第4話 友達
家庭教師フリタルトの授業を聞くなかで、この世界について分かったことがいくつもある。この世界は平らであることが判明していた。剣と魔法とドラゴンのファンタジーな世界であるというのは分かっていたけど、まさかこの世界が平らだと、しかも、それが証明されているというのはビックリだ。
四〇〇年くらい前に、口だけ賢者ローレライという人物がいて、彼が、偉人なのか大罪人なのかは人によって解釈が分かれることだろうけど、この世界の理を説いて回っていたらしい。
世界は丸いとか、重力がうんぬんとか、世界は回っているとか。
口だけ賢者ローレライの発言は、彼の弟子によって一冊の本にまとめられた。
その本はルーラと呼ばれ、三〇〇年前までは、この世界の『聖書』のような存在だった。
口だけ賢者ローレライが死んだあとも、彼の弟子たちがルーラを布教し、この世界の理を説いて回った。やがて、ローレライの言葉が世界の常識になった頃、ルーラに書かれていることを証明しようとする人々が現れた。
弟子たちにとっては残念なことだが、ルーラを証明しようとこの世界について実験を繰り返せば、繰り返すほどに、ルーラに書かれていることを否定するような結果になった。弟子たちは実験の結果を秘匿しようとしたが、都合の悪い結果になろうとも実験を続ける人がいた。
その最たる人物がトッテンハイムである。彼は哲学者であり、科学者でもあった。そして、ルーラを証明しようとする多くの人物がローレライの信者であるなかで、トッテンハイムだけは、ローレライなど興味はなく、純粋に世界の理を究明したいという欲求だけを持っていた。
そして、トッテンハイムはこの世界が多少のデコボコさえあれど、およそ平らであると証明したのだ。その功績が、国王である当時のキング・トロイテンに認められ、トッテンハイムは報酬として豊かで広大な土地を得た。その土地こそ、ノースアロライナである。
つまり、これはノースアロライナの歴史の話だ。
トッテンハイムは、初代ドラゴ・ノースアロライナであり、ウラフリータのご先祖様でもある。初代ドラゴ・ノースアロライナの誕生は三〇〇年ほど前であり、そして効力を失ったルーラに替わるように登場したのが、龍王書記である。
龍王書記の普及と、ルーラの没落が同じ時期なのは、きな臭さを感じるね。
ちなみに、10日間寝込んでいたわたしを診察してくれたアルナシームさんは、トッテンハイムの生まれ変わりと称されるほど優秀らしい。ことあるごとに、フリタルトが褒めていた。
さらにいえば、アルナシームさんはわたしの叔母でもある。つまりはわたしのお父さんの妹で、てことはドラゴ・ノースアロライナの妹ってことだ。
「どうして、お父様は領主になれたんでしょうか。トッテンハイム様の生まれ変わりと称されるほど優秀なら、アルナシーム様が領主になられるのが普通なのではないでしょうか?」
「アルナシーム様は性格に難ありと聞いています。領主には向かなかったのでは?」
わたしとアリスローゼは授業を振り返りながら、カルタで遊んでいた。
遊ぶと言っても、カルタの内容は龍王書記に基づいている。龍王書記を覚えることにもつながるし、遊んでいるだけで自然と文字を覚えることができる。遊びのつもりでやっているから息抜きにはなるけど、これも勉強の一つである。フリタルトの授業計画はとても効率が良い。
この世界の教育が、根性論じゃなくてよかった。
効率的な教育のノウハウがきちんと存在している。
広い客間の空いているスペースに、スベスベの絨毯を敷いて、わたし、テスタート、モルシーナ、アリスローゼの四人でカルタを囲む。フリタルトだけ仲間外れになってしまっているが、彼は今、ドラゴにわたしの教育の報告をするお仕事中だ。
そういえば、文字をある程度覚えたことで、お父様からのお手紙の内容も把握することができた。内容は最愛の娘に送るラブラブ文章だったので、ウラフリータの記憶に内容が残っていなかったのも納得だし、特筆するべきことはなかったのだけど、わたしはウラフリータが海に溺れて死んでしまっているのを知っているので、お父様のことを思うとちょっと悲しくなった。
わたしを海に落とした犯人はすでに判明しているらしい。
今は証拠を集めている段階で、しかるべきときに処刑されるとモルシーナから報告があった。
犯人は政変で敗れた残党だという。
