第四章 言葉は消えても契約は残る ③

 申し訳なさそうに両手を前に出して、セリアルは遠慮する。いつもは宿題を終えるとすぐに寝てしまうか、風呂上がりのトーナと果物を肴に女子会トークで盛り上がるのだが、どうにも神妙な様子だ。


「何かあった?」


 悩み事でもあるのだろうか。もしや学校でいじめられているとかか。それなら大人として、毅然とした対応を取らなければなるまい。トーナに動かれる前に火消をしなければ、確実に大事になる。


「ちょっと教えてほしいことがあるんです。お時間大丈夫ですか?」

「うん、良いよ」


 どうやらいじめの類ではないらしい。一安心したルンは、向かいのソファに座るよう手で促す。

 ソファのすぐ隣で並んで寝息を立てるりゅーのすけとりゅーこに気を使ってそっと座ると、セリアルは微かに顔を赤らめながら、躊躇いがちに切り出した。


「男の人にはどんなものを贈ると喜んでもらえるのでしょうか?」

「贈り物?」

「はい……」


 セリアルは顔を赤らめて目を伏せる。気恥ずかしそうなその態度を見れば、大抵はその心中を察するものだ。


「ルンさん、お風呂空いたよ~」


 そこへ入浴を終えたトーナが戻ってきた。最近新しく買った白のネグリジェを着て、赤らんだ肌からはほんのりと湯気を立たせている。


「あれ、二人ともどうかしたの?」


 リビングで向き合うルンとセリアルを見咎めて、トーナが訊いた。ルンの隣に座るトーナに、セリアルが頬を赤くしながら応じた。


「昨日相談してた件で……」

「あ~」


 どうやらトーナが先に相談を受けていたらしい。そうなると、何とアドバイスしたのかが少し気になる。


「あたしはやっぱり、手作りのお菓子とかが良いと思うんだよね。ガレットとかで良いんじゃない?」


 この世界にもガレットが存在したことはちょっとした驚きだった。砂糖は値が張るからあまり使われないが、この東の街にも売っている店がある程度には庶民に知られたメジャーなお菓子だ。


「でも、お菓子なんて作ったことがなくて……」

「大丈夫だって。こういうのは形とか味なんかより、気持ちが大事だから!」


 トーナが得意満面に断言した。ルンもそれに異論はなく、


「女の子からもらったものは、何でも喜ぶよ。男ってそういう生き物だから」

「そ、そうなんですか?」

「うん。喜ばないとしたら、甘いものが苦手とかかな?」


 そう言って背中を押してあげたルンに、トーナが好奇心を覗かせつつ訊いた。


「ちなみにルンさんはお菓子好きな方?」

「好きだね」

「へぇ~。だってさ、セリアル!」


 トーナが満面の笑みを向けると、セリアルの顔が一気に紅潮した。


「え? どうかした?」

「な、何でもないです! 何でも!」

「セリアルね、ルンさんに何かプレゼントしたいんだって」

「わ~! い、言わないでくださいよトーナさん!」


 悲鳴のような声を上げるセリアル。足下で寝息を立てていたりゅーのすけとりゅーこも目を覚まして、何事かと目をぱちくりさせている。


「俺の誕生日、まだ先だけど?」


 そういえば、死んだ時点と今とでは季節が違い過ぎる。次の誕生日で何歳になるのだろうか、などと考えていると、セリアルが釈明のようなことを言い出した。


「お、お礼をしたいと思いまして……」

「お礼?」

「魔術学院に戻れたのはルンさんのおかげですし、今はトーナさん達とも暮らせて寂しくなくなりましたから」


 魔導士としての将来を閉ざされて、一人で暮らしていたのも、もう昔のこと。今はこの家でルンやトーナと三人で暮らしているし、何より魔導士の道がまた開かれたことが、セリアルにとっては幸せなことで、そのことに恩を感じているようだ。


