洗脳系魔法少女
孵化
プロローグ
魔法少女という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。
フリフリのドレス、きらびやかなステッキ、魔法、人類に仇なす敵を屠る美少女たち。
あるいは、血生臭い都会の金属荒野に立ち竦む、哀れな生き残りの少女だろうか。
その想像は間違っていない。少なくとも、この世界においての魔法少女はそういった類のものだった。
表では煌びやかな衣装に身を包み敵を屠る美少女を演じ、裏では死と隣り合わせの中文字通り命を賭して人類のために敵と戦っている。
だが人々は、そんな魔法少女という物に関心が薄い。いや、負の関心が高いともいえるだろう。
死者数の発表があれば、ネット掲示板で魔法少女を叩くスレッドが立てられる。
例えば今しがた立てられたスレッドは『魔法少女○○、本日の戦績(死亡数)まとめ』だ。
いくら魔と戦う者だといっても、その中身はただの少女らだ。個人を名指しにした悪口の数々に自ら命を絶つ魔法少女も少なくない。
「魔法少女になんかならなければよかった」
この職業に憧れを持っていたのは、私が転生体だからだろうか。前世の娯楽知識が、魔法少女という存在を美化していたからか。
黒色の靄のかかった、立体的な影のような物を前につぶやく。
『そんなこと言ったって、なってしまったものはしょうがないじゃないですか』
「……私はしょうがないって言葉が一番嫌いなんだ」
こちらの会話を遮るように影が一層濃くなる。
それに呼応するように周囲を満たしている影質――実体化した影の周辺を満たす、霧のような薄い影——も濃くなった。
「そもそも、せっかく女の子に生まれたってのにさ」
覚えている限りの前世では、私は男として生きていた。半混濁状態のおぼろげな記憶だ。
それも、今ではもう、男としてではなく女としての方がしっくりくる。
「おしゃれを楽しむでもなく、男に色目を使って引っ掻き回すでもなく、なんでこんなことしてるのさ」
影が「がるる」とうなっているようにも聞こえなくない、微妙なラインの声を上げた。
それでも、魔法少女の上部組織が定めている最低限の規則——レベル4以上の魔物が出現した際には付近の魔法少女は直ちに全員魔物の退治に当たること――は守らなければならない。
影が痺れを切らしたようだ。狼型の影が地面を蹴り突進してくる。
獣の形を忠実に再現した影のような、触れても実体のなさそうなアイツが魔物だ。
実際はそんなことなく、触れた瞬間に生身の人間なら影に呑まれて死ぬ。その証拠に、奴の体内を割ってみれば、実際に奴に殺された何体かの死体が埋まってるはずだ。
『後半はともかく前半は、いや、そんなこと言ってる暇があったらさっさと魔物を退治してください』
「……わかってるよ。けどコレ、準備に時間がかかるんだ」
『その準備すら始めてないじゃないですか』
ハエの言葉を聞かなかったことにして、杖に魔力を込めた。瞬間、空間ごと割っているかのような激しい頭痛と眩暈に襲われる。
「準備するまでもないってことだよ」
杖から、目の前の魔物の持つものと同じ影があふれる。
腕から指先、杖へ。一連のプロセスを辿って、影が私の体にまとわりついたのを感じた。
頭痛がやみ、暗転していた視界も徐々に晴れてきている。
もうすぐ、準備が終わる。
今回もまた、問題なく進むようだった。
『ちょっと、まだですか!? もうすぐ目の前に、ちょっと――』
触れたら即死。魔法少女とて全身を武装しているわけではない。そんなことはわかってる。
私だって死ぬのは怖い。一度死んでいるからこそ、その真の怖さがわかるという物だ。
だが、そもそも私の場合、そんな危険を冒す必要はない。
何故なら。
「……うん、終わった——
私の固有魔法は、術中にある対象を、自らの意のままに操ることができるからだ。