「疲れたら、眠りましょう。寝たら、元気になります。安らぎの竜トルコタルータ」
「はい!」
カルタの読み手は、モルシーナだ。
ペシンとカードを叩く。
カードには、アルファベットのAみたいな文字と、眠っている竜のイラストが描かかれていた。ルールも、見た目もカルタである。
考案したのは口だけ賢者ローレライらしい。
世界の理については嘘っぱちだったわけだけど、優れた発明品をたくさん世に出している。
ローレライはわたしと同じような転生者だと思う。
自信満々に世界が丸いなんて言っちゃうのも、地球が丸いというのを知っているからだと思えば納得だ。
しかも、カルタを作るってことは日本人ではないだろうか。
「ドラゴ・ノースアロライナが政変で勝たれたのは、アルナシーム様が味方になったことが大きいでしょうね。アルナシーム様にはキング・トロイテンの後ろ盾もある。我々のようなノースアロライナにおける同世代の人間からしたら、英雄ですよ」
「そんなに優秀なのですか?」
テスタートは黒髪のイケメンだし、強い騎士なのだが、ちょっとバカだ。わたしとアリスローゼが、授業の振り返りをしているのにも関わらずに、話に入ってくるくらいには考え無しである。
彼の話をそのまま信じていいのか分からずに、モルシーナに聞く。
「アルナシーム様の逸話は、中央学園の貴族院時代のものが多いですね。首席であるのはもちろんのこと、平民にも親しく接し、人望がありました。とくに、赤竜と契約し、ラー・オーリアの候補でもあられるエクラール王子とのシンジュでは、ああ、いまでも覚えております、にらみ合いの末、両者ともに一度も剣を振るうことなく、エクラール王子が負けを認めることで決着したのです」
貴族は十歳になると竜と契約する。なかでも、最強の赤竜と契約できた貴族はその地位に関わらず、ラー・オーリアの候補になる。武力によって治安を統べる役職なのだが、時代によってはいないときもある。赤竜との契約はそれほど難しいと授業で習った。
多くの貴族は人間に友好的な青竜と契約する。
思えば、窓の外を跳んでいたドラゴンも青色だった気がする。
「シンジュとはなんでしょうか?」
知らない単語は質問する。
こうして雑談のなかにもモルシーナはわざと知らない単語を混ぜる。
これも教育の一環だと思う。
英才教育と聞いて想像していたのは、鞭でパシンだけど、実際の英才教育はすごく理知的なものだった。
「中央学園で行われる決闘です。身体を魔力でぐるりと囲み、その魔力を削り合いながら戦います。相手の魔力を先に削った方が勝ちになります」
「あの、わたくし魔力を漏らしたときはとても恥ずかしかったのですが、身体を魔力でぐるりと囲むというのは、かなり破廉恥ではないのでしょうか?」
「……言われてみればそうですね。テスタートは、シンジュをたくさん経験していますよね? どうなんですか?」
「シンジュは中央学園では伝統ですから、恥ずかしいなんて思ったことありません」
じゃあ、お漏らしもノーカンでいいのだろうか。
けっこう気にしているんだけど。
「シンジュを中央学園の伝統と言いましたが、身体を魔力でぐるりと囲わないといけないのなら、平民はどうやってシンジュを行うのですか?」
「シンジュは竜の下で行われます。魔力を持たず、竜と契約ができない平民には、シンジュを行う資格はありません」
中央学園には平民も多く通っているのだから、貴族しかできないシンジュを中央学園の伝統と呼ぶのは違和感がある。
もしかして、平民に対しての差別意識みたいなものが貴族のなかにはあるのだろうか。
そういえば、モルシーナは「アルナシーム様が平民とも親しく」うんぬんみたいなことを言っていた。
そこにも突っ込んでほしいのだろう。
「貴族と平民はあまり親しくしないのですか?」
「貴族には魔力と竜という特権がありますから。平民を下に見る傾向はかなり強いです。中央学園でも、平民は肩身の狭い思いをしていたと思います。そんななかでアルナシーム様は平民と積極的に関わり、親交を深めていました。こうして卒業したあとも、中央学園でアルナシーム様と親しくしていた平民が、家族を連れてノースアロライナに移住したという話も聞きます」
「それはすごい。優秀な平民の引き抜きに成功したのですね」
「はい。アルナシーム様は現在、ノースアロライナ史上最大の公共事業に従事しておられます。その公共事業においても、平民が大活躍しているようです」
