第6話 遥か彼方の2月17日

 「どうやって帰ろう」


 ホームのベンチに腰を掛けて考える。横に置いたリュックに目をやる。あの後、中を確認してもウサぴょんはいなかった。


 「どこに行っちゃったんだよ...帰れないよ」


 俯く視線を上げると目の前には線路。もう線路に沿って歩いて帰るしかない。枕木を踏んで一歩ずつ家に近づく。電車で大体一時間くらいの距離だ。電車に乗っている時間自体は四十分くらい。歩きでもすぐに着きそうだ。


 「全然遠いじゃん」


 途中の駅の待合室にあるベンチで横になる。おっさんを殴った手が痛む。心も少し痛い。正当な暴力を振るっただけでこの有様。改めて自分の心の弱さと小ささを実感する。疲れた瞼を閉じる。


 体に衝撃が加わり目を覚ます。


 「痛っ」


 ベンチから落ちたようだ。辺りはすっかり明るくなっていた。硬いベンチで眠ったせいか背中が痛い。


 「歩くか」


 いつもならすぐに見えなくなる景色が一向に変わらない。それでも歩き続けるしかない。でも何のために?その考えが出た瞬間に足が止まる。家に帰ったところでウサぴょんが居るわけじゃない。


 「ふかふかの、自分の部屋のベッドで眠る。それを目標にして頑張るんだ」


 自らを鼓舞して持ち堪える。それから何時間も止まらずに歩き続けた。足が痛くなって靴を脱いで、靴下を脱いで裸足で歩いた。自分の足音しか聞こえない。風が吹く度に、自分は世界でひとりぼっちじゃないと言い聞かせる。


 「...やっと着いた」


 最寄駅に到着した。日は暮れて空はもうすぐ夜にバトンタッチされるところだ。背負ったリュックから自転車の鍵を取り出す。風を切る自転車の偉大さを見せつけられる。力のない手でハンドルを握り、ガタガタの膝でペダルを漕ぐ。


 川が見えてくる。水鳥はいない。ウサぴょんと出会った道路で止まる。自転車から降りて道路を見つめる。


 「居るわけないか。ウサぴょん。お前も消えちゃったの?」


 落胆と疲れを含んだ溜息を吐く。とりあえず今は家に帰って風呂に入って、ふかふかな柔さかいベッドで眠りたい。自転車に乗って走り出そうとすると、バランスを崩して川に落ちる。一緒に落ちた自転車が派手な水飛沫をあげる。


 「...冷たっ」


 川底に尻を着いた僕の腰くらいの水位の川。水は冷たく体が冷える。


 「はぁ。ウサぴょんと会って二日しか経ってないのに。紗奈ごめん。お前の誕生日まで全然耐えられなかったよ」


 少し先に大きな光があるのに目の前は真っ暗なまま。


 「紗奈...君が優しいねって言ってくれたから目指したんだよ。でも無理だった。僕は弱いだけで、NOと言えないだけ。救いの手を差し伸べる人じゃなくて、差し出された救いを求める手を、拒む事が出来ない弱い人間なだけだった」


 川を流れる水は止まらない。後ろに着いた手に力を入れて立ち上がる。濡れた体に風が冷たく突き刺さる。


 「ウサぴょん!どこかに居る!?僕を見てる!?声は聞こえる!?聞こえてるなら僕の願いを叶えて欲しい!」


 目も耳もウサぴょんを感じることは出来ない。吹く風と流れる水は止まらない。


 「僕とウサぴょんが出会う前に!全部戻してくれないかな!?心も意識も感情も!!最後のお願い!!」


 精一杯放った声は人生で一番耳に負担を与えた。

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