第3話 生まれ変わった負け主人公

「……会長、冬茉とうまです」


 ノックした後、自らの名を告げる。


 入室の許可を得て、部屋に足を踏み入れる。獅子王源一郎会長が笑顔で迎えてくれた。


「呼び出して悪かったな」

「いえ、暇でしたので」

「そう言ってくれると助かる。本当ならもっと早く話をしたかったのだが、最近は何かと忙しくてな」

「大丈夫ですよ。会長が多忙なのは知っていますから」

 

 俺の言葉に会長は相好を崩した。


 世間では怖い人というイメージを持たれている会長だが、俺が抱いている印象は真逆である。常に笑顔を浮かべており、好々爺にしか映らない。噂など信用ならないものだ。


「さあ、座ってくれ」


 促されるまま対面に腰かける。


「来週はいよいよ花冠学園に向けて出発だな。準備は出来ているか?」


 会長と出会ってから半年以上の月日が経過した。

 

 あの日から俺の生活は一変した。

 

 後継者の嫁を見極める依頼を引き受けたことで、俺は獅子王グループの庇護下に入った。屋敷の近くにある獅子王所有のマンションに部屋を与えられ、そこで日々を過ごしている。


 中学生で一人暮らしすることになったが、生活には困らなかった。

 

 屋敷で働く使用人が頻繁に訪れては家事全般をこなしてくれたからだ。最初は戸惑ったが、会長から依頼を受けた俺は正式な客人扱いらしい。勉強に集中できる環境を用意してくれたというわけだ。

 

 中学は近くにある学校に転校となった。転校には慣れっこなので生活に影響はなかった。書類などの手続きはすべて会長に任せたが、これまで問題は発生していない。

 

「はい、準備万端です」

「さすがは冬茉だ!」

「会長が手を差し伸べてくれたおかげですよ」

「それは違うぞ。すべては冬茉自身の努力の賜物だ。その姿も見違えたぞ。出会った頃に比べたら随分と男前も上がったようだな」


 生活ぶりも大きく変化したが、一番の変化は外見と名前だろう。


 元々の俺は酷い見た目をしていた。


 髪はボサボサで、貧乏でまともに食べられなかったので体は痩せ細っていた。掛けていた眼鏡も何年か前に購入したボロボロな物だった。


 それが今はどうだ。ボサボサだった髪はプロにカットしてもらった。痩せ気味だった体も栄養のある物を食べて回復した。身長も伸び、イメチェンも兼ねてコンタクトレンズに変えた。


 貧相だった少年はどこにでもいる中学生にジョブチェンジした。鏡に映る自分の姿に今でも違和感を覚えるほどだ。


 これだけでも大きな変化だが、名前も変化したのだからかつての知り合いに出会っても誰も俺だと気付かないだろう。


 そう、俺は改名した。


 以前の名前は女子に間違われて嫌だった。名前のせいでどれだけ馬鹿にされたかわからない。転校が多かったせいもあるだろうが、名前を聞いて女子だと勘違いした奴等からブーイングされた経験もある。


 まあ、あの親が付けた名前だから変えたかったって理由のほうが強いけど。


 十五歳になれば改名手続きが出来るのは知っていたので、すぐに手続きをした。性別を頻繁に間違えられて不便という理由で申請は通った。


 新しい名前は冬茉。俺の名前は『西田冬茉にしだとうま』となった。


 この名前は獅子王会長が付けてくれたものだ。会長は孫の名前を付けられなかったのが悔しかったらしく、お願いしたら嬉しそうに応じてくれた。


 あえて会長に名付け親を願ったのは今後の生活に役立つからだ。この依頼が上手くいけば獅子王グループで働くわけだし、会長と縁を深めておくのは悪くないだろうと判断した。名付け親となればそれなりに愛着が湧いてくれるかもしれない。我ながら悪知恵が回る野郎だと褒めたいね。


「話をする前に改めて祝わせてくれ。合格おめでとう」

「ありがとうございます」

「試験はどうだった?」

「正直に言えばかなり難しかったですね。勉強に集中できる環境がなければ落ちていたと思います」


 良質な環境を手に入れた俺の学力は上昇し、花冠学園に無事合格した。


 試験は噂以上の難易度だったが、それでも乗り切った。合格の報せにはついつい大声が出たほどだ。


「合格後も勉強は疎かにしておらぬな?」

「もちろんです。退学にならぬよう日々全力を尽くしています」

「うむ。大変結構だ」


 会長は満足に頷くと、表情を引き締めた。


「さて、合格が決まったら今後の動きについて説明する約束だったな。直前になってしまったが、詳しく話すとしよう」

「お願いします」


 受験に合格するまではひたすら勉強していた。会長も勉強の邪魔をしてはいけないと配慮してくれたらしく、入学後の動きについては説明はなかった。


「以前にも話したが、冬茉にやってもらうのは嫁候補の見極めだ。儂の後継者が最初の一年間で嫁候補を選ぶ。冬茉には候補となった女子生徒と接触し、関係を深めて内面をチェックしてもらう。これはとても慎重な作業であり、かなりの時間を要するだろう。それこそ、高校生活のすべてを使うほどに」


 簡単なようで難しい作業なのはわかっているが、それでも俺はやる。


「後継者が嫁候補を選ぶ最初の一年は何をすれば?」

「普段通りに生活してもらいたい。中学時代は勉強ばかりしていたと思うが、花冠学園では他の生徒とも接触してほしい。あの学園に通う生徒と縁を結んでおくことは重要だ。それに、あの追加条件もあるのだからな」