アルナシーム様は、すごい人だ。
そして公共事業で忙しいなかで、わたしの診察をしてくれたようだ。
今度あったら、感謝を伝えよう。
「試験の夕食には、アルナシーム様は出席されるのですかね。わたくし、どうしても感謝を伝えたくて」
「夕食に参加なされるのは、ドラゴ・ノースアロライナ、ウラフリータ様に加え、第一夫人のヨーナリーゼ様、それからウラフリータ様のお母上であられる第二夫人のフランマーズ様、それからご長男のディオランテ様の五名ですから、アルナシーム様はご出席なされないですね」
「それは残念です」
歴史に名を残すアルナシーム様の偉業の数々は、ぜひともわたしの手で本にしたい。
アルナシーム様に会う機会があったら、執筆の許可を貰うのだ。
キング・トロイテンにも認められ、平民からの信頼も厚いアルナシーム様が主人公の小説ならば、人気になること間違いなし。この世界で小説家になるために、わたしはヨモギについての小説を処女作にしたあとは、アルナシーム様の小説だ。
異世界に転生したとしても、わたしが目指すのは小説家だ。
そんな話を、生前、お兄ちゃんにしていた気がする。
◇◇◇
お屋敷の裏には小さな森があって、そこを抜けると背丈の低い草の生えた丘があった。暇なときはここに来るようにしている。フリタルトのカリキュラムには体育が含まれていなかったので、自分で考えて運動をすることにした。六歳なら散歩がちょうどいいだろう。
「いつもここに来ているのですか?」
今日はアリスローゼもついて来ていた。
わたしよりも体力があるみたいで、足元が安定しない森を歩いても、疲れた様子を見せない。さすがは騎士を目指しているだけのことはある。自分でしっかり考えて、体力づくりをしているのだろう。
「城下町が一望できますね。あちらに見えるのはサクラス川でしょうか。ローマ海洋に繋がっているように見えます」
「ノースアロライナは土地が低いからね。この丘よりも高い場所は、サコスローラ山脈周辺にしかないの」
アリスローゼに対しては、敬語を使わないように心がけている。
どうやらわたしの公用語は目下の人物に対するには、丁寧すぎていたようだ。日本語ほどハッキリと敬語のニュアンスが分かれるわけではないので難しい。
アリスローゼの言うとおり、丘からは城下町が一望できた。
貴族区だけではなく、門を越えた先にある商業区や、平民が暮らしている住宅区の様子まで確認できる。本当に小さくではあるが、人の動きも確認できる。空を見上げれば、たまにドラゴンが飛んでいる。
サクラス川というのは、ノースアロライナに流れている大陸最大の河川だ。ノースアロライナ領にある多くの農村は、サクラス川の恵みを得て生活をしている。ノースアロライナ城を中心とする城下町は、サクラス川とは少し離れた場所にあった。離れていると言っても、こうして高い場所に登れば、見えるくらいの距離だ。
トッテンハイムがノースアロライナ城を、サクラス川から少し離れた場所に建てた理由は、危機管理である。古くはサクラス川の周辺に文明が栄え、一度滅びているとも聞く。原因はサクラス川の氾濫だ。ノースアロライナは海抜が海よりも低い土地が多く、サクラス川を氾濫した水が逃げ場を失い、いつまでもアロイド平野に溜まり続けてしまうようだ。
わたしとアリスローゼは芝生の上に並んで座った。
「ここが好きなのですか?」
「いいえ。この場所に特別な感情はないの。ただ海が一望できて、なおかつ海から遠い場所が良かったの」
「どうしてですか?」
「わたし、水がトラウマなの。その原因は海だから克服しようと思ってね。海が見える場所で、小説を書いているの」
風があって、小説を書くのには向かないけど、わたしはここでヨモギについての小説を考えるようにしている。実際に紙に書くのは部屋で行うけど、海と町が一望できるこの景色は、ヨモギの実家があった場所によく似ているのだ。
「ウラフリータ様は、どうして小説が好きなのですか?」
「小説は一歩進むために必要なの。だからね、小説を書き続けるってことは、歩き続けることでもあるの。わたし、立ち止まるのは嫌いでね。歩き続けるのが好きなの。だから、小説が好き」
「ですが、子供は本を読んではいけませんよね?」
都合の悪い質問だ。
子供は本を読んではいけないのに、どこで小説を知ったのか。
