我慢強さと心の弱さ
ちゃもちょあちゃ
第1話 一日一善
五限の講義が終わる。周りの学生が次々にカードリーダーに学生証を通して教室から出て行く。僕は席を立たずに座っていた。教室から人が減ると立ち上がる。手に持つ四枚の学生証。友達でもない人間の学生証が三枚。
二年生になってからこの三人に利用されている。僕は頼まれたら断れない性格。一度受け入れてからずっとこれだ。
外はもう真っ暗だ。季節は冬。11月の夜は寒い。ただ、それは歩いていればの話だ。僕は駅まで走る。1本でも早い電車に乗るためだ。
ホームは呑気に歩いていた学生たちで溢れている。それを掻き分けて、いつも乗っている乗車口まで急ぐ。動き出す列に続いて乗車する。僕が最後の一人だった。車内は人でぎゅうぎゅう詰め。ドアが閉まるのを待っていると、杖をついた老人が歩いてくる。どうやら他の乗車口も満員のようだ。
「おばあちゃん。どうぞ」
電車から降りて老人に声を掛ける。
「ありがとうございます」
掠れた声で礼を言われる。老人は僕に軽く頭を下げてから電車に乗り込む。電車の扉が閉まり、ホームドアが閉まる。走り出した電車の風が髪を揺らす。
「はー、何やってんだろ。僕は」
誰もいなくなったホームでボソリと呟く。
電車は人で溢れている。外の景色に目をやる。この暗さだとろくに外の景色を見ることが出来ない。窓は鏡になって景色よりも色濃く自分を映し出す。少し前までは毎日死にたいと思っていた。でも今は思わない。全部どうでも良いと思うようになった。それでも生きる理由のない人生は苦しい。くだらない思考に蓋をするように目を閉じる。
乗り換えを繰り返して最寄駅に到着する。リュックから、手袋と糸のほつれたマフラーを取り出して自転車で帰る。
自転車が風を切る。川沿いは水の流れる音のせいか一段と寒く感じる。この時間帯に川沿いを通ると、寛いでいた水鳥たちが僕に驚いて川から飛び立って行く。毎回驚く鳥に申し訳なさと、寒さを感じながらも自転車を走らせる。
いつか道路に端に大きめの鳥が立っていたのは驚いた。暗くて近づくまで分からなかったからだ。それを思い出して、正面の景色に意識を集中させた時だった。狭い道路の真ん中に何が落ちていた。
「うわっ!」
咄嗟にブレーキをかけて止まる。自転車から降りてスタンドを立てる。スマホのライトで照らすとウサギのぬいぐるみが落ちていた。
「何だ。ぬいぐるみか。びっくりしたー。狸とか猫かと思ったな」
ピンク色のウサギのぬいぐるみは地面に突っ伏している。スマホをポケットに入れて自転車に乗ろうとした時だった。
「...助けて。寒い」
声が聞こえた。救いを求める言葉にしては、やけに落ち着いた声だった。声の主はすぐに分かった。ぬいぐるみだ。確かにぬいぐるみから声がした。しかし、ぬいぐるみが喋るはずない。それでも確認せずにはいられない。恐る恐る近づいて、しゃがみ込む。
「助けて。そこの立ち止まってくれた人。私が見えているの?見えているなら助けて。私は地面しか見えてないけど」
明らかにぬいぐるみが喋っている。僕を認識して、僕に向けて言葉を放っている。そして、思っているよりもペラペラと饒舌に話す。
「喋ってるのは君?ウサギのぬいぐるみ...の」
ぬいぐるみに言葉を向けると返事が返ってくる。
「そう!デカい耳が二つの!ピンクのが私!」
「助けるってどうすればいいの?」
「...ここは寒いから暖かい場所に行きたい」
ぬいぐるみの声には抑揚もなく、声色も全く変わらない。それなのに何処か寂しさを感じた。
「オッケー!分かった!じゃあ持ち上げるよ?」
