第四章 言葉は消えても契約は残る ④

 頼る前に拒否されて、何ともいえない気持ちになる。とはいえ、迷惑をかけたくないというトーナなりの気遣いなのは分かるから、特に言い返したりはしない。


「そうなんだよなぁ。そもそも保険の販売って資格要るからね。この世界にはそういうのないけど」

「色々と小難しそうだもんねぇ」


 知ったような調子で言いつつ、テーブルから飛びついてきたカイリを受け止め、肩に乗せる。


「ルンさんって、資格はどんなの持ってたの? FPとか?」

「FPなんてよく知ってるね」

「何か聞いたことあるから。で、持ってたの?」


 興味津々に追及してくるトーナに、ルンは得意顔で答えた。


「FPなら二級持ってるよ。あと簿記三級とビジネス実務法務検定三級、応用情報と、ベンダー資格はクラウド関係が五個。TOEICは……七〇〇点かそこらだったかな?」

「すっご! あたし英検三級しか持ってないのに!」

「トーナちゃんは高校生じゃん。FPとかは、昇格試験を受ける前に取っとかないといけないんだよ。だから俺の同期はみんな持ってる」

「へぇ~」


 感心しきったようなトーナの声に、ルンも悪い気はしない。


「何でそんなに保険に拘ったの? ルンさんくらいできる人なら、銀行とか商社にも行けたでしょ?」


 高給取りのイメージが強くて華やかな業界を挙げてみたのだろう。女子高生にしては渋いチョイスだなと、ルンは苦笑する。


「保険が一番人の役に立つんじゃないかなー、って思ったんだよ。トーナちゃん、保険会社のCMとかって見たことある?」

「何か感動的な歌流して写真映すやつとか?」

「そうそう。あと、フィギュアスケートの映像流してかっこいい曲流したり」

「あるある!」

「保険会社の企業説明会って、ああいうの流すんだよ。で、保険の役割とかを説明したりするんだけど、それ聞いて感動しちゃったんだよね。『あぁ、人の役に立ててかっこいいなぁ』って。だから、保険で誰かの役に立って、その人から『ありがとう』なんて言われてみたいなぁ、って思って、保険会社を選んだんだ」


 我ながら単純な発想に、恥ずかしさを覚えるが、トーナはそれに同意してくれた。


「良いな~。すごいかっこいいじゃん、そういうの」

「まぁ、『ありがとう』なんて一度も言われなかったけどね」


 自分で言い出したのに少し気まずく思って、笑って誤魔化した。


「営業やってたのは三年目までで、それまで自分の客で保険金の支払いは発生しなかったからね」

「あれ、そうだったんだ。何で営業止めちゃったの?」

「外された、って感じかな。客からクレーム入れられて、そこから成績ガタ落ち。支店長にも見限られて、『お前大学でITやってただろ』って、情報系の子会社に飛ばされちゃったんだよね」

「へぇ~、ルンさんがクレーム入れられるなんて、想像つかないよ」


 そう思ってくれるのはありがたいが、余計に気まずい。


「まぁとにかく、俺のサラリーマン生活はそんなにかっこよくなかった、ってことだね」


 無理に締めくくって、安酒を呷る。トーナは腕を組んで唸ってから、


「社会人って、大変なんだね」

「あ、分かってくれる?」

「うん。だってルンさん、きっとすごく我慢してたと思うし」


 トーナの穏やかな声に、ルンは呆気に取られた。


「ルンさんの営業見てたら、クレーム入れられるようなところなんかないもん。めんどくさいこと質問されても顔色一つ変えずに応対するし。それでもクレームを言ってきたんだったら、その客がおかしいか、ルンさんがおかしくなるくらい我慢してたんじゃないかな?」


 どうやって応じるべきか、ルンは悩んで言い淀み、それにトーナは続ける。


「まぁ昔のルンさんは大変だったかもしれないけどさ。でも、そういう社会人なりのしんどさ? みたいなのは、この世界にはないんじゃないかな?」


 異世界生命保険相互会社の営業マンはルンだけ。クロアから数字を出せと言われたが、高圧的な物言いをされたわけでもないし、トーナがルンのやりたいことを否定することもないだろう。

 昔の自分を抑え込んでいたものは、この世界にはない。


「帝国生命のルンさんは、色々と我慢をしてきたのかもしれないけど、だったらこの世界で好きなようにしてみたら良いんだよ。そのためにあたし達は、寿命まで生きるよう神様に言われたんだから」

「そうかな」

「あたしはそう思って毎日全力で生きてるよ!」


 トーナが全力なのに異論はない。よくもあんなに振り切った戦い方を毎日できるものだと感心するばかりだ。


「だからルンさんも、こっちでは我慢なんかしなくて良いよ。異世界生命を自分の理想通りの会社にして、理想通りの仕事をすれば良いんだよ。まぁ、社長はあたしだけどね!」


 どや顔で締めくくったトーナに、ルンは吹き出した。


「じゃ、あたしもう寝るから。明日も営業行くんでしょ? 飲み過ぎちゃダメだよ」

「了解です、社長」


 階段を昇って私室へ向かうトーナを見送ると、ルンは残った安酒をひと思いに飲み干す。酔うためだけの味の悪い酒が胃を焼くのを感じながら、ソファに横になると、トーナとのやり取りが頭の中を駆け巡り、気まずさがぶり返してきてため息を漏らす。

 理想通りの仕事、と簡単に表現できるのは、子供故の純真さからだろうか。三〇歳の大人がそんな表現をしようものなら、具体的にはどんなものかと追及されるし、その答えを今のルンは持ち合わせていない。

 そんなキラキラしたものは、とっくの昔に捨ててしまったし、新しく見つけたはずのそれすらも守れなかったのだから。


    4


 就職活動が始まった時、これといった軸などなかったし、志望業界もなかった。当時から就活の一環として取り組まれていたインターンシップに友人が参加しても、何となく忌避したし、就活に着手したのも解禁されたその日からだった。

 友人に勧められて登録した就活サイトをぼんやりと流し見していき、大手だからという理由で申し込んだ生命保険会社の企業説明会で、そんな惰性的な就活はあっさりと終わりを迎えた。

 説明会で流された、生命保険のCM。感動的で感傷的な演出の鏤められたその内容に心動かされたルンは、生命保険の担う役割について説明を受けて、この業界への就職を決意した。

 生命保険を通じて、契約者やその家族を守りたい。病気や事故から人々の未来や夢を守り、将来の不安を解決して、安心して生きていけるようにサポートしていきたい。ついさっきまで「相互会社」という形態も知らない、それどころか生命保険と損害保険の違いも理解できていなかったかもしれないのに、説明会が終わった頃にはそんな理想を抱いていた。

 そうと決まれば、後はとんとん拍子で話は進んだ。大学は都内の名門私立大学で、成績も優等生の部類。課外活動も人並みに取り組んできた。一足先に就活に勤しんでいた友人や卒業を控えた先輩を頼って、自己分析を進めていき、業界のOB・OGに片っ端から連絡を入れて業界研究と就活対策を聞いて回った。その甲斐あって面接で苦労することも特になく、早々に内定をいくつも獲得し、その中で帝国生命を選んだ。

 総合職として入社して、希望通りに営業として配属され、そこで目の当たりにした営業の現場は、理想とは少し違っていた。

 営業に求められるのは何よりも数字だ。新商品が作られればそれを売り込み、本部から強化指定された商品を積極的に提案する。成績がノルマ未達なら反省会という名目で上司に詰められ、それでも無理なら営業から外される。分かりやすい弱肉強食の世界だった。

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