「じゃあ、ガレット楽しみにしてるよ」


 赤らめた顔を上げたセリアルに、ルンはそう言って笑みを見せた。


「は、はい。頑張りますっ!」


 嬉しそうに笑顔を弾ませるセリアル。そのそばで、トーナが腕を組んでうんうんと頷いている。良い感じに背中を押してあげたとでも自画自賛しているのだろう。


「トーナちゃんも男子にお菓子作ってあげたことがあるの?」


 セリアルの代わりに仕返しをしてやろうと、そんなことを訊いてみると、トーナはあっさりと首を横に振った。


「ないない。どっちかというともらってた方だし」


 あげたこともないのに何を根拠にお菓子が良いなんて言っていたのやら。勢い任せで適当な社長に、ルンは半ば呆れつつ、トーナの自慢話につき合う。


「バレンタインデーとか、運動部にも負けなかったからね。手紙もらったこともあるし」

「何か分かるよ。スクールカーストトップの雰囲気あるし」

「そうかなぁ?」


 半信半疑な言葉とは裏腹に、トーナは自信満々。だがあれだけ華麗な立ち回りができる整った顔立ちの女子となれば、男女問わず人気なのは不思議なことでもない。


「トーナさんは、好きな人とかいらっしゃったんですか?」


 興味津々な様子でセリアルが訊いた。


「ジェイソン・ステイサム」


 真剣な顔で即答したトーナ。名前で答えても分からないだろうに。


「ど、どなたですか……?」

「ハリウッドスターだよ。超男前でかっこいいの! ね、ルンさん?」

「うん、あれはかっこいい」


 首肯しつつ、この子嗜好が年増なんだよな、とルンは内心思った。


「でもジェイソン・ステイサムよりシュワちゃんの映画ばっか引用するじゃん」

「シュワちゃんだってかっこいいよ! それに、あたしにとってシュワちゃんは乳母みたいなもんなの。分かる?」

「まぁそうだろうとは思うけどさ……」

「あの、さっきから一体何の話を……?」

「シュワちゃんはかっこいいって話だよ!」


 いや、そうじゃない。ルンが軌道修正を試みる。


「同級生に気になる子はいなかったの?」

「同級生はいなかったなぁ。ていうか、男子から告られたことすらないよ?」

「へぇ……」


 意外とばかり、セリアルが驚く。


「何か女子の先輩にモテてた」


 セリアルは新しい世界を垣間見たかのように、トーナに目が釘づけになっていた。


「まぁとにかく、楽しみにしてるから」


 話題もひと段落着いた頃合いだ。ルンがそう言ってセリアルを激励すると、


「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい!」


 頬を赤らめたままぺこりと一礼し、パタパタと二階に駆け上がっていった。りゅーのすけとりゅーこもリビングが落ち着きを取り戻すと、静かに横になった。


「いやぁ、若いって良いなぁ」


 トーナがそんなことを言って、ため息を吐く。自分だってセリアルと同年代のくせに、とは言わないことにした。


「あ、ルンさんお風呂」


 思い出したようにトーナが促した。入浴の順番は基本的にセリアル、トーナ、ルンの順番だ。最初はトーナが一番風呂だったのだが、四五度のお湯に頑固親父のように拘るトーナと、熱湯が苦手なセリアルとの兼ね合いで、やむなくセリアルが先に入り、その後魔法で湯を温め直してからトーナが入るという、めんどくさいルールが出来上がってしまったのだった。


「俺はもうちょっとしてから入ろうかな。まだ熱そうだし」


 ルンも四五度のお湯に浸れるほどの耐性はないので、もう少し時間を置いてから向かうことにすると、横からトーナが資料を覗き込んだ。


「それ何?」

「今日クロアさんに渡した資料の原本」


 端的に答えて、ルンは書類をテーブルに置く。


「営業職員を増やしてもっと売り込め、だってさ」

「保険の営業ってそんな簡単にできなくない? あたし無理だよ?」

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