「ありがとう!」
ぬいぐるみを持ち上げて自転車のカゴに入れる。
「リュックに入れるけどいい?」
カゴのぬいぐるみから返事が返ってくる。
「嫌!暗くて狭いところは嫌い!」
「えー、でも拾ったぬいぐるみを持って家に入ったら親に何か言われちゃうよ」
「大丈夫!君以外の人間には私の姿は見えないから!」
そんな訳あるかと思ったが、人の言葉を話すぬいぐるみが言うんだ。信じるしかない。
「ひー!風が冷たい!」
カゴのぬいぐるみが声を上げる。
「もう少しスピード落としてー!寒いよー!」
「あと二分くらいの辛抱だから我慢して」
「歩いてよー!冷たい!」
クレームの多いぬいぐるみだ。言葉を話さなかったら川に投げ捨ててる。いや、話すからクレームが入るのか。
「寒い外に長い間いるよりは一瞬だけ寒い方がマシでしょ?」
「確かに!」
納得したのか、ぬいぐるみは急に静かになる。
家に到着して、自転車を定位置に止める。ぬいぐるみを持ち上げて再度尋ねる。
「本当に僕以外には見えないんだよね?」
「うん!そうだよ!」
まん丸な黒い瞳のぬいぐるみは答える。
「ただいま」
玄関のドアを開ける。リビングに入ると父と母がテレビを見ていた。二人は僕に視線を向ける。
「お帰り〜、ご飯あっちに置いてあるから」
そう言うと、母はすぐに視線をテレビに戻す。父も異変には気付いてないようだ。両手に抱えたぬいぐるみには一切触れなかった。階段を上り自分の部屋に入る。
「ねっ!見えてなかったでしょ?」
ベッドの上に置いたぬいぐるみが声を出す。
「何も言われなかったから、本当に見えてなかったっぽいな。君は何?何でぬいぐるみが喋るの?」
一番最初に浮かんだ疑問をぶつける。
「ん〜私はね。君らが言うところの宇宙人だよ!人かどうかは怪しいとこあるけどねー。あと!ぬいぐるみではないよ。これは気に入ったから、この姿になってるだけ」
「...宇宙人?宇宙から来たってこと?地球じゃない別の星から?」
「そうそう!飲み込み早いね!」
「...何しに来たの?」
「君にお礼をしに来たんだよ!」
「お礼?」
「そう!たった今助けてくれたでしょ?そのお礼だよ!」
ぬいぐるみの発言に違和感を覚える。
「何言ってんだよ?僕がお前を助けたのは、お前が地球に来た後の話だろ?おかしくないか?言ってること」
「んー?あれ?本当だ!まあいいや!助けられたのは本当だし!君の名前は?」
先程までと違い、抑揚もあって声色もコロコロ変わる。カモを前にした詐欺師のようなテンションを前に躊躇いが生じる。
「...横山奏多」
「奏多君だね!私の事は、まあ適当に呼んでよ!あっ、でもぬいぐるみはダメだよ!」
「ああ、じゃあウサぴょんで」
「ウサぴょん?それが私の名前?」
「別に名前って訳じゃないけど。僕がそう呼ぶだけ。名前無いの?」
「...うん。忘れちゃった。全部」
ウサぴょんは表情も体も動かさない。それなのに随分と落ち込んでいるように見えた。
「じゃあ決定ね!名前はウサぴょん!」
「うん!可愛い名前をありがとう!」
「可愛いとか分かるんだね。じゃあご飯食べて風呂入ってくるね。布団かける?」
「お願い!暖かいのが欲しい!」
「よいしょっと」
枕に頭を乗せて顔だけが出るように布団を被せる。顔を出したのは、さっき暗いのが嫌だと叫んでいたからだ。
「これでいい?」
「完璧!ありがとう!」
電気を付けっぱなしにして部屋を出る。ぬいぐるみに声を掛けるなんて何年振りだろうか。
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