「夢を見たの。小説を書く女の子の夢。女の子の名前はヨモギちゃん。ヨモギちゃんは、人生で立ち止まってしまってね、それから歩き出せなくなってしまったの。だけど、お兄ちゃんに憧れて小説を書き始めたら、また人生で一歩を踏み出すことができたの」
わたしは、前世の話を夢の話として語った。
嘘は得意だ。
いつもフィクションを書いていた。
「ヨモギちゃんは波にのまれてしまったの。同じように海に落ちたわたしは助かったけど、ヨモギちゃんは死んでしまった。死んでしまったヨモギちゃんの分も、わたしは前を向いて生きていかないといけないの。そのために、一歩を踏み出す勇気を小説に貰うの」
鯨の話はどうしよう。
フリタルトに鯨になった夢の話をしたときに、アリスローゼはその場にいた。
「死んでしまったヨモギちゃんは、鯨になったの。大きな白鯨。きっと、海で溺れて死にそうになったわたしを助けてくれたのは、鯨になったヨモギちゃん。そう思えば、わたしが助かったのも、わたしがヨモギちゃんの夢を見た理由も、納得できたの」
「ウラフリータ様が、どうして大量の紙とペンを欲しがったのか、理解いたしました」
「今度は、アリスローゼのお話を聞かせて。どうして、お兄さんのような騎士になりたいの?」
学友と呼べるほど、わたしはアリスローゼのことを知らない。
人間の関係性において、どこからどこまでを友達と呼ぶのか分からない。
ヨモギに聞いても分からない。
友達と呼べる人はいなかった。
ヨモギについての小説を書くために、彼女の人生に関して正しく回顧し、言葉にできない並々ならぬ思いを言語化するのだとしたら、ヨモギは小説と友達だった。もしくは、小説の登場人物と友達だった。
アリスローゼと友達になれるだろうか。
きっとなれるはずだ。
「似ています」
「似ている?」
「はい。わたしには兄が、複数人いるのですが、わたしが憧れているのは長男です。年齢は20ほど離れていたのですが、いつもわたしの我儘を聞いてくれる優しい兄です。わたしのことを宝石のように、可愛がってくれます。優しいだけではなく、とても強くて、若くしてドラゴ・ノースアロライナの護衛騎士も務めていました」
ふーん。宝石のようにね。
アリスローゼの赤い髪は、たしかに宝石に見える。
「アリスローゼの兄は、お父様の護衛騎士なのね」
「はい。ですが、兄は政変の残党によって殺されました」
「それは……」
わたしは「ウラフリータと同じだ」という思いをかき消した。
ウラフリータは生きている。
アリスローゼにとっては同じことではない。
「兄はことあるごとに、自分の命は、ドラゴ・ノースアロライナのためにあるのだと言っていました。そして、その余った少しをわたしの我儘を聞くのに使っていているとよく冗談を言っていました。兄の最期は、ドラゴ・ノースアロライナを、竜による奇襲から守った立派なものだったと父から聞かされております」
「そうなのね」
「わたしも、兄が死んでからはしばらく立ち直れなかったのですが、兄のように立派な騎士になろうと思い立ってからは、一歩を踏み出すことができました。これは、ウラフリータ様が、ヨモギちゃんを小説に書くのと似ていますよね? 死んでしまった兄の分も、わたしは立派な騎士になるのです」
人が何かを克服する方法は様々だ。
死んでしまった人の分も、自分が生きるという気持ちは、一度死んで転生したわたしだからこそ、分かってあげられることでもある。
「そうね。似ていると思う。けれど、わたしにしかできない特別なこともある」
「特別なこと、ですか?」
アリスローゼと友達になるのはウラフリータだ。
だからもう少しだけ、待っていてほしい。
「アリスローゼのお兄さんのこと、もっと聞かせて。それから、アリスローゼのお兄さんを知っている色んな人に話を聞いて、生きていたときはどんな人だったのか、アリスローゼのお兄さんが死んだあとに、どう思って、どう生きるのか。それをわたしが小説に書くの」
「わたしの兄が小説に……?」
わたしが小説にしたら、アリスローゼのお兄さんと友達になれる。
ヨモギは小説の登場人物が友達だから。
「そうね。まずは、アリスローゼのお兄さんの名前を教えて?」
「名前はジルボーデンです」
ジルボーデンの名前を刻む。
わたしの小説は、お墓だった。
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