「……はい」


 俺にとって重要なのはこの追加条件だ。


 正直なところ負け主人公にとっては非常に難しい条件だった。


「それと、日々の研鑽を疎かにするでないぞ。学園を卒業するのは簡単ではない。努力を怠れば即座に退学となる。くれぐれも注意するのだぞ」

「了解です」


 勝ち組になるという目標がある。退学なんてしていられない。他の生徒なら別の高校に行くとか選択肢もあるだろうけど、俺の場合は退学になったら人生が詰む。


「他の注意点としては、獅子王の関係者であると知られてはならぬ」

「後継者となる方にもですか?」

「う、うむ……孫にも絶対話してはならぬっ!」


 孫の話題になった瞬間、会長が視線を逸らした。そういえば、孫の話をする時はよくこの表情になるな。

 

 関係者と知らせてはいけない理由はわかる。獅子王の関係者と知られたら相手は警戒して本性を隠すかもしれない。


 そこまでは理解できるが、後継者である会長の孫にまで秘密とは徹底している。でもまあ、万が一を恐れるという慎重具合は巨大グループの会長として必須の能力かもしれない。


 頭の中で自分の行うべき内容をまとめる。


 獅子王の関係者と知られず一般生徒として生活する。最初の一年間は特に何もしない。勉強に励み、友達を作り、普通の高校生活を送る。


 その後、後継者が嫁候補となる女子生徒をピックアップする。


 俺の役目はピックアップされた嫁候補の性格チェックだ。この場合の性格とは表面上だけでなく、親しい者にだけ見せる裏の顔だ。


 これは理解できる。俺だって元親友にだけは胸の内を吐露していた。裏の顔を調べるには親しい関係になる必要がある。そこまでの関係を構築するのは難しいだろうけど、勝ち組になるためにはやるしかない。


「最終的に後継者が将来の嫁となる人を決めて、花束の交換をするわけですね」

「その通りだ」


 話が途切れると、会長は俺を真っすぐに見据える。


「ではここで、冬茉の追加条件について話そう」

「俺も花束交換の相手を見つけるって話でしたよね」


 追加条件とは俺も将来の相手を探すことだ。

 

 会長がこんな条件を追加してきた目的は簡単で、要するに人材確保である。


 卒業後、俺は獅子王グループで働くことが決まっている。学園の卒業生は優秀なので積極的に採用したいが、学園に通う生徒の家は会社を経営していたり、芸能活動など将来の進路が確定している。だから雇用が難しい。


 婚約と同義でもある花束交換をして、優秀な人材を獅子王に引き込もうってわけだ。


 ついでに言えば、これは俺の要求でもあった。


 勝ち組になりたい俺は可愛い嫁が欲しいと言った。これはその延長線上にある。自分で嫁を選べという意味でもある。


「卒業式で花束交換をして依頼は成功となる。成功の暁には『勝ち組』を約束する。これで良いな?」

「はい」


 今さら逃げるという選択肢はない。


「相手に指定とかはあるんですか?」

「卒業生ならば誰でも構わぬ。だが、後継者の嫁候補から選ぶことをおすすめする。どうせ冬茉は嫁候補と接触するのだ。その過程で関係を深めるだろうから、狙いどころというわけだ」

「なるほど、了解しました」


 後継者の嫁候補と接触する。関係を深めるチャンスはあるだろう。


 ……しかし、俺が勝ち組になるための条件ってのが花束交換とはな。


 後継者と同じ条件という変な偶然に笑えてくるが、向こうは俺みたいな負け主人公と違ってこの国のトップに立つ大金持ちの孫だ。比べるのも失礼だな。


「それと、知っていると思うが花冠学園は全寮制だ」

「連絡はどうしますか?」

「夏と冬にある長期休暇のみ帰省が許可されている。そこでまとめて報告してもらう。学園内では関係を悟られないために連絡は避けるように。誰に聞かれているかわからぬからな」


 こまめな連絡が必要ないのは助かる。


 卒業するまでの依頼だし、当然といえば当然か。関係が数日で変化するとかはないだろうしな。その辺りは臨機応変に頑張れってことだろう。


「これで話は終わりだ。質問はあるか?」

「では、後継者について教えてください」


 質問すると、会長の目が鋭くなった。


「……どういう意味だ?」

「知っておいたほうがいいと思いまして。今後の生活に大きく関わる方なので」


 実のところ、俺は後継者が誰なのか知らない。後継者はこの屋敷にはおらず、通っている中学にもそれらしい人物はいなかった。


「……」


 会長はジッと黙り、考えるように目を閉じて上を向いた。


 えっ、どうした?

 孫の名前を忘れたとかじゃないよな?


 さすがにないと思いたいが、会長はその場で唸っている。必死に思い出そうとしているようだが、中々出てこないという感じだ。


「あの、会長?」

「っ」


 声を掛けると、会長はゴホンゴホンと大袈裟に咳払いした。


「孫は訳あって遠方で生活している。入学には間に合うから安心するのだ!」

「わかりました。それであの、名前のほうは?」


 再び沈黙があった後。


「……寮に送る荷物の中に手紙を入れておく。自分で確認してくれ」


 どうして手紙で?

 

 これは本当に名前を忘れてしまったのかもしれないな。会長まだ呆ける歳じゃないが、多忙な方だからな。


 余計なことを言って印象を悪くする必要はない。入学前に名前を知れるのなら特に問題はないだろう。


「わかりました。寮で確認します」

「うむ。冬茉よ……くれぐれも体には気を付けるのだぞ」

「はい」


 その翌週、俺は花冠学園に向けて出発した。

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