第8話:安寧の日々

 鴉に勝手口と小窓のガラスを割られて3カ月が過ぎた。

 家の前に鴉が現れる事がなくなり、家の前の道を人が歩くようになった。

 回覧板にカラス注意と書かれなくなり、近所の人が戻ってきた。


 ただ、東隣の山田さん一家は戻って来なかった。

 元々婿養子に入ると聞いてはいたが、山中が不便だから下に家を買ったはずだ。

 俺がリョクリュウを助けた事で、山田さん一家の人生設計が狂ってしまった。


 申し訳なくて胸が痛むが、悪夢は見なかった。

 家の外、道を歩く人の噂話を総合すると、傷跡の残るケガはなかった。

 お爺さんがケガした事で、同居する踏ん切りがついたそうだ。


 近所の建具屋さんに頼んで、鴉に壊された勝手口と小窓を修理した。

 元通りにしたのではなく、以前よりも丈夫な防災安全合わせ複層ガラスにした。

 更に全ての小窓勝手口に、金属シャッターをつけるか面格子をつけた。


 そこそこお金が必要だったが、収入が増えたのでどうにかなった。

 テレビ局や動物愛護団体の件で応援してくれる人ができて、インセンティブがもらえる小説を読んでくれるようになった。


 今までは3万円しか稼げない月が多かったが、今では常に30万円前後読んでもらえるようになっていた。

 

 買ってくれとは言い難いが、アクセスしてページをめくってくれというだけなら、罪悪感無しに御願いできた。


 ページをめくってくれる人も、小説の内容が好きだとか面白いからではなく、支援のためにめくってくれているだけだ。


 正直に毎月幾らインセンティブをもらえたのか報告している。

 毎日のPV数も分かる範囲で全部報告している。

 動画投稿の再生回数も正確に報告している。


 修理の終った勝手口と小窓の映像も投稿した。

 ただ、鍵のシリアルナンバーは映らないように気を付けた。

 悪い人間に知られてしまったら、簡単に合いカギを作られてしまう。


 鴉に関しては、まだ警戒している。

 1羽でも残っていて、恨み続けている可能性がある。

 油断して、頭に穴を開けられて死ぬのは嫌だ。


 だから、今も必要な物は全てネットスーパーとECサイトで買っている。

 業務用の格安スーパーよりはずっと高いが、買い物に行かない分小説が書ける。

 小説が書ければ、支援してくれる人たちがページをめくってくれる。


 最近では、ページをめくる支援者だけでなく、内容を読んでくれる人も増えた。

 初動が安定して、必ずランキングに入るようになった。

 商業書籍化は無理だが、自分で設立した出版社で電子書籍にはできる。


 電子書籍だけでなく、PODでよければ、金銭的負担なく出版できる。

 完全な注文出版だから、データを登録するだけで良い。

 出版者登録して図書コードも買っているから、国立国会図書館に納本も可能だ。


 電子書籍だと納本の対価をもらえないが、PODなら、15部売れたら納入出版物代償金として定価の5割と送料がもらえる。


 個人的には納入出版物代償金など不要だ。

 自分が書いた小説を、国立国会図書館に保管して頂けるだけで幸福だ。


 欲を言えば、1冊も売れないよりは、15冊売れて納本対象になりたい。

 お金の問題ではなく、自尊心の問題で納本対象になりたい。


 色々あったが、嫌な事も申し訳ない事も色々あったが、状況は良くなっている。

 リョクリュウを助けた頃は、長生きしたら金銭的に詰むと思っていた。

 貯金とインセンティブだけでは、70歳までに金がなくなる状態だった。


 最悪の場合は、自宅を担保に公的融資を受ける気だった。

 金銭的に追い込まれて自宅を売る事になったら買い叩かれる。

 そもそも直ぐに売れるとは限らない。


 だが、生活福祉資金貸付制度の中には、不動産担保型生活資金というモノがある。

 高齢者世帯が自宅を担保にお金を借りられる制度だ。

 自宅に住みながら融資を受けられるが、少し厳しい審査基準がある。

 

 マンションは対象外で、担保となる不動産に5年以上居住している事。

 評価額が1000万円くらいある事。

 将来に渡ってその不動産に住む気がある事。

 不動産に賃借権や抵当権が設定されていない事。

 配偶者と親以外に同居人がいない事。

 世帯の構成員が原則65歳以上である事。

 世帯が市町村民税非課税か均等割課税の低所所得世帯である事。


 貸付限度額は、不動産土地評価額の70%まで。

 貸付額は1カ月当たり30万円以内。

 貸付期間は、貸付限度額に達するまでか、借り受け人の死亡まで。

 貸付け契約の終了後、3カ月の据え置き期間後に一括償還する事。

 貸付利息は年3%か銀行長期最優遇貸付金利のどちらか安い方。

 推定相続人の中から連帯保証人を1人選任して、居住する不動産に根抵当権を設定する事。

 

 手続きに必要な費用、不動産の評価をしてもらう費用、債権を保全するための各種手続き費用は必要だが、1人自宅で死んでいく身には丁度いい制度だった。

 審査期間が長くなるかもしれないので、余裕をもって申し込む予定だった。


 だが、支援してくれる人、応援してくれる人が現れたので、不要になった。

 金銭的な心配が全く無くなり、心がとても軽くなった。

 ただ、心配事が何も無くなった訳ではない。


 鴉の件も完全に安心できたわけではない、リョクリュウが夜の散歩を止めない。

 外を出歩く人がいなくなったのを見計らって、玄関を開けろという。

 朝も新聞配達の合間を縫って戻って来る。


「なあ、いいかげん散歩を止めないか?

 ネットには最大で180cmくらいと書いてあったのに、もう3メートルはある。

 誰かに見つかったら大騒動になるぞ」


 出歩かないようにお願いしたが、無視された。

 まだ鴉の生き残りがいて、戦ってくれているのなら、邪魔できない。

 内心では散歩したいだけなのではないかと思っているが、強く言えない。


 不安は口にしていたが、内心ではそれほど心配していなかった。

 リョクリュウなら人間に見つかるような、へまはしないと思っていた。

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