第16話 先輩の教え
午前中のシフトの私と伊藤部長が、引き継ぎを済ませて帰ろうしていたその時、通用口の扉が開いた。
「すみませーん。」
事務所に入ってきたのは、新宿に100人は居そうな若い女だった。
本当にたまに現れる『人材派遣センター』の看板で勘違いしたカタギの人間かもしれない、でもそれにしてはメイクと服が整っている、などと考えつつ、ひとまず冷静に応対する。
「こんにちは。今日はどのようなご用件でしょうか。」
「人員削減の依頼なんですけど。」
「わかりました。奥の部屋にどうぞ。」
合言葉を聞いたので私は彼女を通したが、この女がなぜ合言葉を知っているのか、少し疑問に思った。
「この業界で大事なのは猜疑心だよ」
私にそう教えてくれたのは、玲奈先輩だった。
だから、その女の待つ相談室に入って行った玲奈先輩の、どこか強引に担当になろうとしている空気感に少しだけ違和感を覚えた。
私、高橋まなみは玲奈先輩の直属の部下にあたる。
大学を出て、新卒で入ったブラック企業を内部告発してクビになり、殺し屋業界に足を踏み入れて数ヶ月が経つ。
今は見習いとして、事務や受付業務を主にしているが、いずれは玲奈先輩のような敏腕の殺し屋になることが期待されているらしい。
玲奈先輩に武器や体の使い方などの指導を受け、たまに現場についていくこともあるが、仕事らしい仕事はまだしていない。
たくさん吸収してもっと役に立たなきゃ、と思うのだが、玲奈先輩には「真面目すぎるのも良くないよ。焦らずやろうよ、才能はあるから。」と言われた。
厳しい家庭で育ち、ブラック企業に買い叩かれた私は、そんな言葉をもらえたのはここが初めてで、とても嬉しかったのを覚えている。
そんなことを思い出しているうちに、伊藤部長は先に帰ってしまい、私は帰るタイミングを逃していた。
しばらくして、依頼主を置いて相談室から出てきた玲奈先輩は、来客との仕事を取り付けたようだった。
「ターゲットは一人で、報酬も払えそうなので受けるでいいと思う。」
「了解。その辺の判断は任せるわ。俺も行く感じかな?」
佐藤先輩はいつも通り、デスクチェアをクルクル回しながら、心ここに在らずの生返事をする。
「いや、みなみちゃんにバディを頼みたいんだ。成長の機会だと思ってやってみない?そんなに難しい仕事じゃないから。」
思いもよらない言葉に、喜びと驚きを覚えた一方で、その言葉の中に、都合のいい嘘が含まれてるように聞こえた。こういう時、やけに察しのいい自分が嫌になる。
「わかりました。よろしくお願いします。」
気づけば、会社員時代のような返事をしていた。
玲奈さんの口ぶりが、私を丸め込もうとした前の会社の上司に重なって見えたから。
何かが起きている。そんな小さな違和感は、気のせいだろうか。
この嫌な胸騒ぎの訳は、玲奈先輩は教えてくれない気がした。
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