黒い与党
長谷川 優
第1話 日本支社の環境
48歳の佐藤健一は、窓際のデスクに座り、古びた事務所の中を見渡していた。彼の目に映るのは、昭和の残り香が色濃く漂う日本支社の光景だった。ここは外資系の一ブランドの日本支社だが、その文化はアメリカ本社とは程遠く、むしろ日本の古き良き(時には悪しき)昭和時代のままだった。
佐藤はアメリカでの17年の生活を振り返った。留学で始まったその生活は、現地での仕事と、そして離婚という苦い経験をも含んでいた。アメリカで過ごした年月は彼の人生観を大きく変え、日本へ戻ることへの期待と不安を抱かせていた。帰国後、彼はこの日本支社でビジネスユニットの長として雇われた。しかし、現実は理想とはかけ離れていた。
「佐藤さん、おはようございます。」
部下の田中が笑顔で挨拶してきた。彼とは良好な関係を築いており、佐藤の数少ない心の支えだった。
「おはよう、田中君。今日はどうだい?」
佐藤は微笑み返しながら、仕事の準備を始めた。
その日、佐藤はある重要なメールを受け取った。送り主はイギリスにいるアジア欧州アフリカ統括部長のジョン・スミスだった。彼とは以前から連絡を取り合っており、ジョンは佐藤のことを深く信頼していた。
「佐藤さん、日本支社の状況について話したいことがあります。急いで対処しなければならない問題があるので、できるだけ早く会議を設定しましょう。」
メールの内容は緊急を要するものだった。
佐藤は深く息をつき、画面を見つめた。この時点で、彼は日本支社の深刻な問題に直面することを予感していた。
佐藤が直面している日本支社の環境は、昭和の悪い文化が色濃く残る場所だった。部下いじめが横行し、主要人物をCCに入れたメールで一人の部下を叱責し、メール上でつるし上げることが常態化していた。会議やオフィスのフロアでは、人前で大声で叱責される光景が日常的に見られた。
従業員意識調査の結果はグローバル最低のスコアを記録し、社員たちの士気は地に落ちていた。多くの社員が上司からのハラスメントに耐えきれず、心身ともに疲弊していた。企業としての体制も崩壊寸前であり、経営陣はその深刻さに気づかないふりを続けていた。
佐藤はこの状況を目の当たりにしながらも、ジョンの助けを借りて、この腐敗した組織を立て直すための第一歩を踏み出す決意を固めた。
ジョン・スミスは、日本支社がビジネスユニットを立ち上げる時から、何かがおかしいと感じていた。UK本部はビジネスユニットの長を日本のカントリーマネージャーという高い役職として雇用したかった。しかし、日本支社の当時の社長は予算の問題を理由に反対し、結局佐藤は課長代理として雇用されることになった。
UK本部の社長、アレックス・グリーンウッドはこの決定に激怒し、クレームを提出したが、日本支社が予算を握っていることと、もう一つの大きな問題が立ちはだかっていた。日本支社の制御権を握っているAPAC地域の外国人社長、マーク・ジョンソンが、暴走した管理体制を敷いていたのだ。その結果、日本支社のみならずアジア太平洋地区全体の売上が右肩下がりになり、既に5年が経過していた。
さらに、日本支社長の田辺正志は陰でUKブランド「レガシア」を縮小し、終売に追い込もうと画策していた。これはUK本部の戦略に大きく反するものであり、ジョンはこの動きを阻止しようと必死だった。田辺はUKからの稟議を意図的にブロックし、日本支社の独自の方針を押し通していた。
佐藤はこの中で不当な人事を受け、チームが解体される恐れもあった。彼がリーダーシップを発揮するためには、チームの結束が不可欠だったが、田辺とマークはこれを崩そうとあらゆる手を使ってきた。最悪のシナリオでは、日本からの撤退も現実味を帯びてきた。
ジョンは、田辺とマークが協力してUKブランドを潰そうとしていることに薄々気が付き始めた。もし、この二人の画策が成功すれば、ジョンの日本救出作戦は頓挫し、UK本部の戦略が崩壊してしまう。ジョンは一刻も早く行動を起こさなければならないと感じていた。
日本には一人だけ佐藤に味方してくれる営業統括本部長、村田直樹がいた。村田は次期社長候補として雇われたが、すでに日本支社の闇に気が付いており、社内改革を強く望んでいた。現社長である田辺正志は、この闇を作り上げた黒幕であったが、自分の手を汚さずに悪行を重ねてきた。田辺の引退まであと2年だが、村田は2年を待たずして組織改革を行わなければ、支社は解体の危機に瀕すると考えていた。
このタイミングで、アメリカのグループCEOであるデイビッド・ハリスが日本で経営会議を行うことを企画した。これにより、APAC地区の副社長ジェームズ・ウォーカーも来日する予定となった。村田はこの機会を利用して、佐藤にAPAC社長と日本支社長の暴走を副社長に提言する手伝いをして欲しいと相談しに来た。
田辺社長は、要職にある人々の陰口を周囲の要職に伝え回り、最終的に一人が集中して攻撃を受けるような流れを作り、自主退職させるというやり方を常習的に行っていた。この結果、辞めない要職がそのDNAを受け継ぎ、支社内に蔓延してしまったのだった。佐藤は村田の提案を受け入れ、社長の暴走を組織の問題として副社長に提言することを約束した。
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