伸ばされた右手から魔物が放つ影と同じ色の瘴気が放たれ、先程私にしていたのと同じように魔物にまとわりついていく。
寸前まで迫っていた魔物は動きを止め、影が渇いて晴れる頃には、先ほどまでの勢いを失った魔物が、ただ従順に私の前に座り込んでいた。
「戻れ、魔物」
いうと、私の眼前に跪いていた魔物がひょっと影に戻っていく。
辺りを覆っていた帳のような薄い影も徐々に晴れ、もはやここに魔物がいたなどとは到底思えないほどの、いつも通りの風景が広がっている。
「……他の魔法少女が来る前に帰ろう、レベル4の無血対処なんて列強の
それに。
「……レベル4の単独撃破なんて、バレたら都市部のレベル5らを相手させられるに決まってる」
列強。
即ち、魔法少女のトップオブトップ。魔法少女の強さの序列の上から数えた数人の総称だ。
もし彼女らに目を付けられたら、私の地方での甘い仕事は終わりを迎え、より魔物の出現頻度の高い地区へ列強と共に移ることになる。あるいは、とある列強の一人がやっている新人教育の一端を任されるとか。
後者はまだ構わないが、前者はまずい。
『もう無駄ですって。橘さんの事は彼女らも認知していて、私も度々会議に呼ばれてますから、もうじきあなた本人も招待される頃だと思いますが』
「……だとしても行くわけないだろあいつらの会議なんて。私は今日と明日を生きられればとりあえずそれでいいんだよ」
仮にも多くの魔法少女の命を奪っているレベル4の魔物を、たった一人で、一滴の血も流すことなく対処して見せたとわかれば、おそらくは一瞬で喉から手が出るほどほしい人材に昇華してしまう。
あるいは、リリスに関しては元からその認識かもしれない。少なくとも私が彼女に使った洗脳が晴れていればの話だが。
しかし、余裕に振舞っているだけで、洗脳を使う時の副作用は敵の強さに応じて種類や強さが変わる。
仮にレベル5を半年に一度の頻度で相手にさせられるとして、たった一度の洗脳が致命傷になり得ることを思えば、それらは何としてでも避けたい。
「さっさと行くぞハエ。手駒が増えたんだ、もうここに用はない」
『……死体処理の心配がないなんて、随分楽な魔法ですね』
ハエがそばで嫌味っぽく呟くのが耳に入る。
大抵の魔法少女は敵を殺したあと、その死体を処理してから日常に戻る。彼らが保有する核――ジェムと呼ばれている魔石を回収するためだ。
「もし残ったとしても手駒に共食いさせれば勝手になくなるしな」
『なら、民間人の犠牲者探しは?』
「それも必要ないだろ。アラートが出された時点で他の魔法少女が捜索に当たってる」
仮に死者がいたとしても魔物本体が見つからなければ証拠不十分として泣き寝入りするしかない。
先程のハエの説明を聞く限りは、既に私の存在は会議に出ているらしいが。
その大事な証拠とやらが私の所有物である以上証拠なんて残るわけもなく。
「とりあえず、さっさといくぞハエ。ここに残ってももうなんの収穫もない」
『めんどくさがり屋ですね。これからのご予定は?』
「ない。帰って寝るだけだ」
『なら、少し私の用事に付き合ってくださいよ』
ぱぁと顔を輝かせたように見えなくもない表情に、嫌な予感がした。
基本的に社交的である使い魔の中でもかなり社交的な部類に入るであろうこのハエの用事だから、どうせ本部に連れて行かされるか魔法少女の会合に付き合わされるかの2択だ。
「無理。魔力を溜めないと次に魔物が現れた時勝ち目無くなる」
『さっきはそもそも戦う気なかったじゃないですか。早く行きましょう、本部へ』
本部に行って何をするのか。
決まっている。列強との面会だ。
「さっきもうじき招待されるとか言ってただろ。なら今行かなくても招待された時にいけばいいじゃん」
『そう焦らずに。時期は早ければ早い程いいんです』
