第三章 鳩には救いを与え、カラスはしばき倒す ①

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 ヴィンジア市の南を流れるサングイス川は、三〇〇メートルの川幅と四〇メートルの水深を誇る大河で、ヴィンジアの水道と食料事情を賄う重要河川だ。

 このサングイス川で獲れるアオメと呼ばれる大魚は、ヴィンジアの庶民階級の間ではポピュラーな食用魚で、ルンとトーナもよく食べる定番メニューだった。焼けば脂の乗った白身が香ばしく、煮ればホロホロと崩れる魚肉の旨味がスープにアクセントを生む。魚食に馴染んだ日本人の味方だ。

 そんな恵の大河に竜が棲みついたことが発覚したのは、ほんの数日前のこと。明け方アオメを釣りに訪れた近隣の村人を、食い殺してしまったのだという。

 ヴィンジアに魚を卸す村人達が川に近づけなくなった結果、アオメを始めとする川魚の供給が滞り、価格の高騰を引き起こしている。近隣の村々の安全と生活のため、この竜を討伐してほしいというのが、商人ギルドからの依頼だった。


「あいつは、ロストリアって種だ。前脚が長いだろ。あれで魚を獲ったり、敵をぶっ飛ばすんだ」


 畔で川を見下ろす灰色の竜は、大きくて長い前脚を腕のように振り上げ、水面を殴る。水を巻き込んだ一撃で、腹の膨らんだ魚を三匹、砂利の上に降らせた。


「恐竜みたいだな……」


 狩りの様子を岩陰から見届けたルンは、ロストリアの威容に息を呑んでそう呟いた。前脚と頭部には青い羽毛が生えていて、嘴のついた口からは規則的に並んだ牙が顔を覗かせている。


「報酬は二〇〇〇万バルク。これを俺達とトーナちゃんで山分けする。お前らは四〇〇万手に入って、セリアルちゃんの学費を肩代わりできるってわけだ」

「名案だな。しっかり頼んだぞ、みんな」


 ルンは腰に提げたロングソードを一瞥してから、クラウ達にそう言った。出発前にクラウからもらったお下がりだ。

 剣技を教わるようになって一ヶ月。対人戦やドワーフのような小型の相手ならまだしも、あんな化け物を相手に大立ち回りを演じられるほどの技量はまだ備わっていない。だから今回は、物陰から見学させてもらうことにして、当然分け前も辞退している。


「任せてよ、ルンさん」


 トーナは得意顔で親指を立てると、


「じゃ、一発で仕留めちゃうからね~」


 四次元ポケット式巾着から、ロケットランチャーを取り出す。映画やニュースでよく見る、弾頭が先頭についているロシア製だ。肩に担いでロストリアの腹に照準を合わせると、


「お前を抹殺する!」


 いつもの調子で引き金を引くと、先端の弾頭が発射された。

 発射音に気づいたロストリアが振り返る。推進する弾頭。ロストリアは巨躯を器用に捻り、その頭上を弾頭が通り過ぎる。青空へ向かってまっすぐに進んでいくと、それからまもなくけたたましい爆発音とともに炸裂した。


