第35話 求婚

「侯爵家を出るのなら、これを受け取ってもらえないか?」


「これ……あのブローチ」


「卒業前にもう一度渡すって言ったけど、

 侯爵家を出るのなら遠慮はしなくていいだろう?

 俺の妃になってくれないか?」


「え……でも」


侯爵家を出たら何の後ろ盾もない平民になってしまう。

そんな私がジョルダリ国の第二王子でもある、

ライオネル様の妃になんてなれるわけがない。


早く断らないといけないって思うのに、

ライオネル様に見つめられて言葉が出ない。


「俺はあきらめたくないって言っただろう。

 このブローチを受け取ってほしい」


「……無理よ。

 だって、平民になってしまうのよ?」


「それがなんとかなると言ったら?」


「え?」


「ジュリアが侯爵家のまま俺に嫁ぐことができるとしたら?」


そんなわけがないと思いながらも考えてしまう。

何の憂いもなく、ライオネル様の妃になれるのだとしたら。


「何の問題もないとしたら、俺のものになってもいいと思うの?」


「それは……でも、持参金もない妃なんて認められるわけがない」


嫡子になる前だって、あんなに私の存在を疎んでいたお父様が、

妃になれるだけの持参金を出してくれるわけがない。


ライオネル様の妃になりたいと思うけれど、

もう期待するのはこりごりだった。

一度でも夢見てしまって、そこからあきらめるのはつらいから。


卒業までこのまま静かにそばにいられたら、それでいい。

これ以上のことは望んじゃいけない。

黙って首を横に振ろうとしたら、慌てたように止められる。


「ジュリア。俺がなんとかする。

 だから、ジュリアの気持ちだけ教えて」


「気持ちだけって」


「俺が好き?」


「……聞かないで」


ライオネル様の手が頬にふれる。

大きな手に頬を包まれるようにされ、顔を背けられない。


手のひらにはあのブローチ。

少しずつ心が温かくなるのを感じる。

癒されて、閉じこもろうとしていた気持ちが緩んでくる。


「好きだ。ジュリア以外に誰かを好きになれるとは思えない。

 ジュリアがなんの憂いもなく嫁げるように努力するから、

 気持ちを教えてくれないか?

 ……俺のことはどう思っている?」


「ライオネル様……」


「お願いだ。俺を信じてくれ」


「…………すき」


あぁ、もう隠せない。

小さな声でかすれていたけれど、ライオネル様には聞こえたようだ。

気持ちがあふれて、もうなかったことにはできないと感じた。


恥ずかしくて顔を隠そうとしたら、その上から抱きしめられる。

あの時のようだと思ったけれど、震えていたのは私じゃなくライオネル様だった。


「やっと……抱きしめられる。

 なんどもあきらめなきゃいけないって、言い聞かせて、

 それでもあきらめたくなかったんだ。

 ジュリアを、この腕に抱きしめたくて、

 無理やりにでも連れて帰れたらいいのにって」


「ごめんなさい……」


「どうして謝るんだ?」


「こんなにめんどうな私を想ってくれて……」


「めんどうじゃないよ。

 あぁ、でも、やっとこれで俺も動ける」


「動ける?」


動くって、何をするつもりなんだろう。

聞こうとしたけれど、ライオネル様はにっこり笑ってごまかした。


「うまくいったら報告するから、待ってて。

 絶対にジュリアを妃として連れて帰るから。

 多分、ひと月かふた月で終わると思う」


「待っていればいいの?」


「うん……でも、こっちは少しくらい待たなくてもいい?」


「え?」


見上げたら、ひたいに口づけられる。


「……今、口づけた?」


「これくらいは許して。

 唇にするのは、正式に婚約するまで我慢するから」


「……うん」


今まで見たことないくらい、ライオネル様が優しい目をしているから、

思わずうなずいてしまった。


あっさり許可を出してしまったからか、

柔らかく笑ったライオネル様に頬に何度も口づけされる。

頬だけじゃなく、髪や頭にも口づけが降ってくる。

ぎゅうっと抱き寄せられて、力をぬいて胸に頬を寄せた。


あぁ、もう我慢しなくていいんだ。

ライオネル様に好きって言っても、つらくならない。

あきらめなくてもいい。これからも一緒にいたいと願ってもいいんだ。


「好き……」


「うん、俺も好き」


腕の中で聞くライオネル様の低い声が甘く聞こえて、

夢じゃないのかなって思ってしまう。




ライオネル様がお父様と話すためにオクレール侯爵家に行くと言い出したのは、

私が追い出されてからひと月半が過ぎたころだった。


行方不明になってからひと月以上も見つからないからと、

王宮に私の除籍願いが出されたらしい。

ライオネル様は提出された書類を見て、にやりと笑う。


「侯爵と話し合う時期が来たよ。

 ちょっと行ってくるね」


「本当に大丈夫?」


「大丈夫。すぐに戻ってくるから待っていて」


「……うん、わかった」


不安がないわけじゃない。

本当に私が侯爵家の身分のままライオネル様の妃になれるのか。

あのお父様が素直に持参金を出してくれるとは思えない。


だけど、ライオネル様に任せることにした。


私には嫡子を降りる理由は何一つない。

遊び歩いていたわけでも、無断で外泊しているわけでもない。


ここに来てからも毎日きちんと学園に通っていた。

王宮から人が来て無事を確認されたこともある。

だから、お父様が提出した書類は絶対に受理されない。


それを知った時、お父様がどんな顔をするのか、

ちょっとだけ見てみたいと思った。


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