「それはお前だけの話だろ」
魔物の討伐数に応じて賞与を貰える魔法少女と違って、使い魔の場合は魔法少女を補佐すればするほどそれらが与えられる。
それは何も、自分が契約した魔法少女だけに限定されるものではなく、魔法少女であればだれだって補佐対象になる。
そして、その賞与こそが彼ら使い魔の生きる目的でもある。
『なんですか。たかが列強とのお話し合いに来てもらうだけですのに』
「それが面倒くさいって言ってるの」
そのための出汁にされているのが私だ。つまり、使い魔も使い魔でほとんど命がけに近いというわけだ。
「はぁ。ごめん、ほんとに無理だから。帰るね」
『あ、ちょ、そこをなんとか、リリスさんと約束──』
だが、私とて列強と面会しようものなら命がけになる。
付きまとうように私の周りを飛んでいたハエを振り払うように歩き始めた時だった。
「あれ、あなたは……?」
聞きなれない高い声が耳を刺して、直後現実に戻る。
予想していた中で、二番目に面倒くさい状況になった。
「そちらの使い魔さんは……」
さっさと逃げなければより面倒な事になる。例えばこのままあらぬ疑いをかけられて本部に連行されるとか。
魔物の討伐数による賞与なんてクソ喰らえだ。今すぐこの仕事をやめても一生暮らせるであろう金はある。
ないのは再び列強と面会してまで魔法少女を辞める決断をする勇気だ。第一あいつらと面会したとしてもこの仕事をやめさせてもらえるわけがない。
「……シェーレさん…?」
青っぽい髪色の少女が驚いたような声を上げる。
「あ、あぁえっと、わたし、」
この状況には、ハエですら言葉が出ないらしい。さっきからずっと黙ったまま羽だけをばたつかせている。
「だれ、シェーレって。それはそうと、何があったの?」
「あ、いや、レベル4のアラートがあったから駆けつけてみたんですけど、何もいないんですか…?」
鈴のような声に興奮と困惑が混じる。私が変態なら、彼女の震わせた空気ですら愛おしく感じるのだろうが、生憎今はそんな状況では無い。
「私も同じ感じだけど、最初から何もいなかったよ。誤作動じゃないかな」
ハエを表に出していたからだ。ハエがいなければ、今の私の格好的に魔法少女だと思われなかった。
「……え、でも、」
青い子が口篭る。ハエが何か言いたそうにしているが、結局何も言わなかった。
おどおどとした様子から見て、新人かなにかだろう。うまく丸めこめるだろうか。
「し、商店街の方に犠牲者がたくさんいて、」
と思ったのだが、思ったより状況は悪いようだった。
「何人くらい?」
「……30は下らないかと」
続く言葉に、意識が飛びそうになる感覚を覚えた。
「何人くらいが事後処理に向かったかとかってわかる?」
「魔法少女は4人くらいですが、本部の職員も同行しているので10は超えていると思います。あ、あと、リリスさんも一緒って聞いてます」
「リリスが?」
地方に残ってる列強だ。
新人教育や地方統括を主にしている、割と偉い魔法少女。魔法自体は強いのに、生来の怠惰が祟って掃討作戦に参加できなくなったか弱い少女。そして、私が魔法少女になってすぐに喧嘩になって、洗脳を使ったきり会ってない女の子だ。
なるべく会いたくはない。規則ではあるが、そもそも私がここにいるのはただの偶然だ。重要度は低い。断っておこう。
「……それだけ人数がいるなら、今更私たちが行っても意味ないと――」
『――なら、規則に則り調査に行きましょう!』
と思ったのだが、クソハエが余計なことを言った。
「ほんとですか……!」と顔を輝かせる青い子と、ハエのほくそ笑(んでいるように見える)顔が並んでいる。
想定していた中で、最も面倒くさい状況になってしまった。
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