第34話 届け出
朝食を食べた後、私はライオネル様と学園に向かった。
いつものように授業に出るためではない。
学園長と会う約束をライオネル様が取り付けてくれていたが、
初めて学園長室に入るため、少しだけ緊張する。
「まずは俺が説明するから、そんなに緊張しなくていいよ」
「ありがとう」
学園長室に入ると、もうすでに学園長が待っていた。
時間に遅れたわけではないが、待たせてしまったことに慌てる。
「ライオネル様、緊急の用だと聞きましたが、
何か不都合なことでもありましたか?」
「私ではなく、こちらのオクレール侯爵令嬢のほうだ。
昨夜、助けを求められて保護している」
「保護、ですか?」
高齢の学園長はライオネル様から説明を聞くと、
長いひげをさわりながら考え込んでしまった。
「……オクレール侯爵はどういうおつもりなのでしょうか」
「私には理解できないのだが、
侯爵はジュリアを嫡子として認めたくないのだろう」
「認めるも何も、長子が嫡子になる権利は国が認めたものですから。
侯爵が嫌がったとしても、変えることは無理でしょう」
「だからこそ、家からジュリアを追い出したんだろうな。
そうでもないと変更は認められないからと」
「何がそんなに……オクレール侯爵令嬢の成績は優秀なほうです。
A組の嫡子令息に比べてもそん色ないでしょう。
このまま継いでも何も問題ないと思うのですが……」
成績は令息たちも負けないようにと頑張ってきた。
このまま卒業できれば嫡子として問題ない、そう思っていたのに。
学園長に褒められても、心は動かなかった。
以前の私ならうれしくて仕方なかっただろうに。
「おそらく、それほど遠くないうちにジュリアの退学届けが出されるだろう。
それを不受理にしてほしい」
「もちろんです。こうしてオクレール侯爵令嬢の無事は確認できています。
授業態度も出席状況も問題ない学生を退学にすることはありません。
安心してください」
「ありがとうございます。お手数かけて申し訳ありません」
「あなたが悪いわけではありませんよ。
それにしても……保護されて本当に良かったです」
本当に安心したような学園長の言葉で締めくくられ、学園長室を後にする。
ライオネル様は私を屋敷まで連れて帰った後、
一人で王宮へと出かけて行った。
私を保護していると、王家に伝えてくると言って。
これは私の戸籍を守るためだそうだ。
「ただいま、ジュリア。
王家にも報告してきたから、もう大丈夫。
もし侯爵が届け出た場合には何も言わずに受け取ってもらって、
こちらに連絡が入ることになっている。受理することはない」
「お父様……本当に私を戸籍から抜こうとするかしら」
「おそらく。それが目的だろうからね。
……ねぇ、ジュリア。この機会に一度考えてみてくれないか?」
「何を?」
「本当に、ジュリアはあの侯爵家を継ぎたいの?」
「え?」
「嫡子になったから頑張ったの?
あの家を継ぎたかったから頑張ったの?」
「……」
答えられなかった。
あの家を継ぐために頑張ってきたけれど、
どうしてあんなに必死で頑張ったんだろう。
「ゆっくりでいい。
このまま卒業するまでここにいてもいいんだ。
侯爵家から離れて、それでも継ぎたいと思うかどうか、
ちゃんと考えてみてほしい」
「……わかった。考えてみるね」
考えてみるとは言ったけれど、私の中にあった責任感や、
意思のようなものは消えたように感じていた。
碌な思い出がないお兄様だけど、
亡くなった時は本当に悲しいと思った。
そして、お兄様の代わりに侯爵家を守らなくてはと思ったのも本当だ。
だけど、そのことにどれだけ意味があったんだろう。
お父様から王宮に届け出があったのは十日後だった。
娘が遊びに行ったまま戻ってこない、
前から遊びに行くと帰って来ないことも度々あったが、
こんなに戻ってこないのは初めてだと。
王宮は受理するふりをして、届け出を受け取り、
そのままライオネル様に渡してくれたそうだ。
神経質そうな手書きの文字。
お父様が書いたのだとすぐにわかる。
娘が行方不明だから騎士団で捜索してほしいと。
夜着姿で夜中に追い出された娘が十日も無事なわけがない。
騎士団で捜索して見つからなければ、死亡届を出すつもりなのだろう。
そうすれば、分家から養子をとるとでも言って、
アンディを正式に嫡子にすることができる。
「学園の方にも届け出されるだろう。
行方不明として届け出を出したあとでジュリアが帰ってきても、
侯爵家の名を汚したとでも理由をつけるつもりだろうな」
「……本当に私っていらない子だったのね。
知ってたけど。お兄様だけが必要だったんだって」
もう涙は出なかった。
愛されていないことなんて初めからわかってた。
嫡子になれば、優秀になれば、少しは見てくれるかもと思ったけど。
もう馬鹿みたい。一人で頑張って、無駄な努力をして。
見てほしい人は一度も見てくれなかった。
「もういい……私、侯爵家を出るわ」
「ジュリア、本当に?」
「だって、きっと戻ったとしてもまた追い出されると思うわ。
いいえ、今度は屋敷内で誰かに襲われるかもしれない。
……もうお父様を信じられないの」
いくら嫡子としての権利があったとしても、
私が侯爵を継げるのは何年も先になる。
その間、ずっと安全かどうかもわからない場所で生きるなんて無理。
平民になったとしても、学園を卒業さえすれば仕事は見つかるはず。
王宮で女官になるか、家庭教師の仕事を探すか。
「……侯爵家を出ても、卒業までここに置いてもらえる?
卒業さえすれば、働く場所もあると思うの」
きっとライオネル様なら見放すようなことはしない。
甘えだと思うけど、他に頼れる人もいない。
ライオネル様が立ち上がったと思ったら、私の隣へと座る。
何をするのかと思ったら、そっと私の手にふれた。
手を持ち上げられたと思ったら、手のひらに硬いものがふれる。
「え?」
「侯爵家を出るのなら、これを受け取ってもらえないか?」
「これ……あのブローチ」
「卒業前にもう一度渡すって言ったけど、
侯爵家を出るのなら遠慮はしなくていいだろう?
俺の妃になってくれないか?」
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