第7話 月夜に吠える負け犬ヒロイン

 月日が流れるのは早いもので、入学からあっという間に半月が経過した。


 ここまでの生活は意外にも順調だった。


 授業は噂通りハイレベルだったが、日頃からまじめに勉強しているので今のところ大丈夫だ。ただ、努力を怠れば置いて行かれる感じはするので油断は禁物だろう。


 寮生活のほうも問題ない。一人暮らしには慣れているし、食堂で会う先輩は良くしてくれる。同級生にも今のところ悪印象の奴はいない。


 ここでの生活で最も重要となる”花”だが、入学時に配布されたもの以外は入手していない。今のところ誰も獲得していないのでそれほど焦っていない。入手できるのは基本的に行事絡みなので気にしなくていいだろう。


 最大の懸念材料である俺の素性に関してもバレていない。


 獅子王との関係はどこにも漏れていないし、元親友や昔の知り合いである兎川も俺が西田夏蓮と気付いていない様子だ。容姿だけでなく名前も変わっているので当たり前だろうな。


 無難なスタートを切ったと表現していいだろう。


 しかし、すべてが順調ってわけでもない。


 問題は俺の立ち位置にある。


 この学園に通う生徒は上流階級が多い。花の没収があるせいでイジメとか嫌がらせはないが、何となく距離を置かれているのがわかった。俺としても揉め事は起こしたくないので教室の隅っこで伊吹と大人しく過ごしていた。


 そこまではいい。そこまでは全然いいのだ。


 問題は――


 登校した俺は女子に囲まれている蒼葉と目が合った。直後、蒼葉は会話を切り上げて手を振ってきた。


「おはよう、西田君!」

「っ」


 抱えている問題とはこれだ。


 何故か蒼葉の奴がめちゃくちゃ友好的に接触してくるのだ。その声で蒼葉を囲う女子が一斉に俺のほうを向いた。


『どうしてあの冴えない平民に笑顔で挨拶するの?』


 誰も口には出さないが、心の中で全員がそう言っているのが手に取るようにわかる。俺を見る女子の顔は笑っているが、目はちっとも笑っちゃいない。


「お、おはよう」


 気持ちとしては無視したいが、そんなことをしたら不自然だ。花束交換をしなければならないという事情もあるので女子を敵に回すのもまずい。笑顔を浮かべ、友好的に挨拶をしておく。


 挨拶を交わすと、蒼葉は再び女子とのお喋りに戻っていった。その表情には俺と挨拶した時のような満面の笑みはない。


「おはよ、冬茉」


 席に到着すると、伊吹が近づいてきた。手をあげて挨拶を返す。


「彼、相変わらず冬茉にだけは愛想が良いよね。僕を含めた他の人には義務的な挨拶しかしないのにさ」

「理由は俺にもさっぱりだけどな」

「本当に心当たりないの?」

「……まったく」

 

 これに関しては本当に心当たりがない。


 もし仮に、俺が元親友だった男と気付いていたら逆に距離を開けるはずだろ。あんな出来事があって友好的な意味がわからないし。


「まっ、気に入られてるなら良かったじゃない」

「そうか?」

「嫌われるよりは全然いいでしょ。人気者と仲良くしておけばクラスに溶け込めてるって感じがするからさ。ほら、クラスに全然馴染めてない人もいるでしょ」

 

 伊吹の視線は教室の隅っこでつまらなそうにスマホを弄っている金髪少女に向かう。ここ数日、ずっと不機嫌そうにしている。


 一般入試組であり、非常に目立つ容姿をしているあのギャルに話しかける奴は誰もいない。クラスメイトは遠巻きに眺めており、完全に腫れ物扱いだ。


 ……確かにあれに比べればマシだな。


 会話が途切れると、伊吹は思い出したように。

 