「うわ、避けたよあいつ!」


 虚空に弾けた黒煙に、トーナが悔しそうに呻く。と、そこへロストリアが応戦する。


「何か仕掛けてくるぞ!」


 牙を並べた嘴を大きく開けて、咆哮と同時に赤い光線を放つ。


「カイリ!」


 トーナの声に応えて、スカートポケットからカイリが飛び出す。肩まで駆け登ったカイリは、青色に染まった額の石を輝かせた。

 目の前まで迫った光線が、透明の壁に衝突し、四散する。地面を抉り、木々を焼き払い、川の水を跳ね上げた光線は、方々で炸裂音を響かせ、ルン達の足下を揺らした。


「とんでもない化け物だな……」


 予想だにしない破壊力を目の当たりにし、息を呑むルン。堅牢な防御壁を展開したカイリは、今の一度で魔力を使い切ったのか、額の石の色が白に戻っていた。


「ごめん、弾準備するから時間稼いで!」


 光線が不発に終わり、今度は威圧的な咆哮を上げて、迫ってくる。


「しゃあない、行くぞ!」


 クラウが声を張り、ハンナとクロード、ラズボアとともに飛び出した。


「トーナちゃん、早く早く!」

「分かってるって!」


 弾頭をロケットランチャーに差し込むトーナ。ルンは急かしつつ、クラウ達の方へ目をやる。

 現れたクラウ達に吼えるロストリア。クラウが跳躍し、ロングソードを振るう。

 横薙ぎの一太刀。鋭い一閃。それを前脚の羽毛が受け流す。手応えを得られないまま、クラウは体勢を崩し、そこへロストリアがもう片方の前脚を振り下ろす。


「風の精霊、水の御子、星の守り人。厚く軽やかなその手で、かの暴虐を退けたまえ!」


 淀みのない詠唱。迷いのない魔法展開。クラウを狙った前脚の一撃は、青白い閃光を放つ魔法陣の壁に弾き返され、ロストリアが仰け反る。


「すまん、助かった!」

「どういたしまして」


 後方に跳ねて間合いを取ったクラウが、並び立ったハンナとやり取りを交わす。


「ラズボア、頼んだ!」


 続いてクロードが弓を引く。指名を受けたラズボアが、戦鎚を手に走り出すと、矢を放った。

 風のような弓矢が、ロストリアに向かっていく。肉眼で捉えることのできない速さ。体勢を立て直せていないロストリアは、右の前脚を薙いで、弓矢を弾いた。


「器用過ぎんだろこの野郎!」


 クロードの放った矢は不発に終わるが、ラズボアは構わず戦鎚を振るった。強烈な殴打を胴体に受けても、ロストリアは怯みもせず、前脚を振るう。


「ラズボア!」


 かぎ爪の一撃に吹き飛ばされたラズボアに、クラウが駆け寄る。鋼鉄のプレートを深々と切り裂いたロストリアの一撃。幸い腹を抉られることはなかったが、その衝撃を内臓で受け止めたラズボアは、苦悶に顔を歪めている。


「さっきの光線といい、こいつただのロストリアじゃねぇな」


 スキンヘッドに冷や汗を滲ませるラズボアに、クラウが相槌を打つ。


「西の国から逃げてきたんだろうな。ここまで戦い慣れてるなんて、野生じゃありえない」

「どうするよ? そんなもん二〇〇〇万じゃ割に合わねぇぞ」

「そうも言ってられないだろ。背中見せたら終わりだ。もうじき光線も撃てるようになるだろうしな」


 今さら退く余裕を与えてくれる相手ではない。そんなことをすれば追撃され、殺される。

 絶対的な強者。歯を剥いて見せるその獰猛な顔には、何か余裕のようなものすら認められた。


「トーナちゃん、準備できた?」


 ハンナが投げかけると、ロケットランチャーを手に歩いてきたトーナがそれに応じる。


「できた!」

「よし。じゃあ、どうしようかな」


 二発目は外したくない。あの威力なら一撃で倒せることは、クラウ達も分かっている。


「魔法の壁であいつを閉じ込めたりってできる?」


 トーナが訊いた。


「できるけど、閉じ込めたらそれ撃てなくない?」

「上から撃てば良いんだよ」


 得意顔で空を指差すと、続いてラズボアに、


「ラズボアさん、ちょっと踏み台になってくれないかな? あいつより高く跳びたいんだけど」

「そりゃあ、構わんが……トーナちゃん、派手なこと考えたなぁ」


 意図を汲み取ったラズボアは、半ば呆れたように言った。

 そんな彼らの謀を悟ったのか、ロストリアは咆哮とともに走り出した。


「やってみるしかねぇか。ハンナ!」

「了解!」


 迫り来る巨竜に、両手をかざし、


「風の精霊、水の御子、星の守り人。厚く軽やかなその手で、かの暴虐を退けたまえ!」


 力強い詠唱。ロストリアが振り上げた前脚のかぎ爪を、防御壁が弾き、同時に四方から取り囲み、押さえつける。


「今だよ、トーナちゃん!」


 防御壁に囲まれて吼えるロストリア。トーナは助走をつけてラズボアに向かって跳び、分厚い両手に右足を着地させる。その瞬間、ラズボアは力強い雄叫びとともに、トーナを真上に押し上げた。

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