経験値稼ぎが終わって
イクスは天を仰ぐ。
澄み切った青空に、微かに漂う黒い煙。
小鳥の囀りも少しの時間が経てば聞こえてくるようになり、どこか香ばしい焦げた匂いを運んだ風が肌を撫でる。
そんな中で、イクスは―――
(い゛だァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!?)
泣きそうになっていた。
それはもう、気持ち的には大声自慢の大会を開いて一等賞を狙いたいぐらいには叫び出したかった。
(痛い痛い痛いッ! やっぱり痛い! 慣れたつもりだけどやっぱり慣れない超痛いこの前まで平和な世界で生きてたボーイには辛いよこれ!?)
しかし、イクスは唇を噛み締めてグッと涙を堪える。
ここで悲鳴を上げてしまえば、弱音を吐いたのも同義。
この世界で誰よりも強くなると決めた男は、腕どころか
(だ、大丈夫……あそこで逃げるよりかはマシ。思っていた以上に強かったとしても、立ち向かわず経験値が取れなかった方が後悔してたッ!)
実際問題、あの魔物は並みの騎士が大隊を組んで討伐するほどの強さ。
騎士一人が倒すような魔物しか現れない場所で「予想外の強さ」を目の当たりにしてしまうのは仕方がないこと。
いくら「新しい魔物を倒したい」と思っていても、本来であれば一人で立ち向かうことすらおかしい相手なのだ。
それを満身創痍で済んで討伐できた……充分に凄いことである。
(フフフ……これで俺は間違いなく強くなった。この経験こそが俺の血肉となるッッッ!!!)
そして、こんな怪我でも笑っていられるイクスは本当に凄いと思う。
(ただ、もう魔力がすっからかん……今鬼ごっこが始まったらすぐに両手を上げて降参よ。最後のやつは燃費が悪い魔法だし、これからのことを考えたら改良か魔力の底上げが必須項目だなぁ)
自分の課題を改めて認識したイクス。
帰ったら特訓しよ、なんてことを怪我をしているにもかかわらず思っている少し頭のネジが飛んだ少年は、ようやくチラリと横を向いた。
(っていうか、マジで驚いた……まさか学園が始まる前にヒロイン二人に会うなんて)
侯爵家令嬢———アリス・カーマイン。
世界最大宗教、教会が誇る聖女———エミリア・ガーレット。
どちらも学園で出会うゲームのヒロインで、それぞれがイクスを制裁するキャラクターである。
アリスは学園でイクスに惚れられ、執拗な嫌がらせを受け、最後には我が物にしようと誘拐されるところを主人公に救われる。その後、諦め切れなかったイクスは闇ギルドにもう一度攫うように依頼。最後は企みが露見し、成長したアリスに殺される。
エミリアは学園で過ごし、自分よりも人気なことをイクスに目をつけられ、虐めを受ける。
しかし、エミリアは嫌がらせに屈することはなく、最終的に主人公にも嫉妬して闇堕ちしたイクスを聖女として主人公と一緒に討伐した。
現時点では、話によると転生前のイクスは聖女であるエミリアとだけ関わっている。
もちろん、社交界のパーティーなどでアリスとは顔合わせはしているのだろうが―――
(学園に入る前に会ってしまった……これも、俺がどのキャラクターのシナリオでもしないようなことをしていたからか?)
イクスが実践経験を積むために森にやって来なければ、そもそも出会うことはなかっただろう。
これに関して言えば、間違いなく変わってしまった展開。
しかし、開き直った
(シナリオなんてどうでもいい! どうせ、そもそも好感度最悪なんだし!)
イクスはもう一度二人を見る。
そして、すぐさま背中を向けて堪え切れなかった笑みを浮かべた。
(ヒロイン達がいたことには驚いたが、好都合だった! 何せ、実力を見せつけられたからな!)
二人が逃げ出すような強い魔物を倒した。
それはつまり、二人よりも強いことを意味しており、こうして目の前で倒し、しっかりと見せつけたことによって力量の差を分からせることができたはずだ。
(その証拠に、お嬢さん方も俺の姿を見て固まっておるわい……!)
きっと、自分達が嫌っていた男が自分達よりも強くて驚いているのだろう。
本来のイクスは、怠けてばかりで「強者」とは縁遠い場所にいた人間。
認識の齟齬に驚愕して放心してしまうのも無理はない。ただ、どこか熱っぽい瞳を浮かべているのが気になるが―――
(まぁ、でも……)
助けられてよかったな、なんて。
少しだけ、今している行為とは矛盾した感情を抱いてしまった。
(……ハッ! いや、いやいやいやいやいやいやっ! なんだこの
助けるためじゃない、見せつけるためなのだ。
確かに、火も剣も通らない相手だと分かった時点で逃げたかった。
あんな燃費の悪い魔法を使いたくはなかった。
魔力がなくなれば、死一択。それであれば、生き残るために逃げ出すべき。
しかし、自分が立ち向かったのはあくまで経験値と、ヒロイン達に自分の実力を見せつけるため。
このような甘い考えでは、この先生き残ることなんてできない───
(お、落ち着け……そうだ、これはあくまで自分のため。決して他人のためじゃない!)
イクスは内心で胸を張る。
(文字通り怪我の功名だった、うん! とりあえず、このヒロイン二人の破滅フラグは大丈夫だろう!)
流石に刃向かってはこないはず。
そう思い、イクスは二人に背中を向けて足を進め始める。
(多分、我に帰ったら相当悔しそうな顔をするんだろうなぁ……本当は見てみたいけど、ヤバい流石に早く治療したい普通に痛いッ!)
涙が浮かび始めた、これはマズい。
イクスは進めた足を速めて、早々にセレシアに治療してもらおうと心に決めたのであった。
♦♦♦
立ち去ってしまった。
何を求めるわけでもなく、何も言うこともなく、ただただ助けただけ。
己が満身創痍になっているにもかかわらず、弱音すら見せないまま。
本当はお礼を言いたかった。
だが、何故かその背中を見ていると口が開かず……どうしても魅入ってしまう。
(なんだよ、もう……何も言わずに立ち去るなんて───)
そんなの、本当に御伽噺に出てくる
「あの方は、イクス様……ですよね?」
横にいるエミリアが、自分と同じ眼差しを浮かべながらそんなことを口にする。
確か「神はいない」と言われ、イクスに水をかけられたという話を聞いた。
そんな少女が今、乙女のような顔をしている。
アリスはようやく我に返り、少しばかり驚いてしまう。
しかし、どうしてかエミリアの気持ちが分かってしまうため、聞き返すことができなかった。
「
ボソッと、アリスが答える間もなくエミリアが溢す。
アリスもまた、激しく高鳴っている胸を抑えて同じく言葉を溢してしまった。
「かっこ、よかった」
その言葉は、姿が見えなくなってしまったイクスに届くことはなく。
ただただ、静寂が広がった森の中へ消えていったのであった。
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