「そういえば、例のアイドルグループについて調べた?」

「おう、昨日調べたぞ。狐坂ってマジで現役アイドルだったんだな。ライブの映像とかあってビックリした」

「折角クラスメイトになったんだし、お近づきになりたいよね」

「さすがに無理だろ」

「冬茉は夢ないね。ここを卒業すれば僕等の未来も明るいわけだし、ワンチャンあるかもしれないでしょ」


 その後、いつものように伊吹と中身があるようで空っぽなお喋りをしていると先生がやってきて授業が始まった。


 自分の立ち位置に若干の不満はあるが、それ以外はこれといって問題がないのでやはり順調だ。高校生活に慣れる、という入学当初の目標は達成しつつある。


 その日も何事もなく授業は終わり、俺は寮の部屋に戻った。


「――よし、そろそろ行くか」


 夜、食堂で晩御飯を食い終えた俺は寮から出た。


 花冠学園に来てから新しい趣味ができた。それが散歩だ。何故かと理由を聞かれたら色々あるが、ここが憧れの場所だからと答えるのが一番しっくり来るだろうか。何となく部屋にいるのが勿体ない気がして毎夜散歩している。


 ちなみに寮は夜でも出入り自由で、門限までに帰れば問題はない。


「……声?」

 

 いつものコースをぶらぶら歩いていると、校舎近くで話し声が聞こえた。


 この時間になると部活動はすべて終わり、校舎付近から人の気配は消える。そもそも食後に歩いている生徒は少ない。


 盗み聞きはまずいと思って離れようとしたが、その内容に俺の足は止まった。


「あたしとの約束は?」

「だから、何の話だよ」

「っ、約束したじゃん!」


 男と女が話している。どうやら女のほうが怒っているらしく声が大きい。


「前にも言っただろ。その約束を覚えてない。仮にしていたとしてもおまえと付き合うことは出来ない。俺には愛する彼女がいるからな」

「っ!」


 修羅場か?


 いつの間にか俺の足はお喋りする2人のほうに寄っていた。


「あいつに浮気してると勘違いされるのは嫌だから、もう呼び出さないでくれ。ただでさえ成績ピンチだから勉強しないといけないし」

「ちょっ――」

「じゃあな。おまえも良い男見つけろよ」

 

 男は強引に話を切ると、歩き出した。

  

 等間隔に設置された街灯に照らされた男の顔には見覚えがあった。 


 前に廊下ですれ違った時、美人の彼女らしき人と一緒に歩いていた先輩だ。美男美女のカップルだったので強く印象に残っていた。


 状況からしてあの先輩が女を捨てたらしい。いや、その表現は適切じゃないか。口ぶりからして追いかけてきた女が勝手に失恋したって感じだろう。


 ……負けヒロインか。


 俯いて震える女と自分を重ねてしまった。あいつにフラれた時の俺もきっとあんな感じで落ち込んでいたに違いない。


 このまま見ているのは悪趣味だしさっさと帰ろう。


「うっ、浮気者!」


 歩きそうとした時、夜の闇に罵声が響き渡る。


「馬鹿、アホ、嘘吐き、最低、お漏らし野郎、チキンハート、短小、マザコン、仕切り上手、焼肉奉行、裏切者!」


 さっきの先輩に向けた言葉が次々と女の口から飛び出す。悪口じゃないのも混じってるぞ。


「ちょっとあんた! あたしとあの女、どっちが良い女か答えなさいよ!」

「っ」

 

 不意に女がそう言った。


 もしかして、俺の姿が見つかった?


「ほら、よく見なさいよ! 絶対あたしのほうが良い女でしょ。あいつの彼女とかただのオッパイオバケじゃん。全然可愛くないじゃん!」


 焦ったけど違った。どうやら月に向かって吠えているようだ。


 ……随分と個性的な奴だな。


 お月様に問いかけるとか俺には到底できない芸当だ。絶対に返事がないのによくやれるよ。


 などと月並みな感想を心中で述べていたら。


「あぁ、もう最悪っ!」

 

 怒鳴った女はこっちに向かって走り出した。


 咄嗟の事態に逃げ遅れた俺の前をその女が走り抜ける。


「えっ……犬山?」


 負けヒロインの正体は、クラスで最も目立つ金髪ギャルの犬山彩葉だった。その特徴的な金髪は他にいないだろう。


 驚きのあまり声を出してしまった。


 俺の声が聞こえたのか、犬山が立ち止まって振り返る。街灯の真下にいたので顔もよく見えた。瞳からは大粒の涙が流れていた。


 目が合った。


「……」

「……っ」


 しかし何か言うわけでもなく、犬山は歯を食いしばるようにしてそのままどこかに消えていった。


 この時、何だかとても嫌な予感に襲われた。


 残念ながらその予感は的中することになった。


 翌日、登校した俺は犬山に呼び出された。

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