろ、私は表に出るべきではない。嫁いだ私はすでにノイリス家の人間ではないのだから。父は誠実さと優秀さを兼ね揃えた人だから、同盟のまとめ役として最適だ。


父の呼びかけに、灼血土被害で困窮していた周辺各領は喜んで応じたそうだ。今のところトラブルはないと父は言っていた。


「でも、まだまだ気は抜けないわ。農民たちの暮らしはこれから激変するのだから、きっと混乱も多いはずよ。食糧問題にも、迅速に手を打つ必要があるわ」


被災各領では現在、食料不足が深刻化している。

灼血土は農耕に不向きで、穀物がほとんど育たないからだ。各地の領主がよそから買い付けた食糧の配給によって、領民たちはなんとか暮らしている状況である。


これからは魔塩が莫大な収入源となるから、よそからの買い付けは容易になるだろう。しかし、六領内でも食物自給率を上げていく必要がある――もし大規模な飢饉などが起きたら、買い付け先がなくなる可能性もあるのだから。


「エデンが教えてくれた土壌改良の知識が役に立ちそうね! 灼血土に石灰を加えれば農耕が可能になるなんて……まったく予想してなかったわ」


父にも土壌改良のことは伝えてある。父は早速、一部の土地に石灰を混ぜて実証実験を始めたそうだ――今のところ、作物は順調に生育していると聞いた。


「土壌改良の実験が成功したら、『農地』と『魔塩生産用地』を区分けしていこうと思うの。定期的に区分を見直して、農地では農耕を行い、魔塩生産用地では一定量の灼血土を領主に納入してもらう。そして納入された灼血土は、領主指定の製塩所で魔塩に生成され、同盟が認可した商会を通して市場に流通させる。――今後いろいろな調整が必要になるだろうけど、方向性は悪くないと思うのよ」


(はい。それにが決定したのは心強いです!)

と、エデンは声を弾ませていた。


六領同盟を結んで周辺と連携した後、私は父に『王家に支援を求めるように』と提案した。


莫大な富を生む魔塩の管理を、辺境の弱小領主6名だけで行うのは現実的ではないからだ。だから収益の一定割合を王家に納めることを条件に、六領同盟の庇護と支援を求めるように言った。


(先日の新聞でも、王家が公共事業に着手すると発表されていましたね。南の国境沿いに長大な人工壁を作るとか――これで魔塩の不正流出を防ぎやすくなります)


「ええ。六領内の要塞建設や警備にも協力してくれるそうだから、頼もしいわ。それに、国外への魔塩の流通は王家に一任することになったし。他国との衝突を避けるためにも、王家の権威下で流通させたほうが安全だと思うの」


新聞には、昨日行われた王家-六領同盟間の協定書調印式の様子が報じられていた。国王陛下に対面する父の絵姿を誌面で見ていると、なんだか胸が熱くなってくる。


――魔塩生産による六領の復興。ひいてはセルマ王国全体の繁栄へ。

災禍の竜の被害から一転して、この国は明るい未来へ踏み出そうとしているのだ。


誌面に描かれた父の顔は、とても誇らしげだ。

数か月前のやつれた表情ではなく、希望に満ち溢れている。


「お父様、幸せそう。本当によかった……」


没落寸前だったノイリス伯爵家は、今や国内で最も注目されている貴族のひとつになった。もう誰にも『借金まみれの田舎貴族』なんて呼ばせない。


(良かったですね、ヴィオラ様。これでいつでも離婚できます)

「――え?」


いきなり言われて、びっくりしてしまった。

私の心の奥のエデンは、さらに続けた。


(今となっては、ノイリス家は魔塩産業の要ですから。もしヴィオラ様がクラーヴァル公爵との結婚を反故にしたとしても、国王がノイリス家を不当に扱うことはないでしょう。世間的な信用に多少の瑕がついたとしても、強気で出戻ればいいんです)


「……強気で出戻れる?」


確かに、エデンの言うとおりだと思った。

実家が苦しまないのなら、確かに強気で出戻れる。


「そうね。公爵家との離婚となれば社会的な醜聞スキャンダルになるから、いま離婚騒ぎを起こすのは得策ではないけれど。……でも、いざとなったらいつでも帰ってしまえるのよね」


こんな展開になるなんて、まったく予想していなかった。


エデンは私に健康をくれた。そして、被災に喘ぐノイリス家を救ってくれた。彼のおかげで、私はどんどん幸せになっていく。


「本当にありがとう、エデン」


――ずっと一緒に居てね。

――二度と私から離れないで。


心の底からそう願ったけれど、直接伝えるのは躊躇われた。だって、もしエデンに「それは無理です」と言われてしまったら……私は、きっと立ち直れない。


今は一心同体だけれど、いつかエデンが消えてしまったら……?

そう考えた瞬間に、怖くて堪らなくなった。


(どうしたんですか、ヴィオラ様?)


ふいに顔がこわばってしまった私のことを、エデンは心配してくれた。

私は「なんでもないわ」と返事をして、明るい笑顔を取り繕った。

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