第7話 秘密兵器


 千葉 真凛は大阪で生まれた。父親は野球賭博の胴元だった。そこでは、孤児を集めて野球少女の英才教育を行っていた。そこで育った生徒は、強豪校に出荷された。オッズの操作のためである。メディアでは報道されることはない。裏のシステムである。


 真凛も野球の英才教育を受けていた。


 おそらく、環境は誰よりも整っていた。


 そして、才能もあった。


 しかし、身長が低かった。中学校三年生の時点で、身長は149センチ。周りの子と比較しても、その小ささが目立つ。野球塾で将来性を含めて最も評価されている野球少女の身長が、172センチだ。


 バレーボールやバスケットボールでも通用する女子のフィジカルエリートが、野球でも活躍する。低身長の選手には何かしら工夫が必要だった。しかし、真凛にはその必要がない。


 パワーも、ミート力も、世代でトップの実力があった。


 トップクラスではない。


 トップだ。


 塾の数値でも、それは証明されている。


 しかし、真凛の評価は低かった。将来性が無いと、判断されるのだ。完成されすぎていて、伸びしろがない。甲子園を目指す高校三年間のなかで、フィジカルに優れた選手が逆転するだろう。というのが、多くの強豪校の判断だった。


 有栖の判断は違った。



「野球がかわいいという意見に賛同できますか?」


「はい?」


「とある少女によると、野球というのは最高にかわいいらしいです。なぜかわいいのか尋ねてみると、野球の営みの果てに残るのが、かわいいだからだそうです。野球の果てとは、どこでしょうか。甲子園でしょうか。しかし、少女は違うと言います。今から、それを証明すると、新潟から、甲子園まで、自転車で向かっているそうです」


「よく分からないけど、野球を極めた女の子はかわいいってことじゃない?」


「ちょっと違う気がします。野球選手がかわいいのではなく、野球がかわいいのですから。まあ、意味が分からないのは、仕方がありません。わたしは唯一無二を求めています。野球がかわいいという意見は、唯一無二です」



 大阪から、新潟まで、高級車に乗って移動していた。


 車窓からは、日本海の景色が見える。


 実松女学園野球部の2つある推薦枠のうち1つは素直のもので、もう1つは真凛のものだった。


 真凛は、有栖からしてみれば唯一無二の野球少女だった。



「野球がかわいいというのは、よく分からないな。野球の練習は苦しい。みんな死ぬ気で、取り組んでいた。わたし以外、塾に通う子はみんな親がいない。野球に囚われて生きている。恐ろしいと思うことはあるけど、かわいいとは思わない」


「野球は恐ろしい?」


「いや。野球を取り巻く人間の狂気が恐ろしい。甲子園を見ていて、思うのは、ここに出場している選手のなかで、野球が好きな選手は何人残っているのだろうということ。好きとか、楽しいとかではなく、執念で野球を続けている。その執念がお金を生む。お金は執念を支える。そうして、執念から、わたしたちのような野球少女が生まれる」


「真凛さんは野球が好きですか?」


「……どうだろう。執念がないのに、わたしは野球を続けるわけだからな。あんなどうしようもない環境で生まれておいて、わたしは野球が好きなのかもしれない。好きというのも違うか。わたしは野球に愛着がある」


「愛着は執念ではないですか?」


「やめてくれよ小説家。わたしは純粋な野球少女だ。文学少女ではない」


「ごめんなさい」



 運転手は二人の会話の内容がまるで理解できなかった。女の子の多感な会話に、おじさんがついていけるはずもない。二人の話から意識を逸らし、運転に集中する。運転手は視野が広い。


 道の端っこに、倒れている自転車と、少女を見つけた。


 運転手は慌てて車を端に寄せて停めた。



「どうされました?」


「人が倒れています。確認してまいります」


「お気をつけて」



 運転手は車から降りて、少女の意識を確認する。少なくとも死んではないようだ。自転車のタイヤがパンクしているのが見える。パンクが原因で、走行中にバランスを崩し落車したのだろう。


 少女は呻き声を上げていた。



「大丈夫か」


「もう無理です。限界です。というか、出発してから30分くらいのところで、変に冷静になっちゃて。何やっているんだろうってなっていたけど、でも、もう引き返せないところまで来ちゃって、この有様なんです。ああ、土だけは持って帰らないと。千夏にバカにされる」


「それだけ喋れたら大丈夫だな」



 有栖が降車して、少女の顔を確認する。車の窓から覗いてみたら、どこかで見たことのあるシルエットだったのだ。案の定、ボロボロにはなっているが、知り合いだった。



「夜空さん、ギブアップですか?」


「……はい」


「では、彼女の乗せて帰りましょう」



 夜空は車の中でおんおん泣いていた。


 有栖はそれを慰めていた。

 

 新潟に到着したあたりから、夜空は元気を取り戻し、甲子園の土の代わりに、日本海の砂を袋に入れて持ち帰った。余裕が生まれて、ようやく真凛の存在に気づいた夜空は「かわいい!」と叫ぶ。



「野球に似てるね」



 褒めているのか、馬鹿にしているのか、どっちだろうか。



「そもそも、野球はどれくらいかわいいんだ?」



 真凛の疑問はもっともだ。かわいいにも大小様々である。そして、女子の言うかわいいというのは、夜空の最初の敵、小鳥のピヨピヨと同じように、鳴き声としての属性も持っている。


 果たして、野球というのは、どれほどかわいいのか。


 夜空が気づいたかわいいは、野球の真理や本質であり、絶対的な『かわいい』であり、相対的な『かわいさ』ではないのだ。だから、大小で比べるようなものではないし、40Eとか、80Aとか、ゲームのようなステータスで、伝わるようなものでもない。


 しかし、夜空は分かりやすい表現を探していた。


 文学少女ではないけれど、夜空は、一つの言葉に辿り着く。



「野球はね、『100%かわいい』よ」

 

 

 




 

 


 

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100%かわいい フリオ @swtkwtg

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